伝劇
熱さは限界を超えると、冷たいと感じるようになる。
何かから庇うように、背を向けた瞬間だった。
ゆっくり目を開けると、燕尾服を着た男性の背中が見える。
そして、駆け足で隣に並び立つ若い男性がいた。
「なんだ?ここは。」
呼吸できる。
さっきまで確か、料亭にいたはず。
どうして、こんな現実味のない場所にいるのか不思議だった。
私は、思わず辺りを見渡す。
すると、穏やかな表情で二人が近づいてきた。
「ようこそお越しくださいました。ゴーストシアターへ。」
「シアター?」
ということは、映画館か。
え?でもどうして。
混乱して、情報が入って来ない。
なんとか、状況を落とし込みたく、矢継ぎ早に質問した。
「あの、さっきまで仕事場にいたはずです。ここは映画館ってどういうことですか?」
「ここは、人生で一度だけ訪れ……。」
「あなたは誰?君も!」
「え……と。」
「なぜ、私はここにいる?」
「あの。」
「それから、店はどうなった?」
「……。」
燕尾服の男性が、私の勢いに圧倒されてしまったようで、静かになってしまう。
隣の若い男性は、少し呆れていた。
「あのさ、いったん落ち着こうぜ。」
若い男性は、両手を軽く上下に振りながら、宥めてくる。
そうだよな、落ち着かないと何も変わらない。
弟子にもよく言われている。
私は、大きく深呼吸をした。
「あの、大丈夫でしょうか?」
燕尾服の男性は、心配そうに見つめている。
表情を見ると、申し訳ない感情が襲ってくる。
「すみません、何が起きたのか分からずで。」
「そうですよね。順を追って説明しますから、一度、座りますか?」
燕尾服の男性が、指し示す綺麗に磨かれたテーブルとイス。
私は、お言葉に甘えた。
席に着くと、燕尾服の男性は口を開く。
「では、気を取り直して。まずは自己紹介からですね。私は、ここの案内人をしております。そして、あなたを宥めた彼が、成見映介です。私のことは、好きにお呼びください。」
「よろしくお願いします。私の名は、」
「山本 重明様ですね。」
「なんと、ご存じとは。」
まるで、私がここへ来ることを知っているかのように名を呼ぶ。
本当に不思議な場所だ。
案内人は、1つ1つ丁寧に教えてくれる。
「ここは、人生で一度だけ訪れることができる映画館。ご覧になれるものは、今までで一番良い思い出です。もし、一緒にご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、ご招待することも出来ます。」
「え、映画館。またなぜ、私はここへ?」
「そうですね……。」
案内人は、こめかみに手を当てる。
その様子を、成見君は心配そうに見つめていた。
え?何か良くない事でもするのだろうか。
だが、この胸騒ぎは、いろいろな意味で的中する。
案内人は、少しためらいながら話す。
「今から8時間ほど前です。職場である料亭が火事になり巻き込まれたようで、亡くなりました。」
「な、亡くなった?」
火事、料亭、この2つが私が経験したものを確信に変えていく。
私は、長年勤めていた料亭で、料理長として板前をしていた。
祖父から代々受け継がれてきた場所だった。
しかし、そんな大切な場所が、一瞬にして炎に包まれた。
原因は、何だったのだろうか。
分からない。
私は、何かを守ろうと、燃え盛る店に飛び込んだのだ。
そして、逃げ遅れて……。
天井から、赤黒く燃える柱が落ちてくる。
咄嗟に、庇うように身構えた。
そこで、炎は纏うものが熱いのであって、触れると冷たいことを知った。
そして、目を開けるとこの映画館にいた。
だんだん、首を絞められるような感覚に襲われる。
呼吸が、上手くできない。
理由は、明白だった。
だって、守り続けてきた料亭が燃えたのだ。
そう、守れなかったのだ。
咄嗟に、背中をさすってくれたのは成見君だった。
「何て言ったらいいか分からないけど。大丈夫か?」
「申し訳ない。ありがとう。」
彼のお陰で、ほんのわずかだが楽になった。
現実を無理に呑み込もうと、必死に息をする。
「どうして、なぜ……。」
だが、それとは裏腹に、信じたくないという感情が勝る。
自分が死んだことよりも、料亭を失ったことが悔しかった。
2人は、ただ静かに見守ってくれている。
私が落ち着くのを待っていてくれていた。
それが、余計に焦らせる。
この状況を、なんとか変えようと言葉を発したのは案内人だった。
「受け入れられない気持ちは分かります。とは、自信をもって言えませんが。良かったら、どなたかと映画をご覧になってみてはいかがでしょうか?例えば、お弟子様とか?」
「え?」
なぜ、私の弟子を知っている。
彼は、何を見たのか?
