第五話『主人公は見つけ出した真実を、必要な人に届ける』
「あんた、何者だ……? 俺の目の前であいつらを一蹴したんだから、ただの探偵じゃないんだろ……」
「ただの探偵ですよ。貴方の奥さんに馬鹿な自殺を止めてほしいと頼まれた無名の探偵。それが俺の正体ですよ」
そう。馬鹿な自殺だ。暴力亭主を演じて美幸さんを遠ざけて、敵もろとも玉砕すれば何もかも解決すると思った、この恭介さんらしい愚かで純粋な選択肢──。
「……あんたに俺の何がわかるって言うんだ」
「わかりますよ。実は学生時代に芥川賞の最終選考まで残ったことがありましてね。そのときに審査員の方から、登場人物の行動に説得力があるって褒められたんですよ」
「……」
「不思議なもので創作活動をやっているとね、設定をこれ以上ないほど煮詰めたキャラクターって独自のルールで動き出してくれるんですよ。ですから私は美幸さんの依頼を受けるにあたって、恭介さんがどんな人物か可能なかぎり情報を集めた。それが貴方の“嘘”に気付けた理由ですよ」
「ハッ、そんな理由かよ……つまり俺は暴力亭主を演じるには大根役者だったってわけだな」
そう言って笑いだした恭介さんはかなり吹っ切れた様子だったが、憑き物が抜け切った様子もまたなかった。
少なくとも今はまだ、恭介さんは最後のしがらみから自由になれていない……。
「──話てくれますね? すでに美幸さんから、恭介さんの会社がヤクザの資金洗浄に関わっていたことは聞き及んでいますが、それが全ての元凶ですか?」
「ああ。たぶん美幸のやつは、俺がヤクザに脅されてると思ったんだろうがな……だが実際は違う。俺は嬉々として奴等と共謀してたんだよ」
……やはりそうか。
それならば恭介さんの行動も納得できる。
「今でこそ俺の会社は世間に評価されて、急成長のベンチャー企業なんて呼ばれてるが……当時はITどうたらの仕事なんて、それだけで如何わしい職種に思われてたからな。金が唸るほどあり余ってる銀行も融資に渋い顔をしたもんだよ」
「そこに奴等が親切めかして近づいてきて、恭介さんもヤクザの影がチラついてるのに気付きながらも融資を受けたわけですか」
「そうだ。俺たちは持ちつ持たれつだった。でもそれは俺だけじゃない。みんなやってる。この新宿という街自体がヤクザと何らかの形で関わってるって、言い訳して……でもよ」
「貴方は美幸さんと出会って変わろうとした」
「……俺みたいな男はあいつに関わっちゃいけなかった。でも俺は一目惚れしちまって、美幸のためにもっとマシな男になろうって決意したんだ」
「そう。最終的に貴方はヤクザとの縁切りも考えたはずだ。しかし、奴等はそれを許さず、締めつけを強めた──それこそが今回の騒動の発端なんですね」
「ああ、俺もあいつが会社の帳簿を盗み出したときは途方に暮れたよ。あれは見るやつが見れば不審な金の流れに全部説明がつく代物で、俺がいよいよ検察に持ち込もうとしたタイミングだったから、奴等も過剰反応しちまって……まったくあいつは、なんでこんな馬鹿なことを……」
「恭介さん、それは違うよ」
そう。恭介さんの告白はほぼ全面的に想像通りだったが、その一点だけは同意できない。
「俺にもね、好きな女の子がいるから恭介さんの気持ちはわかる。でも、綺麗なままで居させてやりたいってのは俺たちのエゴだ」
「……」
「実はここに来るまでの道中で俺はヤクザに殴られて、吐瀉物をぶち撒けて地面を転がったんだけど、その子が俺を助け起こして真っ先にしたことは、俺の口元を拭うことだったんだ」
「……そうか。だからあんたは申し訳ないことをしたと思ったんだな?」
「うん、汚いものを見せてしまったし、俺の所為で危険な目にも遭わせてしまった。でもね」
「ああ、そこは俺もわかる。あんたが謝ろうもんなら、その娘はそんなコトを気にしてる場合かって烈火の如く怒りだすだろうな。……あんたは美幸も同じだって、そう言いたいんだな?」
「少なくとも美幸さんの想いを無視して玉砕ってのは、ちょっと頂けませんね。貴方たちがこれからどうするかは、もっとご夫婦でよく話し合ってから決めても遅くないと思いますが」
「結局そこに行き着くワケか。だが、奴等が……」
「あ、その辺は大丈夫みたいですよ、恭介さん」
ナイスタイミングだ。
ポケベルが鳴ったので確認してみたら、そこには──。
「なんだこりゃ……ダメだ、俺にはこの暗号が何を意味するのか分からん! すみません恭介さん、これ何の意味かわかります……?」
「締まらない男だな、貸してみろ。……451008810か。仕事終わったと読めるな」
「すげえ! パソコン会社の社長すげえ──じゃなくて、どうやら千歳さんが面倒な連中を丸ごと片してくれたみたいですね」
暗号はさておき、千歳さんの常識までは理解が追いつかない。
恭介さんはそんな表情で戸惑っていたものの、そこ顔に残されていた死相は今ではすっかり消えていた。
「それでは美幸さんたちと合流して、明日になったら現場を見てもらいますか。こういうのはご自身の目で確認してもらうのが一番ですからね」
翌日の午後。
俺たちは新宿の片隅にある、とある建物の前に立っていた。
いや。
正確には、建物だった場所と言うべきか。
「……本当に、なくなってる」
恭介さんが呆然と呟く。
そこにあったはずの古びた組事務所は、跡形もなく消えていた。
代わりに残されているのは、更地。
