第七話『主人公は小さな依頼を受け、再び探偵になる』
そして、その日の午後──学校帰りの千歳さんはやっぱり事務所に飛び込んできた。
「ただいまっ! 二人とも元気してる!?」
「ただいまって、自宅じゃないんですから……」
俺は苦笑しつつも立ち上がり、当探偵事務所の所長でもある彼女を出迎える。
「あれ、ひよこ饅頭があるってことは後藤田さんが来てくれたの? わたし宛の日報は?」
「ええ、後藤田さんなら千歳さんによろしくと言ってお帰りになりましたよ。具体的な報告はこちらの日報に」
「へー、あの人もマメだねえ……警視総監なんだからこっちの様子が気になるなら、代わりの人を寄越せばいいのに」
と、千歳さんに差し出した書類が震える。
冷静沈着な澪さんも初耳だと言わんばかりに目を丸くする。
「あの、千歳さん……後藤田さんの警察内部での階級をなんと?」
「だから警視総監。内閣参与のお父さんの茶飲み友達だよ」
……マジかよ。
どっちも初耳すぎるが、あのくたびれた風体でまさか警視庁のトップとはね。
俺はまんまと欺かれた自分の間抜けさに呆れるべきか、それとも日本の将来を本気で心配すべきかしばらく判断がつかなかった。
「神崎さんではありませんが、そういう大事な話はもっと事前に言ってください。それによりこちらの対応も変わりますから」
「うん。でもあの人って根っからの庶民だから、本人が名乗らないのにわたしが教えちゃうのもどうなのかって思って黙ってたんだけど……ふたりも今までどおり仕事嫌いのお巡りさんとして接してあげてよ。それとわたしが口を滑らせたのは内緒ね」
なんというか、やっぱり謎しかないな、この子は。
後藤田さんが堅苦しいのを嫌う性格だと知って黙ってたんなら、まぁ判断としては間違ってるほどでもないけど……相変わらず他人の人生を左右させかねない秘密を、ついうっかりポロポロ漏らすのは勘弁してほしいところだ。
珍しく同感なのか、澪さんも物憂げな表情で俺を見てくる。
うん、今日は飲もう。後先など考えずに痛飲して嫌なことは忘れよう……。
「お、美幸さんたちの件もうまいこと処理できたみたいだね。よしよし、これなら一安心かな」
と、こちらの様子など微塵も気にかけず、隅っこのソファーで俺の日報を読みあさる。
勘が異様に鋭いのに、こうした機微に疎いのがなんともこのお嬢様らしい。
俺たちは同時に肩を竦めて気分を切り替えると、澪さんはお茶の用意をするために給餌室へ、俺は所長の下問に答えるためにそれぞれの配置についた。
「他には……あれ? この依頼料、ゼロが二つぐらい余計にくっついてない?」
「ああ、そちらは依頼人の江夏夫妻が、本件の経緯を考えると最低でもそれぐらいは出したいと仰いまして」
「だからって、離婚調停の報酬が二億円かぁ……こういうのは気持ちだから払い過ぎとは言わないけどさ。わたしは受け取らないから二人で半分こにするよ。大丈夫?」
「いや、俺は正規のお給料で十分ですから、そちらは澪ちゃんに弾んであげてください」
「ありがたい話ですが、私もさすがに二億は……事務所の維持費に充てるわけには?」
「そっちは色んな人から押し付けられたわたしのお小遣いで十分なんだよね。女子高生には過ぎた大金だから、わたしも増える一方っていうのはあまり歓迎できないんだけど……」
それぞれの前に並べられたお茶とひよこ饅頭を片手に、俺たちは揃って渋い顔をする。
うーん、なんとも贅沢な話だけど、まさか報酬の分配をめぐって逆の意味で揉めることになるとは……そうなると全額寄付に回すのも角が立つし、仕方ない。
「でしたら、そのお金で恭介さんの会社に依頼を出すのはどうです? 内容は、当事務所の近代化……俺もパソコンを使えるようになれたら助かりますし、それを含めた社内ネットワークを発注しましょう」
