守るということ
「逃げてもいい……か。」
見習いは、独り言のようにつぶやく。
私は、思わず声をかけた。
「何か、感じるものがありましたか?」
「いや、俺にもその言葉欲しかったなって。」
見習いの少し寂しそうな表情が、胸を締めつける。
彼も、社会に出てからとはいえ、追い込まれた人間の一人だ。
相談する相手もなく。
助けを求める言葉もかき消された。
だからだろう。
いくら、怖くないと克服したとしても、拭いきれるものではない。
私は、見習いの肩に手を置く。
「私は、逃げること、立ち向かうこと。どちらも正解で、不正解だと思います。」
どう選択するかは、自分だ。
その結果は、どうであれ後悔はしてほしくない。
「では、中村様の今後、見てみますか?」
「良いのか?」
「はい、もちろんです。それに、私も知りたいです。救われた側の未来を。」
朧げながら、私も一人の少女を救った記憶がある。
実は、新見様の思いは、心臓が痛くなるほど分かった。
だからこそ、知りたい。
見習いは、少しためらいつつ、頭を下げる。
「よろしくお願いします。」
「分かりました。」
私は、モノクルを外し、ゆっくり目を閉じた。
「中村様は、あの日以降、転校したようです。」
転落事故の日から、学校は大惨事となった。
瞬く間に、全国ニュースになった。
連日、学校には報道陣が押し寄せる。
いじめの事実も明るみに出た。
中村様の家にも記者が集まり、平穏な日常は失われていった。
しかし、いじめの発端となった生徒がモザイクで、ニュースに流れたときは、逆に怖いと思った。
中村様は、自分の行動で、1人の命が失われ、日常が壊れたことに押し潰されそうだった。
いじめの被害者であり、転落事故を引き起こした犯人として、たくさんの記者が家にまで押しかける。
この状況に、両親も疲弊していった。
「やっぱり、全て僕のせいだ。」
ベッドの中で蹲る。
すると、先生の声が、聞こえた気がした。
「逃げていい。勝たなくていい。」
彼は、ベッドから起き上がる。
「逃げても、いいかな?」
すると、脳裏に先生が優しく微笑みながら頷いてくれる姿が浮かぶ。
「ありがとう。」
中村様は、両親に意を決して提案した。
「転校したい。誰も知らないところで、もう一度始めたい。」
すると、父親は無言で頷く。
母親は、優しく賛成してくれた。
「いいよ。引っ越そうか。」
こうして、家族全員で新しい街へ向かった。
この十字架は、彼にとってあまりにも重かった。
それでも、生きることを選んだ。
「先生、もう少し頑張ってみる。生きること。」
中村様は、挑戦する力をもう一度手に入れるため、今は逃げる。
いつか、好きなことを盾に立ち向かえるように。
「以上となります。」
私は、モノクルをかけなおす。
見習いは、真剣な表情で何かを考えているようだった。
「中村様、きつそうだな。いや、どんな形にせよ、やっぱりつらいなって。」
「そうですね。」
ふと、蘇るモンペ姿の少女。
いくら記憶が曖昧とはいえ、私の立場は新見様だ。
しかし、中村様の記憶を覗くと、果たしてこれが正解だったのか、疑問になる。
それでも、これだけは言える。
「生きていれば、立ち上がれますから。私は、それだけでいいと思います。」
「そうだな。三島様にも、こういう人が傍に居たら良かったのかな……。」
「三島様?」
「そう、いじめが原因で飛び降りた高校生だよ!」
「え……と。」
誰だろう。
そんなお客様いたかな?
思わず、記憶を巡らせる。
すると、見習いの表情がみるみる変わっていくのが分かった。
「案内人。もしかして、覚えてないのか?」
「え?」
見習いは、凄い勢いで迫ってくる。
「じゃあ、猫のかつおぶし様は?俺が最初に来たときは覚えているか。」
どうしよう。
全然思い出せない。
まさか、力の反動が見習いとの記憶にまで浸食し始めているのか?
恐怖で、心臓の音が激しくなる。
すると、見習いは私の手を取り握りしめる。
「大丈夫。あんたが書き残した記憶の本があるだろ。思い出すまでは難しくても、何があったのかは分かる。そうだろう?」
私は、言葉にできず首を縦に振ることしかできない。
「今から、探そう。俺の夢の記憶についても偶然見つかるかもしれないし。さぁ!」
見習いは、腕を引きながら私の部屋へ連れていく。
あんなに失いたくなかった記憶がこぼれ落ちていくことに、悔しさで唇を噛みしめた。