瓦礫すら粉々にされ過ぎていて、砂と見分けがつかない──そんな跡地だ。
そして、その周囲には警察関係者の姿と、物々しく並べられた証拠品の数々。
拳銃。
違法薬物。
帳簿。
その他、連中が今まで隠してきた悪事の証拠。
どれもこれも、言い逃れなんてできない代物ばかりだった。
「……千歳さん」
「なに?」
「一応聞きますけど」
「うん」
「何をどうしたら、昨日まで存在していた建物が一晩でこうなるんですか?」
俺の問いに、千歳さんは首を傾げた。
「悪いことをしている人たちのお家だったから、なくしただけだよ?」
「いや、その説明で納得できる人類はたぶん君だけです」
「そうかな?」
「そうです」
相変わらず、この少女は自分の異常性を理解していない。
いや。
理解していないふりをしているのかもしれない。
俺にはもう判断がつかなかった。
「しかし……」
そんな俺たちの横で、恭介さんが小さく息を吐く。
視線の先には、情けなく肩を落とした男たち。
昨日までこの街の裏側で好き勝手に振る舞っていた連中が、今では警察に囲まれ、ただ現実を受け入れるしかない顔をしている。
「結局、俺もあいつらと同じだったんだな」
「恭介さん」
「金のためなら仕方ない。会社を守るためなら仕方ない。みんなやっていることだって言い訳して……気付いたら、守りたかったものまで巻き込んでいた」
俺は何も言わなかった。
簡単な慰めなんて、たぶん必要ない。
必要なのは、本人が自分で向き合うことだからだ。
しばらく沈黙した後。
恭介さんは、美幸さんの方を見る。
「美幸」
「はい」
「……もう一度、やり直せるか?」
その問いに。
彼女は涙を浮かべながら笑った。
「はい」
短い返事だった。
でも、それで十分だった。
人間なんて、案外そんなものなのかもしれない。
大げさな約束も。
格好いい台詞も。
劇的な奇跡も必要ない。
ただ、本当に伝えなければならない言葉を伝える。
それだけで救われる人間もいる。
「おじさん」
隣から声がする。
千歳さんだった。
「うん?」
「ちゃんと探偵してたね」
その言葉に、少しだけ胸を張る。
「そりゃあね。俺は一応、探偵だから」
「でも最初は浮気調査ばっかりで文句言ってたよね」
「それは……」
「報告書も嫌がってた」
「それは……」
「日報も」
「千歳さん」
「なに?」
「そこは気づかないふりをしてやるのが理想の上司ってもんですよ」
彼女は楽しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、不思議と悪い気分にはならない。
結局。
俺が憧れていた探偵と、現実の探偵は違った。
華麗な推理で難事件を解決する。
誰も知らない秘密を暴き出す。
そんな探偵ばかりじゃない。
誰かの悩みを聞く。
誰かの嘘に気付く。
そして、その人が後悔しないための真実を届ける。
それもまた、探偵の仕事なのだ。
「そう言えば聞いたことがある」
ふいに恭介さんが口を開いた。
「この街には、追い詰められた人間が最後に頼る最強の始末屋がいると」
彼は俺たちを見る。
「君たちがそうなのか?」
一瞬。
俺は答えに迷った。
ここで俺たちまで一緒にしないでくれと答えるのは、如何にも薄情だろう。
まるで従者のように千歳さんの背後に控える澪さんもそう思ったのか、俺と目を合わせるなり苦笑して見せた。
俺たちも銃を扱える。
裏社会にも関わった。
ならば、そう呼ばれるのもやむなし。
そんな心境で口を開こうとした。
だが。
俺が答えるより先に、凛とした声が響いた。
「違うわよ、あなた。神崎さんたちは探偵よ」
美幸さんだった。
彼女は穏やかに笑う。
「みなさんとても親切で」
少しだけ困ったように。
「少しだけお節介な探偵事務所の方々」
そして。
「私たち夫婦の本当大事なものを明らかにしてくれた、真実の配達人──とても素敵な探偵さんたちよ」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥に、何かが灯った。
作家になれなかった男。
理想ばかり追いかけていた男。
名探偵に憧れていた男。
そんな俺でも。
誰かの人生に必要なものを届けることはできる。
それなら。
それなら俺は、胸を張ってこの仕事を続けることができる。
「……聞いたかい、千歳さん」
「うん」
「俺、今ちょっと格好良かったよね」
「うーん」
「そこは肯定してくれてもいいんじゃない?」
「でもおじさん、昨日も同じこと言ってたよ」
「いやいや、こういうのは回数じゃないんですよ。褒め言葉ってのは何度でも口にしていいんですって」
「そうですね。私も神崎さんを褒めたくて仕方ないので、それに見合う人物に成長してほしいところです」
澪ちゃんの呆れた声が飛んでくる。
いつもの光景だった。
新宿の片隅。
小さな探偵事務所。
変わり者の所長。
冷静な事務員。
そして、夢だけは大きい三十過ぎの探偵。
きっと明日も、面倒な依頼が舞い込む。
浮気調査かもしれない。
迷子探しかもしれない。
またとんでもない騒動に巻き込まれるかもしれない。
それでも。
俺はもう迷わない。
探偵とは、真実を暴くだけの仕事じゃない。
誰かが前を向くために必要な真実を届ける仕事だ。
それが、神崎探偵事務所の仕事なのだから。
──新宿の街に、夕暮れの光が差し込む。
喧騒の中を歩き出す俺たちの背後で。
どこか懐かしい都会的な旋律が流れ始めた気がした。