「……それ、ホントに大丈夫? ポケベルのメッセージがわからなくて恭介さんに泣きついた話、わたし聞いたよ?」
「うっ……」
「私も紙の書類と縁が切れるのは助かりますが、神崎さん本人の犠牲を前提とした提案には頷けないものが……」
「い、いや。さすがに大袈裟だよ。俺も一時期ファミコンにハマってたし、機械の扱いが本気で苦手ってわけでもないからさ……それに紙の書類を減らせたら、今から置き場に頭を悩ませることもないし、そうしよう?」
「ファミコンとパソコンを一緒にしてるあたり、不安しかないんだけど、まぁおじさんがそこまで言うなら、恭介さんに頼んでプロのインストラクターを呼んでもらおうか。最近は中高年のサラリーマンやお年寄りに教えるのが得意な人もいるみたいだし……澪ちゃんもそれでいい?」
「はい、早速こちらから提案しておきます」
「うん、苦労をかけるけどよろしくね」
……なんというか、ちょっと不思議な光景だった。
以前から姉妹の絆のようなものをたびたび見せてきた二人だったが、今はそのときに覚えた手のかかる妹としっかり者の姉という構図が薄らいでいる。
はたしてこの知れば知るほど似たもの姉妹に思えてくる二人は如何にして出会い、同じ道を歩むようになったのか。俺は澪ちゃの満更でもなさそうな背中を見送り、少なくない興味を覚えるのだった。
「あ、お年寄りで思い出した! おじさん、今朝も柴崎のお爺ちゃんを探しくれたんだよね? 学校帰りにお孫さんからお礼を言われたよ。大好きなお爺ちゃんを探してくれてありがとうだって」
「ああ、どういたしまして。もう慣れたもんだから、見つけるまであっという間だったよ」
千歳さんの言う柴崎のお爺ちゃんと言うのは、定期的にこの事務所に捜索願いが出される初老の男性である。
本名は柴崎源次郎。年齢も68歳とまだまだ若く、間違っても痴呆が進んだ老人じゃあない。
家庭環境も極めて良好で、若くして奥様に先立たれたものの、娘夫婦と同居して孫娘にも懐かれていると、とにかく前途を悲観して行方をくらませる理由が何もないのだ。
「あの人も家族が心配してるよって伝えると素直に帰宅するんだよ。だから本気で何がしたいのかサッパリでさ……」
「うん。わたしもそう聞いてる。でも定期的に居なくなるからおじさんの出番になるんだよね」
……なんだろう。
ニンマリとした千歳さんの笑顔に嫌な予感しか覚えないんだが?
「美幸さんたちの隠された真実を見つけ出したおじさんなら、きっと柴崎のお爺ちゃんの隠された真実を見つけ出せる──というワケで、どうおじさん。この依頼を受ける気はある? もちろん依頼人はわたしね」
「これはなかなかムチャを言いますね、千歳さんも……」
江夏夫妻の場合は全体の構図さえ掴めれば、互いにためを思ってという真実には比較的容易に辿り着けた。
しかし柴崎さんの場合がそれはない。彼が姿を消す理由は彼にしかわからないものだ。
それを俺に聞き出せというのは、他人が胸の奥に秘めた過去を暴くのにも等しいが──。
「やるよ。俺はその依頼を受ける」
「ありがとう。きっとそう言ってもらえると思ったよ」
「私は少し意外です。神崎さんはその手の面倒を嫌うと思いましたが?」
そこでパソコンを操作する手を止めて、横から言ってくる澪ちゃんのために答える。
「ああ、確かにね。俺自身、過去を詮索されても答えようがないし、柴崎さんだって踏み込んだことを聞かれたくはないだろう。……でも何とかしてやりたい。俺が柴崎さんを探し出すたびに、娘さんが結構な金額を包んでくるが、それがあの人の重荷になってるなら根治療法が一番だよ」
俺は千歳さんの眼差しに照れくさいものを覚えながら立ち上がり、コートを羽織ってから事務所を出た。
この時間なら多分あそこだ。
行き先は若き日に奥さんとよく通ったという新宿中央公園。
その場所に柴崎さんの真実がきっとある──。




