チェンジ・ザ・ワールド
2025/11/26 僅かな修正
あれから、九年の歳月が流れた。
カサルの自室と街ペントの地下を結ぶ、秘密のトロッコ。その微かな振動に揺られながら、十八歳になった彼は、手鏡に映る自身の「武装」を最終点検していた。
「……うむ。今日も完璧な欺瞞だ。このまつ毛の跳ね具合、レビス卿が見れば感涙に咽ぶだろうな」
鏡の中には、金糸の髪を複雑に編み込み、漆黒のレースに包まれた、神秘的なまでの「令嬢」がいた。カサルがこの奇妙な装いを定着させたのは、単に領主として不適格を装うためだけではない。
数年前、学園で監督生を務めていた公爵家の嫡男、レビス・アークライト。すべての発端は、彼の風変わりな審美眼に合わせたことから始まった。
『カサル君。君のように精緻な知性は、その少年の服には収まりきらない。……僕と一緒に、この退屈な世界を彩る「額縁」にならないかい?』
レビスからの誘いは、カサルにとって渡りに船だった。
「公爵家のお気に入りとして女装に興じる、頭の壊れた神童」
このレッテルを自ら貼ることで、父も母も、カサルを政治の道具として利用することを完全に諦めたのだ。レビスの趣味に付き合うという「献身」は、自由を買い取るための、最も安価で機能的な代価であった。
カサルは漆黒のスカートを揺らしながら、ペントの秘密工場へと降り立つ。
(魔導タービンによる完全自動灌漑。風魔法を応用した無人種まき機……。よし、すべては正常に稼働しているな)
カサルは冷徹な検分者として、整然と並ぶ機械群と農場を歩く。ここには、彼が九年かけて構築した「労働なき楽園」の雛形があった。
(火山灰のせいで土壌改良には手間取らされたが……地下でこれほど青々と育つとは。計算通りだな)
天井に配された無数の鏡が、地上からの日光を複雑に屈折させ、地下の畑を昼間のように照らしている。十分に育った野菜は、カサルの指先一つ、微細な風の魔法によって自動的に収穫され、食品加工機へと次々に投下されていった。
あの事故以来、「無敵のうつけ者」となったカサルは、法を無視して魔法を酷使し、この巨大な生命維持装置を独力で組み上げたのだ。ここで生成された栄養価の高い加工食品は、密かに地上へと流通し、飢えに喘いでいた領民たちの命を繋いでいた。
だが、カサルの目的は単なる救済ではない。
彼にとって、人間とは「将来の繁栄に必要な資源」であり、この地で飼育しているに過ぎなかった。カサルに言わせれば、人間は家畜や作物よりも遥かに管理の難しい動物だ。簡単に死ぬし、嘘をつき、暴動を起こす。その上、繁殖効率も極めて悪い。
それでも、カサルは貴族であった。貴族という特権階級を維持するためには、税を納める「民」という土台が不可欠なのだ。
(領民が枯渇すれば、貴族である我たちも死ぬ。そんな非効率な末路は、万に一つも御免蒙るからな)
点検を終えたカサルは、再びトロッコで邸へと戻る。鏡の前で「愚者の表情」を貼り直し、地上へと這い出した。そこには十六歳になり、理想的な「身代わり」へと成長した弟ザラの姿があった。
「ようザラ。今日もご苦労! どうだ、今日の我は可愛いか?」
カサルが蝶のようにヒラヒラと歩み寄ると、ザラは痛ましげな、しかし深い敬愛の籠もった目で兄を力いっぱい抱きしめた。
「ウォオオオオオオ! ……兄さま!! レビス卿から贈られたそのお召し物、今日も実によく似合っていますよ! 兄さまが、あの日失ってしまった『正気』の代わりに選んだ美しさ……この俺が、生涯をかけて守り抜きますからね!!」
ザラのあまりに熱烈な抱擁を、カサルは無機質な瞳で受け止める。
「お、おぉ……。随分と、おっきくなったなぁ……」
自分を越える体格になった弟の抱擁は、カサルの肋骨に多大な負荷を与えていた。
(イタタタタ……。まぁ、それも良し。あの愚鈍な両親のもとで、よくぞここまで純粋な駒に育ってくれた。兄として誇らしいぞ)
ザラが恭しく差し出した「お兄様の大好きな豆スープ(実際は、最も調理が容易な食事)」を啜りながら、カサルは窓の向こうの空を見据えた。
九年前、石畳に描いた「自由への設計図」は、着実に実を結び始めている。
そして――そろそろ、この狭い檻から飛び出す時が近づいている。そんな確信を胸に秘めながら。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




