22 天を衝く少女の慟哭
「……ようやく、ゆっくり眠れそうだよ」
「嫌よ兄さん! そんなことを言わないで」
大粒の涙を浮かべた帆乃夏が、吐血した自身の血で赤く染まった涼成の体を抱き寄せ、その手を強く握る。抱き寄せた瞬間に涼成の血の飛沫が帆乃夏の頬に着き、そこを帆乃夏の涙が伝ったため、まるで血の涙のような赤い線が帆乃夏の頬にはしる。
「……とう……や……くん。済まなかった……」
「俺のことはいい。それよりも、妹と話してやってくれ」
沈痛な面持ちで、灯夜は涼成にそう促す。傷は自身がすると決めた無茶で負ったものだ。そのことで涼成を恨もうとは思わない。
もう涼成に残された時間は僅かだ、例え治癒魔術を使ったとしても、その効果は気休めにもならないだろう。残りの時間は、家族のために使って欲しい。
「とうや……くん……後は頼んだよ……」
「……ああ」
事件の顛末について語ることなく逝こうとしている自分に代わり、真実を明らかにしてほしいという意味だと灯夜は理解していた。事実、そういう意味もあったのだろうが、この言葉にはもう一つ大きな意味が込められている。この時点では、灯夜はそのことを知らない。
「帆乃夏……ごめんよ……僕は、罪を犯してしまった……優しいお兄ちゃんで……いたかったけど……」
「……なんで、復讐のことを私に黙ってたの。わざわざ私の視界なんて借りなくても、言ってくれれば、私、何でも手伝ったよ」
帆乃夏の内に眠る復讐心は本物だった。もしも兄が復讐の計画を打ち明けてくれたのなら、どんなに嬉しかっただろう。
「……帆乃夏には……幸せになってもらいたかったから……そのためなら僕は――」
「兄さん……」
涼成の言葉が、次第に弱くなってくる。今だって、精神力だけで生を繋ぎとめているような状態だ。時間はもう無い。
まだまだ話したいことはいっぱいある。なのに、それが言葉として肉体の外へ出て行ってはくれない。もう、闇が直ぐそこまで迫ってきている。
だったらせめて、最後に――
「……帆乃夏……最後のお願いだ……」
「……うん」
最後など認めたくない、ずっと話していたい、離れ離れになんてなりたくない。このままずっと兄の胸に抱かれて泣いていたい。
兄が命の灯が消えゆこうとしているという、辛い現実を受け止める覚悟など出来ていない。それでも、大好きな兄の最後の願いなのだ。決して聞き逃してはいけないと、帆乃夏は強く自分に言い聞かせる。
「……僕の好きな……帆乃夏の笑顔を見せて……」
「……うん」
帆乃夏は今の自分に出来る精一杯の笑顔を涼成へと向けた。目元は赤く腫れ、顔は涙で濡れていたが、それでも帆乃夏は笑顔を作った。こらえきれずに瞳からは涙が溢れ、嗚咽を漏らしながらも笑顔だけは絶対に崩さない。それが、兄の願いだから。
「ありがとう……」
穏やかな表情と言葉でそう告げると、涼成は眠るように目を伏せ、帆乃夏に握られていた涼成の手が脱力し、帆乃夏の手をすり抜けた。
「兄さん、起きてよ!」
帆乃夏は涼成の亡骸に縋り、必死に揺り動かす。涼成が直ぐに目を覚ましても驚かせないように、笑顔はまだ維持している。崩してはいけない、兄の最後の願いを、まだ崩してはいけない。
「兄さん、外は冷えるから早く中に戻りましょう」
返事は返ってはこない。
「兄さん、兄さん、兄さん――」
帆乃夏は涼成に呼びかけ続ける。涼成までいなくなってしまったら、自分はこの世界に一人きりになってしまう。
そんな現実を、受け止められるはずがない。
「兄さん、兄さん!」
帆乃夏は何度も何度も、兄の返事に期待し、その名を呼ぶ。
「兄さん、兄さん――」
「……もういいんだ」
灯夜が帆乃夏の肩に優しく触れた。今の帆乃夏の姿は泣いている以上に、痛々しいものだった。
「もう、笑顔はいいんだ」
「えっ?」
灯夜に指摘されて初めて、帆乃夏は自分が未だに笑顔を作ったまま泣いているのだということに気が付いた。
「普通に、泣いていい」
「私……私……」
張り付いていた笑顔が剥がれ落ち、帆乃夏の表情に変化が現れる。顔は深い悲しみによって歪み、より人間らしい表情の泣き顔が浮かんだ。
感情と表情が、ようやく一致した。
これで、帆乃夏は本当の意味で泣ける。
「うわあああああああ――」
愛する肉親を失った悲しみに、帆乃夏は慟哭した。声が枯れるまで、涙が枯れるまで、体力が枯れるまで、帆乃夏は泣き続ける。
「……」
たった今、兄を失った少女にかける言葉などすぐには浮かんでこない。
天を衝く帆乃夏の慟哭を、灯夜は静観していることしか出来なかった。
一応は、残り1話+エピローグでこの章を終える予定です。ただ、今の想定でいくとエピローグにあたる話が長めになりそうなので、エピローグを1・2といった具合に分割する可能性もあります。まだ執筆に入っていないので、この場では断言できませんが。




