第二話『主人公は初めての探偵らしい仕事で、人の嘘に向き合う』
さて。
ここで、この探偵事務所について説明しておこう。
場所は新宿。
駅から少し離れた雑居ビルの三階。
真新しい看板には『神崎探偵事務所』と書かれている。
……もっとも、正確には俺が借りているわけではない。
このビルの所有者は別にいる。
そして、その人物こそが俺の雇い主であり、この探偵事務所の所長でもある千歳さんだ。
名前は、葛城千歳。
年齢は十五歳。
女子高生。
……うん。
今、読者諸兄が何を思ったのかは分かる。
──なぜ女子高生が探偵事務所の所長なんだ。
──そもそも高校生にそんなことができるのか。
──というか、その設定は無理があるだろ。
まあ、分かる。
俺も最初はそう思った。
だが。
この少女について深く考えると、だいたい頭がおかしくなる。
大袈裟だと思うだろう。できれば俺もそう思いたかった。
だが俺がその辺のチンピラに襲われて、なけなしの財布の中身を奪われそうになったとき、そいつらを撃退したのはこの千歳さんなのである。
『千歳さん、でしたっけ?』
『ん?』
『さっきのチンピラ、五人いましたよね』
『いたね』
『なんで全員ものの数秒で倒れてるんですか』
『わたしが倒したからだよ』
『答えになってませんって』
『でも危なかったから』
……。
まあ、そういうことだ。
世の中には説明できることと、説明しない方が幸せなことがある。
葛城千歳という少女については、後者だ。
深く考えたら負け。
これが俺が十五歳の少女を所長として受け入れるために得た、唯一の結論だった。
「神崎さん」
そんなことを考えていると、応接室の中から声が飛んできた。
千歳さんが連れてきた依頼人を任せた澪ちゃんが、扉の隙間から顔だけ出して言ってくる。
「依頼人の方から話を伺いますので、神崎さんは千歳さんから話を聞いてくださいね」
「ああ」
俺が短く答えると彼女は首を引っ込めた。
残された俺は、この騒動の発端でもある千歳さんとかなり嫌々向き合った。
相変わらず、何を考えているのかよく解らない笑顔である。
相当な資産家の娘であり、スポーツ飲料メーカーのCMオーディションに応募したら即日採用されそうな見た目をしているのに、俺の夢を応援すると称して探偵事務所まで立ち上げたこの少女の相手があまり得意ではないが、仕方ない。嫌々ながらも口を開く。
「で?」
「なに?」
「今回の依頼人とはどんな経緯で知り合ったのかな?」
「だから危なそうな人たちに尾行されたんだよ。それで放っておけなかったか後ろから抱っこして、追われてるけど大丈夫って確認してから連れてきたの」
千歳さんは椅子の背もたれに顔を乗せるように座りながら、あっさり答えた。
「……それって千歳さんの勘ですよね? 追われてるって確証はあるんですか?」
「ないけど、あの人も誰かに追われてるって自覚があった。だから連れてきたんだよ」
「だから連れてきたって、そういうのは警察の役割なのでは……?」
「んー……警察に行こうって言ったら、たぶん断られた気がするんだよね」
「気がするって、やっぱり根拠は千歳さんの勘じゃないですか」
俺は額を押さえた。
「探偵事務所の所長が、依頼内容を確認する前にお客さんを連れてくるのはどうなんです? 後になってやっぱりナシってわけにはいかないんですよ」
「でも困ってたよ?」
「そういうところなんですよ、千歳さん」
「?」
本気で分かっていない顔をされた。
この少女の厄介なところは、善意のみの直感でどこまでも突き進むところだ。
そのせいで俺という厄介者を抱えるハメになったのに、まるで学習しない。
だから余計に突っ込みづらい。
「まあいいです。澪ちゃんが話を聞いてるなら、そのうち分かるでしょう」
「うん」
千歳さんは満足そうに頷いた。
……嫌な予感しかしない。
依頼人も夫に殺されるかもしれないって漏らしてたし、そこまでこじれているならただの離婚調停で済むはずがない。
そう警戒してからしばらくして、澪ちゃんが戻ってきた。
手には調書。それも複数。
「神崎さん」
「はい」
「依頼内容ですが」
渡された書類に目を通す。
依頼人の名前は江夏美幸。
女性。二十八歳。既婚。
依頼内容は、暴力を振るうようになった夫との離婚協議に向けた調整。
「……DV案件ですか」
「はい」
澪ちゃんが即答しながらも言葉を選ぶ。
「ご本人の話では、以前は如何にも亭主関白な女性蔑視の言動が中心でしたが、最近になって仕事がうまく行ってないのか直裁的な暴力が増えたと」
「ああ、女が男のやることに口を出すなってのが、うるさい黙れに変わったわけね」
「はい。こちらでも確認しましたので、すぐに病院にも行ってもらいますが……美幸さんは旦那さんが離婚調停の席につくことを望んでいます。ですから、神崎さんにはその辺りの交渉を任せたいと仰っています」
「どう考えても弁護士の仕事なんだがな……」
「私もそう思いますが、ご本人たっての希望ですからよろしくお願いしますね」
「了解」
俺は応接室に戻る澪ちゃんを見送りこっそりため息をついた。
つまりこれは、常識的に考えれば典型的な家庭内トラブルのはずだが……千歳さんが誰かに追われていたと証言している時点で、普通の案件ではない可能性が高い。
「千歳さん」
「なに?」
「依頼人の方、どうします?」
「病院に連れてったらうちで預かるよ」
「即答ですね」
「危ないなら安全な場所にいた方がいいからね」
「……」
こういうところなんだよな。
俺がこの子の信用だけは裏切れないと思うのは……。
「じゃあ、お願いします」
「おじさんも気をつけてね」
「え、俺に何を気をつけろと……?」
先ほどが“ほんのり“となら、今度は“ひしひし”と嫌な予感がした。
「たぶん、美幸さんも何か隠してる」
「まぁ俺もいきなり連れ込まれた探偵事務所で、洗いざらいぶち撒けたように見えませんが」
「うん。こっちでももう少し詳しいことを聞いてみるけど、まだ何が出てくるか分からないから、おじさんも慎重に……何かあったらわたしのポケベルを鳴らしてね。すぐ駆けつけるから」
「俺が探偵とは名ばかりの素人だって知ってるのに、なかなか粋な注文をしてくれますね。俺にポケベルなんて使いこなせると思います?」
「大丈夫」
千歳さんが笑う。
「おじさんなら、ちゃんと真実を聞き出せるよ」
いや、答えになってないけど……ホント、その無垢な信頼はどこから出てくるんですかね千歳さんは。
とは言え、年下の女の子にここまで言われたら期待に応えたい。
探偵として。
男として。
ただ。
一つだけ言わせてほしい。
「ところでいつまでも“おじさん”は酷くない? そろそろ名前を呼んでくれないと拗ねちゃうよ」
「まだ恥ずかしいからダメ。玲司さんって呼ぶのはもう少し待ってね」
って、その笑顔は反則だろ!?