もしかして、死因の他にも。
すると、成見君の表情が一変する。
「おい、案内人!干渉して、この人の記憶を見たな。」
「いや、それは。見たというよりは、見えたが正解で。」
「頼むから、必要最低限にしてくれよ。」
「いや、これは仕事の一環ですから!」
私を置いて、二人は口喧嘩を始める。
なんでこのタイミング?
開いた口がふさがらない。
だが、おかげで駆け巡っていた後悔が、払拭されていく。
思わず笑ってしまった。
「アハハ。なんだか、似ていますね。」
私の言葉に、二人が一斉に顔を見合わせる。
成見君が、少し嫌そうな表情をした。
案内人は、首を傾げている。
「似てるって、何が?」
「私と何が似ているのです?」
あぁ、やっぱりこういう所も似てる。
「いや、弟子である加藤と私のやり取りがね、あなた達の喧嘩と少しばかり。」
2人を見ていたら、加藤に会いたいと願ってしまう。
彼女の無事を確認したいという思いもある。
だが、一番は……。
「私、決めました。案内人の言う通り、弟子である加藤 若菜さんと。」
「かしこまりました。」
私は、案内人に促され、大きな扉の前に立つ。
「それでは、加藤様のお名前を思い浮かべながら扉を開けてください。それでは、ごゆっくり。」
案内人の号令と共に、私は取っ手に手をかけた。
一歩踏み入れると、そこには毎日顔を合わせていた人が座っている。
私は、なるべく明るい声で名を呼んだ。
「加藤!」
私の声に反応し、彼女は振り向く。
すると、ものすごい勢いで立ち上がった。
「山本さん。」
加藤は、綺麗な90度に頭を下げる。
相変わらず、礼儀が正しい。
こういう所は、成見君とは逆かな。
私は、彼女の隣に並び立つ。
「急に悪かった。加藤は大丈夫か。ケガはない?」
「山本さんのお陰で、問題ありません。それよりも、その……。」
彼女が唇を嚙みしめている。
この表情をするときは、悔しいとき。
私は、肩に手を置く。
「良かったら、一緒に観てくれるか?君にどうしても伝えたいことがある。」
彼女は、無言で頷く。
「ありがとう。」
私たちが席に着くと、それを合図に部屋が暗転していく。
目の前に映し出されたのは、見覚えのある厨房だった。
——————————
それは、雪がまだ解けきる前の頃。
地面には、白くかたまった氷が残り、見上げると淡く色づいた桜の蕾が膨らむ季節。
私が、料理長になったころだった。
「山本君、ちょっといい?」
おかみさんに呼ばれて手を止める。
振り返ると、髪を1つに結んだ若い女性が立っていた。
「今日から、入る新人さん。弟子として可愛がってあげて。」
「え?おかみさん、聞いていませんよ。」
「言ってなかったかしら?でも、すごくいい子だからよろしくね。」
「ちょっと!」
事前連絡なしの新人導入に、困惑した。
だが、私の混乱とは裏腹にしっかりとした自己紹介を始める。
「今日からお世話になります。加藤 若菜です。精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします。」
彼女は、美しい90度のお辞儀をする。
「よ、よろしく。」
思わず、しどろもどろになる。
ど、どうしよう。
父から受け継いだ料理長。
まだ、なりたてなのに大丈夫だろうか。
これが、加藤との最初の出会いだった。
まずは、皿洗いから始めてもらった。
意外にも手際が良く、難なくこなしていく
次は、次は、と新しいことをさせてくれとせがんでくる。
こんなこともあった。
それは、寝ぼけながら仕込みの準備に厨房へ入った時だった。
「山本さん、ぜひ見ていただけませんか?」
加藤の目の前に広がっていたのは、大根やニンジンを使った飾り切りたち。
朝っぱらからお花畑が広がっており、腰を抜かした。
「勝手に何をやっている!」
「安心してください。この材料は、全て自前ですから。」
「いや、そうじゃない。これから仕込みがあってだな。」
「それなら、仕事終わりにちゃんと教えてください。」
「お客様、来ちゃうから。」
「見てください!見てくれるまで片づけません!」
ご、強情な。
このやる気に、圧倒されながらも内心嬉しかった。
実は、ここまで一生懸命、料理に向き合ってくれる人は初めてだったから。
「じゃあ、下処理の仕方を教える。それでもいいか?」
私の言葉に、加藤の表情が、目の前の飾り切りの様に花を咲かせる。
「よろしくお願いします!」
こうして、加藤は、徐々に私を師匠にしてくれた。
料理の道は甘くない。
もちろん失敗が殆どだ。
加藤は、夜、1人で泣きながら煮物の練習をしていた。
私は、心配になり声をかける。
「少し休憩にしないか?」
だが、加藤は聞く耳を持たない。
はぁ、仕方がないな。
私は、加藤の腕をつかむ。
「少し、そこに座っていろ。」
不満そうな表情で、邪魔するなと無言で訴えてくる。
