17 天罰など存在しない
必死に兵頭邸から逃げてきた帆乃夏は、気がついたら涼成の入院している真名仮中央病院の敷地内にいた。
自宅よりも近かったとはいえ、無意識にこの病院まで来てしまうとは、自分にとってはやはり特別な場所なのだと帆乃夏は思う。
――灯夜さんは、大丈夫かな。
夜道を駈けて来たことで、帆乃夏は少しだけ冷静さを取り戻していた。
なんとかして灯夜とその隣にいた黒服の人の安否を確かめたいが、あれだけの騒動の後に、容疑者である帆乃夏が現場に近づくわけにはいかない。
あの不可思議な両腕を持つ灯夜と、優れた身体能力を持っていた黒服の人物が、何とか最後の爆発を回避してくれていればと祈るばかりだ。
そんなことを考えているうちに、帆乃夏は自身のお気に入りの場所でもある病院の敷地内にある庭へと足が進んでいた。
時刻はすでに午後10時を回っている。庭内を照らす外灯は切れかかっているのか、点滅を繰り返しており、まるで帆乃夏の心境を現わすかのように不安定だった。
この時間帯ならまだ警備員も巡回していないので、気持ちを落ち着かせるためにも、一度ベンチに座って休憩しようかと思い、帆乃夏は適当なベンチに腰掛けようと近づくが、
「誰?」
人の気配を感じ取り、帆乃夏は咄嗟に身構える。病院の敷地内とはいえ、夜間に女一人だ。自然と警戒心が強まる。
「よう、また会ったな」
暗がりのベンチには先客がおり、外灯が点いた瞬間にその姿を照らし出す。
帆乃夏がその安否を気遣ったばかりの人物、久世灯夜が目立った外傷も無い健在ぶりで、足を組んでベンチに座っていた。
「灯夜さん、無事だったんですね……」
帆乃夏は声を震わせ俯いた。どうして彼がここにいるのか、あの両腕は何なのか、疑問は山ほどあったが、今はなによりも、灯夜が無事だということが嬉しかった。
「もう一人のかたは?」
「無事だよ、むしろ俺の方があの人に助けられたくらいだし」
「良かった」
この場にいない左文字の安全を知り、帆乃夏はほっと安堵の溜息をつき、灯夜の隣に座った。
「ごめんなさい、私のせいで」
帆乃夏は俯いたまま顔を上げない。自分の願いが暴走し、灯夜たちをも危うく傷つけるところだったのだ。合わせる顔など無かった。
「あれはお前のせいじゃないよ」
「でも、私が天罰なんて願ったから、兵頭を護っていた灯夜さんたちにも危害が――」
「前にも言ったろ、天罰なんてものは無い。一連の殺人事件も、さっきの現象も、全て魔術で引き起こされたものだ」
「……じゃあ、私が無意識の内に魔術を使っていたとでも?」
「それも有り得ない。魔術ってのは、たまたま起こり得るものじゃない、素養はもちろん練習だって必要だ。少なくとも、無意識下で人を殺傷するほどの魔術を使用した事例は存在しない」
「じゃあ何なんですか! もうわけが分かりませんよ!」
帆乃夏は混乱のあまり声を荒げてしまう。ずっとあれは天罰だと信じてきた。神が存在するのかどうかは分からないが、何らかの超常的な力が自分の願いを叶えてくれているのだと。今更それが魔術だと言われても、すぐには受け入れることが出来ない。
「だったら見せてやるよ、天罰の正体ってやつを」
「天罰の正体ですか?」
「真実を知る覚悟はあるか?」
いつになく真剣な面持ちの灯夜の問いかけに、帆乃夏は無言で頷く。未だに混乱は抜けきれないが、真実を知りたいという好奇心が帆乃夏には宿っていた。
「ついてきてくれ」
灯夜が先頭に立ち、答えの待つ場所へと帆乃夏を誘う。その場所は、今いる場所からそう遠くは無い。
「何故、この場所へ?」
灯夜達がやって来たのは、真名仮中央病院の入院病棟のある個室の病室だった。表に記されている入院患者の名前は『矢祭涼成』のものだ。
涼成はもう眠っているのか、病室内に明かりが確認できない。
「答えがあるからだよ」
「待ってください、いつも通りなら兄はもう寝ていて――」
帆乃夏の制止を振り切り、灯夜は病室の扉を思いっきりスライドさせた。
「……兄さん?」
室内に涼成の気配は感じられず、帆乃夏は困惑する。スイッチを入れて部屋の明かりを灯すが、ベットの上や椅子、病室内のどこを見ても、涼成の姿は確認出来ない。
よく見ると涼成が普段使っている車椅子も置かれていない。間もなく23時になろうかというのに、涼成はどこに行ってしまったのだろうか?