明らかにあの件を意識した発言をしながらその顔は俺の情緒がおかしくなる、と手元の調書に意識を移す。
「……とりあえず、旦那さんにアポを入れたら自宅で会ってみますわ。明日は土曜だから、千歳さんとの打ち合わせは昼過ぎでよろしくね」
「うん、お泊まりグッズも持ってくるよ」
って、要らんだろがい!!
ダメだ、やっぱり始末に負えん。もう行こう。
「……行ってきます」
「いってらっしゃい。別に何もなくても連絡してきていいし、なんなら家に来てもいいからね」
「いやいや。あまりそんなことばかり言ってると本気にしますよ。澪ちゃんが」
そんな軽口を叩いてから、俺は本件の下調べに向かった。
地道な聞き込みを繰り返し、美幸さんの旦那がどんな人物か分かればわかるほど、俺のなかの違和感はいや増すばかりだ。
……やはり何かががおかしい。
それが事前アポを入れて、渦中の人物である青年実業家に会った感想である。
「とりあえず、あいつ直筆の委任状を見せられたんだから、あんたが美幸の代理人って話は信じるさ」
名前は江夏恭介。年齢は36歳。事前調査でとあるベンチャー企業の社長を務め、歳の離れた奥さんをかなり熱烈に口説いたことも判明しているが、それにしてはどこか腑に落ちないのである。
「それで、美幸はなんて言ってるんだ。俺が手を挙げたことを謝らせたいのか、それとも俺と別れたいって言ってるのか?」
「どちらかと言うと後者ですね、恭介さん。奥様は貴方と離縁を望んでいますが、そのためにもよく話し合いたいと仰っておられます」
チッ、と言う苛立ちの音。それはいい。
「ふん。そういうのは弁護士の仕事だろうに、探偵に依頼するとは世間知らずにも程があるな」
負け惜しみのような罵詈雑言もいい。家内の恥を探り当てた俺に対する当然の反応だと納得できないでもない。
「逆の見方をすると、専門家を交えない時点で本気ではないとも思えます。奥様も本音では再構築を望んでおられるのでは?」
「……俺にその気はない。どんな理由があろうとも、女房に逃げられたのは男の恥だ。慰謝料も財産分与もあいつの言い値で支払うと伝えてくれ。それでこの件は終わりだ」
だが、この異常なまでの物分かりの良さは何なのか……俺としては疑問に思わざるを得ない。
「随分と落ち着いてらっしゃいますね、恭介さん」
「……何が言いたい?」
「すみません。私に妻帯した経験はありませんので、あまり偉そうには言えませんが……それでも職業柄、破綻した夫婦関係は何度か見てきたので、恭介さんの非常に理知的なご様子に感心してしまいまして」
「ふん。俺をおだててもあんたの利益になるとは思えんが……少し飲むか? ブランデーのいい奴が戸棚にある」
「頂きます」
そう、普通はもっと取り乱す。何なら俺が奥さんを拐かしたんじゃないかって逆上する。それが俺の知る普通の反応だ。
「有難いことですが、恭介さんは私を奥さんの間男とお疑いになられないんですね」
「おいおい。自分から探偵に浮気調査を頼んでおいて、そんな馬鹿げたことを言い出す低脳が実際にいるのか?」
「ええ、浮気を立証された奥様が私に嵌められたと証言して、依頼人の旦那様に胸ぐら掴まれる以上のことをされた経験が二回ほど」
「あんたも災難だったな……だが安心しろ。俺は自分の罪を受け入れる。あいつにもあんたへの謝礼を弾むように伝えるから、しばらく骨休めをするといいさ」
口調から感情面のささくれこそ見られたものの、彼の態度は非常に紳士的で、若くして一廉の人物として評価されたのもよく分かるというものだった。
「それでは奥様とやり直す気はないと?」
「ああ、離婚の原因は俺があいつに手を挙げたことだからな。今さら言い訳するのも潔くない。黙って条件を飲むつもりさ」
……やはりおかしい。
俺は受け取ったブランデーに口をつけながらそう確信する。
これが妻に暴力を振るった男なのか。
それとも、暴力を振るったように見せなければならない男なのか。
今の段階では何も分からないが、ただ一つだけ確かなことがある。
この夫婦の間には、俺の知らない何かがある……。




