第六話『主人公はいつもの日常に戻り、残された真実と向き合う』
この新宿からひとつのビルが消失した翌日。
当探偵事務所は馴染みの客を迎えることになった。
「やあ、どぉーもどぉーも。今日は朝から仕事に励んでいるようで何よりだね、神崎君。あ、澪ちゃんこれお土産のひよこ饅頭ね」
くたびれたスーツとだらしないネクタイ。うさんくさい笑顔で愛想を振り撒くこの男は、自称警察関係者の後藤田善治という人物であった。
当然、呼んだ覚えはないが──来訪の目的はハッキリているので、なるべく穏便にお帰り願うのが俺の仕事だ。
澪ちゃんも鬱陶しそうにしているので早速取り掛かろう。
「今日は非番ですか? 昨日から同僚の方々が慌ただしく動いてるなか、自分だけお休みをするのはさぞかし躊躇われたことでしょうね、後藤田さん」
「そうなんだよ。でもおじさんが現場に出てきても誰も喜ばないから仕方ないよね。神崎君も飲もう、飲もう」
「こっちは仕事中なんだから飲むわけないでしょうが」
そう言いつつも俺は立ち上がり、機械式のコーヒーサーバーに紙コップをセットする。
「ほら、サービスしますからこっちで我慢、というか本気で酒瓶を開けたらさすがに容赦しませんよ。後藤田さんも警察の方なら不退去罪は知ってますよね?」
「知ってるよ。建物のオーナーや住人に出ていけと言われたのに出ていなかったら不退去罪が成立。昭和のアニメでたまに見る押し売りが来たら役に立つ法律だね。いらん知恵をつけちゃって、おじさん悲しいよ」
「……どこに悲しむ要素があるんです?」
「そりゃあ、不退去罪が成立したら警察は民事不介入とか言ってられないからさ。したくもない仕事をさせられるんだから堪んないよね」
「悲しいのは、そこまでしないと仕事をしない人と同じ職場にいる人たちでは?」
と、横から澪ちゃんが俺にも刺さるツッコミを放つが後藤田さんは平然としたものだ。
「まぁ、おじさんの仕事なんて無いに越したことはないんだけどね。そうも言ってられないからこうして嫌々仕事してるわけだよ」
ああ、やっぱりそれが目的なのね、と顔に出さず警戒する。
「さて、世間話がてら神崎君に質問だ。お巡りさんの仕事はなんだと思う?」
「弱いものいじめですね。大阪の警察官ネコババ事件などの不祥事が記憶に新しいのですから、警察関係者ならもっと襟を正すべきでは?」
あ、今度は凌げなかった。
澪ちゃんのツッコミにコーヒーを戻しかけたおじさんが情けない顔つきになる。
「僕は神崎君に聞いてるんだけどね……」
「でしたら視界から消えてください。仕事の邪魔です」
にべもなくあしらわれた後藤田が意味ありげに視線を動かすが、俺にその気はない。
露骨に無視して空気清浄機の前まで移動したんだから、こちらの意思は伝わっただろうと本日二本目のラッキーストライクに火をつける。
「後藤田さんも吸いますか? 持ち合わせがないなら、ひよこ饅頭のお礼にサービスしますよ。あれ、千歳さんの好物なんで」
「……うん、頂こうか」
所長の名前を出したからだろうか。後藤田さんは俺と二人きりの場所に移動することを諦めたようだ。
食えない狸は紫煙を吸い込み、たっぷり堪能してから吐き出すとこう続けるのだった。
「それでさっきの質問なんだけど、僕はきちんと説明することがお巡りさんの仕事だと思うんだよね」
「ああ、交通違反の取り締まりにごねる人たちに?」
「まぁそうだね。法律というルールを子供でも理解できるように噛み砕いて説明する。それがお巡りさん本来の役割で、やむなく逮捕した被疑者の取り調べでもその原則は変わらないさ」
やはりそれが本題かと、澪ちゃんに一瞬だけ目配せする。
澪ちゃんは無言。しかし後藤田さんから見えないように頷くことで、そのまま言わせるようにとサインを送ってくる。
「するとお巡りさんは“説明のつかない”事件が一番嫌ですか」
「そうなんだよ。神崎君も小耳に挟んだだろうが、実は地元のヤクザ屋さんが一夜にして壊滅しちゃってね。それ自体はまあ同情に値しないんだが、とにかく何がどうしてそうなったのか説明がつけられなくって、みんな困ってるんだよ」