「予想はしてたけど、病室にはいないか」
「何を言っているの?」
帆乃夏の問いにはすぐに答えず、灯夜は涼成の愛読書が収納されている鍵付きの本棚に手を伸ばした。
日中に訪れた時と同様に、本棚には鍵はかかっていない。警戒心が無いというよりも、涼成自身がこの展開を望んでいるような気がした。
灯夜は迷うこと無く、一番右端に置かれていた赤い装丁の本を手に取る。日中に訪れた際に、灯夜の左腕が違和感を覚えたのと同じものだ。
「この本を見てみろ」
「兄がよく読んでいた本ですが、これが何か?」
「そいつは魔術書だよ」
灯夜の口から飛び出した衝撃的な事実に、帆乃夏は思わず受け取った赤い本を落としそうになる。
「……これが、魔術書?」
帆乃夏は恐る恐る本を開いていく。これまでは兄のプライバシーに配慮し、この本の内容にまで気を配ったことは無かった。
記されていたのは、炎熱系魔術や爆発系魔術の使用に関する手引きや過去の事例等。
魔術的な知識を持たない帆乃夏から見ても、この本が魔術に関連するものであることは理解出来た。収録されている魔術の種類は『炎熱と爆発』。一連の事件や兵頭邸で起こった現象とも一致する。
「……灯夜さんは、兄が魔術で殺人を行ったと考えているんですか?」
「こうして魔術書も存在しているわけだし、可能性は高いと思う。調べれば、殺害の手口やあの爆発が、この本に記されている魔術と同じものかどうかもすぐに分かる」
「でも、兄は魔術師ではありません。それは、家族である私が一番よく知っています」
帆乃夏の知る涼成は、魔術とは縁も縁も無い生活を送っていたはずだ。そんな兄が魔術を使えるなどと言われても、すぐには納得できるはずがない。
「魔術ってのは生まれ持った能力では無く、後天的に習得することができる、いわば技術だ。昔は魔術を使えなかったからといって、今もそうだとは限らない」
もちろん誰しもが気軽に魔術を習得出来るというわけでは無い。それ相応の資質や修練は必要となる。
涼成がどれだけの期間で魔術を習得したかは定かでが無いが、あれだけの威力の魔術を使えるようになるには、並外れた努力が必要だったはずだ。それを成すだけの強い想いが彼の中に存在していたのだろう。
涼成の抱いていた強い想い、それは恐らく復讐心だ。
「一つ大事なことを忘れていますよ。兄は重病の身です。魔術を使えたとして、どうやってあいつらを殺害したというんですか?」
涼成が病院を抜け出せたとは思えないし、これまでに起こった事件の全てに帆乃夏は居合わせている。当然、涼成の姿を見たことなど一度も無い。
「その疑問も、さっき解消したよ」
灯夜は、左文字から聞かされた瑠璃子からの伝言を思い出してた。
瑠璃子が過去に読んだことがあるという書物に記されていたのは、魔術による完全犯罪を目論んだある兄弟に関するものだったそうだ。
今回の事件との共通点も多く、完全犯罪目前まで迫ったというこの事件の内容を知ることで、事件解決の糸口が見つかった。
「魔術には様々な種類があるが、その一つに遠隔魔術と呼ばれるものがある。文字通り、離れた場所から特定の場所に効果を発揮する魔術だ。これなら、病室のベッドの上からでも攻撃が出来る」
「兄がそれを使ったと?」