私は、強引に厨房の椅子に座らせた。
そして、鍋を取り出し、あるものを作る。
サツマイモ、ゴボウ、ニンジン、大根、レンコンと手際よく切る。
そして、余ったコマ切れの豚肉と炒めて、味噌をといた。
「ほら、食べろ。」
彼女の目の前に、よそって差し出した。
「これは何ですか?」
「めった汁。」
「なんで、これなんです。」
「たまにはこういうのもいいだろ?」
不愛想ながらも、「いただきます」とちゃんと挨拶をして口に運んでくれた。
「どうだ?」
「おいしいです。あれ?でもレンコンって。」
「うちの味。祖父の受け売りでね。」
私も、一口すする。
うん、上手くできたな。
「料亭の味も大事だが、こういう家庭の味が実は一番旨いんだよな。」
これは、常々思っていること。
どんなにいい食材を使って、豪勢に作っても、ただ誰かひとりを思って作られる家庭料理には敵わないと。
「この料亭で、この味知っているのは私の家族以外で初めてだから。覚えておけよ。」
「はい!」
加藤は、ぽろぽろ涙を流しながら、無我夢中でめった汁を頬張っていた。
この時間は、師匠らしいことを初めてちゃんとできたかな。
そんな瞬間だった。
——————————
少しずつ、部屋が明るくなる。
彼女の様子を伺おうと、隣を向く。
ずっと俯いたままで、表情が分からない
「伝えたいことがある。」
本当は、ちゃんと目を見て話したいのだが。
顔を上げてくれないかな?
くれないか。
私は、少し寂しさを感じながら話を続けた。
「店という建物は無くなったが君は、無事だった。それが、本当に良かったと思っている。顔、見せてくれないか?」
彼女は、それでも表情を見せてくれない。
あぁ、いつもの張り合いが欲しいんだが。
「よし、分かった言うぞ!うちの店は、加藤。君に任せる。」
「え……?」
予想していなかったのだろう。
まるで豆鉄砲でもくらったような表情で顔を上げる。
「君は、うちの味を一番知っている。そして、無事ということは何度でもやり直せるということだ。」
「何を言っているのですか!私は、まだまだです。もっと教わりたいことがいっぱいあります。」
彼女は、立ち上がり叫ぶように訴えてくる。
目には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
あぁ、まずいな。
こっちまで、泣けてくる。
「大丈夫。だって、うちのめった汁を食っただろ?あの味を知っていれば心配ない。」
そう、我が家の味であり、代々受け継がれてきたもの。
そして、蘇ってくる。
炎の中で、私はレシピ帳を探していた。
祖父から受け継いだ店の歴史。
だが、今なら分かる。
本当に残したかったのは紙切れではない。
目の前にいる弟子だった。
だが、1つでも多く守りたかった。
加藤に、1つでも多く残したかったから。
でも、きっと。
「もう、大丈夫だな。」
私は、彼女に意思確認する。
だって、自信をもってほしいから。
加藤は、涙を拭い誓うように宣言する。
「お任せください。師匠!」
そして、出会ったころと同じように90度に頭を下げる。
だんだん部屋が暗くなり、次に明るくなった時には、彼女の姿は無かった。
「いかがでしたか?」
案内人の声が聞こえる。
振り向くと、成見君と二人で様子を伺うように立っていた。
「ありがとうございました。少しは、伝わったでしょうか?」
肝心な時に、自信がなくなる。
だが、この不安を払拭するように、成見君が代弁してくれる。
「俺も、案内人の弟子だから分かる。大丈夫、保証する!」
「心強いな。」
彼の力強さは、説得力がある。
やっと、肩の荷が下りた気がした。
私は、二人の案内で映画館出口に向かう。
すると、案内人が、痛みに耐えるように一瞬顔をしかめる。
「案内人、大丈夫か?」
成見君が、思わず駆け寄る。
すると、案内人は、パッと目を見開きじっと見つめる。
「あの……つかぬことをお聞きしますが、お爺様のお名前は?」
予想していない質問に、驚いてしまう。
「祖父の名ですか?確か……。」
私は、名を探すため、記憶を巡らせる。
そして、レシピに書かれた名を口にした。
「山本 健太郎です。」
「山本、健太郎……。」
案内人が、ぽつりとつぶやく。
「もしかして、ご存じなのですか?」
祖父の名を知っているのであれば、一度店に来たことがあるのかと質問する。
だが、見当違いだったのだろうか。
横に首を振る。
「申し訳ございません。お気を使わせました。」
「いえ、全然。」
私は、二人にまた会えたらと願った。
その時は、食べてもらいたい。
「次、来ることができたら、ご馳走します。めった汁!」
「めった汁?」
案内人の顔色が変わった。
まるで、遠い昔の記憶を思い出したように。
だが、本当にタイムリミットとなってしまう。
私は、吸い込まれるように映画館の外に導かれていた。