「ああ、やはりそうでしたか。ヤクザ屋さんが壊滅しました。どうしてそうなったのかカケラもわかりませんが、なんか悪いことをしてたっぽっいので検察に送りましたじゃ、上の人も困っちゃいますよね」
「それそれ、それなんだよ神崎君。やっぱり事件として立証しないことには検察の人たちも起訴してくれなくてさ。とにかく大変なんだよ、こっちは……」
「と言うからには、取り調べも難航を?」
「うん、話になんない。月から隕石が落ちてきたって言ってるのはまだマシでさ。幹部連中は死んだ魚のような目で一日中壁に向かってブツブツ言ってるし、押収したブツの出所を聞き出すところじゃないんだよ……」
おおう、それはさすがに……。
おそらくは事後処理を担当したであろう澪ちゃんの完璧な仕事ぶりに、俺もため息ひとつ出てこないな。
「もうここまで言ったんだから聞いちゃうけど、これおたくの所長の仕業だよね! なに考えてんのあの娘!?」
「気になるなら午後になったらまた出直してきて、本人に聞いてみたらどうなんです? たぶん来ますよ、今日も」
「嫌だよ! 会いたくないからわざわざ平日の午前中に時間を作ったのに、下手なことを聞いた挙句に笑顔で認められたら余計に厄介だって、君もわかるでしょうに!!」
「まあ、誰にも説明できませんからね。千歳さんの存在は………」
「だから本当に頼むよ神崎君? 君が頑張れば頑張るほどあの娘の出番が減って、みんな幸せになれるんだ。そのためなら、おじさんも相談に乗ってあげるぐらいはしてやれるから……とにかく頼んだからね? タバコご馳走様! それじゃあね!?」
言うだけ言って、謎の警察関係者・後藤田善治氏は当探偵事務所から退散した。
ここまで見てもらえればわかると思うが、彼は敵ではない。
むしろ葛城千歳被害者の会の末席に名を連ねる哀れな小役人であった。
俺は彼が完全に退去したことを確認すると、珍しく苦笑する澪さんに肩を竦めてみせるのだった。
「とりあえず、江夏夫妻の関与が噂にもなっていなくて安心しましたよ」
「おや、神崎さんは事後処理を担当した私が下手を打つのを心配していましたか。信頼されず悲しいです」
そんな憎まれ口を返しながらも、澪ちゃんの態度は以前より格段に温かい。
どうやら今回の件で一定の信頼を得られたようだ……。
「ところで、私にディナーをご馳走するという約束は覚えていらっしゃいますか?」
「え、そんな約束したっけ……」
「しましたよ。期日までに浮気調査の報告書を完成させたら、退勤後の食事くらいは付き合うと」
「ああ、当日は江夏夫妻の件でドタバタしちゃったけど、依頼人は納得してくれた?」
「はい、とても丁寧な仕事ぶりに感心を……ですから私も神崎さんに特別補報酬を差し上げようと」
「へえ、それはそれは……」
俺はさり気なく澪ちゃんのデスクに寄りかかり、彼女の整った顔に手を添える。
「そこまで言うんだから、とうぜん食事だけでは終わらないよね?」
「さて、そちらは神崎さん次第ですね。上品でムードのある店で、綺麗な夜景を見ながらなら、私も少し考えるかもしれませんよ」
その高くつきそうな注文に俺の手が止まる。
「……ごめん。俺の財力じゃ当面は居酒屋が精一杯かな」
「それならば仕事が先ですね。過去を清算するためなら法の裁きもやむなし、と覚悟する旦那様に気を揉む依頼人を安心させるためにも、それなりの報告書が必要になるのをお忘れなく」
「そうだね、仕事仕事、っと……」
そそくさと自分のデスクに退散する俺が気づくと、なぜか上機嫌な視線。
澪ちゃんの意味深な笑顔に俺が当惑するなか、彼女は……。
「少し誤解させてしまったかもしれませんが、私も高級店じゃなきゃ嫌だと言ってるわけではありません。居酒屋にも居酒屋なりの良さがありますから、そちらの約束も期待して頑張ってくださいね……」
……マジか。
それが俺を馬車馬のように働かせる方便であっても構わない。
いつになく乗り気な澪ちゃんの熱い眼差しに、俺ははまんまと転がされるのであった。




