零劇
語弊を恐れずに言おう。
この、映画館が大盛況と言っても過言ではない時代があった。
それは、ワシがまだこの場所で案内人を務めていた頃のこと。
生者の世界は、激動の争いに包まれていた。
休む暇もなくやってくる客に、目が回りそうになっていた頃。
ひとりの軍服男性がやってきた。
「いらっしゃいませ。」
ワシは、疲れで引きつりそうになりながら頭を下げる。
しかし、反応が返ってこない。
顔を上げると、そこには人形のように棒立ちになった男がいた。
思わず近づいて、その顔を覗き込む。
瞳には光が全くなく、ただ床の一点を見つめていた。
なんだか、気味が悪い。
ワシは、目を閉じる。
しかし、何も思い浮かばない。
どういうことだ?
いつもなら、名前が浮かんでくるのに。
「あの……。お客様?」
勇気を振り絞り、もう一度声をかける。
だが、微動だにしない。
「ちょっと失礼。」
ワシは、右手を取り優しく握りしめる。
それでも、何も映らない。
こんなことは初めてで、思わず手を放してしまう。
すると、ゆっくり顔を上げて一言だけつぶやいた。
「だ……れ?」
誰って、ワシが知りたいんだが?
しかし、次に飛び込んできた言葉で真っ白になる。
「私は……誰?」
「え?」
それが、あいつとの出会いだった。
「ワシは、ここの案内人をしている笠木というものだ。よろしく。」
なんとか平然を装って挨拶をする。
しかし、うんともすんともいわない。
こりゃどういうことだ?
「えっと、1つずつ質問をするから、分かるものは首を縦に振ってくれ。」
男は、ゆっくり首を縦に振る。
よし、言葉は分かりそうだな。
「名前は分かるか?」
反応はない。
「どこから来た?」
やはり、首は動かない。
弱ったな……。
これほど空っぽな奴は初めてだ。
そして最後の質問。
「……何も覚えていないのか?」
男は、はじめて頷いた。
あぁ……。
薄々気づいていたが、知りたくなかったな。
ワシは、思わず頭を抱えてしまう。
なぜなら、ここは良い思い出を見る映画館。
元が無ければ、映画すら作れない。
どうしたらいいか分からず、途方に暮れてしまった。
案の定、出口に案内しても出るなと弾き返される。
ということは、何らかの理由があるはず。
だが、どうすることも出来なかった。
「まぁ、打つ手なしだからな。しばらくここにいな。」
こうして、こいつを留め置くことにした。
残念なことに、どんなイレギュラーがあっても、客は待ってくれない。
「いいか。お前さんは、ここで座っているだけでいい。分かったな?」
ワシは、わざと客とのやり取りを見せるように、ロビーの椅子に座らせた。
もしかしたら、こいつのことを知っている奴が現れるかもしれないと。
だが、一向にやって来ない。
全く反応しないのが、それを物語っていた。
まぁ、そんな上手くいくわけもないか!
1人、また1人と見送っていく。
たくさんの思い出という名の映画が流れていく。
あいつとは、言葉を多く交わさない。
いや、まだ交わせなかった。
しかし、その日は突然やってきた。
とあるお客様を見送った日。
「あの……。」
かすれた声。
まさか、あいつから声をかけられるとは思わず、飛び跳ねた。
「お、おう。どうした?」
あいつは、目が泳いでいる。
そして、ゆっくり口を開いた。
「記憶が、欲しい。」
「え?」
ホラーかと思うほど、怖い一言。
「ここに来る人。記憶でつながっている。だから、ほしい。」
「おいおい、怖いこと言うなよ。まぁ、分からんわけではないけどな。」
目が合わない。
だが、手が震えているのが分かった。
「じゃあ、一緒に立ってみるか?」
ワシも驚きだった。
まさか、こんな提案をするとは。
すると、目に光が宿ったように表情が見えてくる。
ふっと、口角が上がった。
「うん。」
短い返事。
こうして、見習いとして手伝いをしてくれるようになった。
最初は大変だったぞ!
掃除が壊滅的だったからなぁ。
だが、客を案内する姿だけは妙に様になっていてな。
正直、少し見惚れた。
記憶が欲しい。
この願いが、あいつの身体に及ぼしたもの。
それは、右目の力だった。
「う~ん。こりゃまいったな。」
ワシたちの目の前には、1匹の柴犬がいる。
「ワン!」
「元気でよろしい。」
だが、ワシは犬語が分からん!
ハアハア言いながら、今にも走り出しそうな勢いだ。
「名前は……。ハチだな。」
分かったのはそこまで。
あぁ、わしは動物相手が一番苦手なんだよ!
手をこまねいていると、あいつがハチの目線に合うようにしゃがむ。
何か、会話でもしているのかと思うほど、じっとお互いに見つめ合っている。
「お~い、ときめきが始まりそうなところ悪いんだが。」
ワシは、冗談半分にツッコミを入れる。
「う……。」
すると、突然右のこめかみを抑えながら、膝をついた。
「おい!大丈夫か!?」
思わず駆け寄る。
すると、あいつから出てきた言葉は衝撃的だった。
「僕ね!ママに会いたいの!あと、お腹空いた。」
今まで聞いたことが無かった、あまりにも無邪気な声。
そして、子供のように笑っている。
「急にどうした?」
思わず肩をつかむ。
「え……。」
キョトンとした顔で、ワシに振り向いた。
「私……。何を?」
そして、そのまま意識を失う。
「しっかりしろ!」
力が覚醒した瞬間だった。
力を使うと、反動が凄いようで……。
いつも、頭痛に悩まされたり、酷いときには客の前で気を失ったりと大変だった。
それでも、使うことをやめようとしない。
「使うなとは言わんが、程々にしてくれないか?」
「どうして?」
「客に迷惑をかける。」
「でも……皆様、笑って旅立っています。」
う……。
否定できん。
だが、介抱するのはワシだ。
思わず大きな溜息をついてしまう。
「なら、せめてこれを着けろ。」
ワシは、あるものを差し出した。
「これは?」
「モノクルだ。まぁ、御守りがてら着けとけ。」
記憶は、右目で見ている。
なぜなのかは分からない。
だが、1枚壁があれば、コントロールしやすくなるのではと思った。
盾になることをわしは信じた。
功を奏したようで。
少しずつ、力が安定していくのが分かった。
対象の記憶が、身体で反応することも無くなったようで安心した。
だが、うまくはいかないもの。
「なぁ。この前のお客様のことなんだが。ほら、犬の……。」
「犬?そんなお客様、いらっしゃいましたか?」
本当に、平穏の訪れない男だ。
力を使えば使うほど、あんなに求めていた記憶は失っていく。
そのことに気が付いたのは、力が発動してから30組以上案内していた頃だった。
さすがのあいつも、ショックだったんだろうな。
もともと覇気のない会話が、さらに増したよ。
そして、部屋に籠るようになってな。
「いやだ……。怖い。もう、失いたくないのに。」
泣きながら、書き記す姿が、痛々しかったよ。
あいつは、涙しながら本を書き続けていた。
忘れたくないと。
失いたくないと。
ワシは、見ていられなかった。
だから逃げた。
あいつに案内人を継がせて、映写へ回った。
それ以来――ワシのことを呼んでくれなくなった。
伝わったのかな……。
まぁ、もともと「ねぇ」とか「あの」だったけど。
これが、あいつが案内人になるまでの物語。
記憶を欲し続けた男の――もう覚えていないだろう記憶。
そして、ワシにとっての後悔だ。