「俺達はそう思っている。だけど、この遠隔魔術には欠点があってな。ピンポイントで何かを狙うというのが非常に難しいんだ。だからこそ、この魔術を悪用しようとする輩は、一定の範囲を全て焼き払ったり爆破したりと、周辺を巻き込んで対象を攻撃するケースがほとんどだ」
「……一連の事件は全て被害者の心臓だけが燃えて、他には被害が及んでいないんですよ? 矛盾します」
「確かに、遠隔魔術だけならターゲットの体の一部だけを狙うなんてことはまず不可能だろう。だが、相手の動向を逐一観察し、誤差を修復しながら狙い撃つのなら、それも可能だ」
灯夜は静かに帆乃夏の瞳を指差した。
「お前の目を介して見ていたんだよ」
「私の……目?」
「俺も今回初めて知ったんだが、人と視界を共有し、その人と同じ景色を視ることが出来る魔術が存在するらしい。他人と視界を共有しても映像がぼやけて大した効果は望めないらしいが、兄弟や親子などの血縁者同士なら、自身の目で視ていると錯覚するほどにクリアな映像が見えるそうだ」
「兄が、私の視ているものを視ていた?」
帆乃夏は目を見開いて、頬には冷や汗が伝っていた。灯夜の言わんとしていることは、すでに彼女も理解していた。
「そうだ。お前の視界を介して、お前の兄貴は被害者の心臓に狙いを定め、この病室から遠隔魔術で焼いたんだよ。これなら、事件現場でトリガーを唱える必要は無い」
これが、瑠璃子達と共に導き出した一連の事件の殺害手口に関する結論であった。推測の域は出ないが、これ以外の可能性は考えられない。
「じゃあ、私の目の前であいつらが死んだのは……」
「お前の近くでたまたま事件が起こったわけじゃない。お前の視界が被害者を捉えないと、兄貴は遠隔魔術を使えない。お前の目の前で事件が起こるのは、偶然じゃなく必然だったんだよ」
帆乃夏はショックを隠し切れない様子で、その場に崩れ落ちてしまった。帆乃夏が天罰だと信じていたものの正体は、実の兄による魔術を使った殺人だったかもしれないのだ。その事実は、帆乃夏にはとても重いものだった。
「……お前は、知らなかったんだな」
全てを知っていたなら帆乃夏がこれほど動揺しているはずが無い。帆乃夏は共犯者ではなく、一方的にその視界を借りられていたに過ぎないのだろう。
「……私、信じられません」
その言葉は、論理的な反論ではなく感情が先に来ていた。出会ってまだ間もない灯夜の言葉よりも、共に人生を歩んできた兄を信じたいという気持ちは、自然なものなのかもしれない。
帆乃夏を納得させることが出来るとすれば、それは涼成の言葉以外には無いのだろう。
「なら、兄貴に直接確かめてみるしかないな」
「でも、兄さんがどこにいるのか……」
「見ろよ、本にメモ書きが挟まってる」
メモ書きには『屋上で待っているよ』と、涼成の筆跡で記されていた。
この病院の屋上にはドクターヘリの離発着用にヘリポートが備え付けられている。涼成の指す屋上とは、おそらくはそこのことだろう。
「もう一度聞く、全てを知る覚悟はあるか?」
「……はい」
帆乃夏は憂いを帯びた瞳で首を縦に振った。
投稿のギリギリまで執筆していたので、もしかしたら誤字脱字が普段よりも多いかもしれません。(一応見直しはしましたが)
気づき次第修正していきます。読み難い箇所があったら申し訳ありません。




