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苦労少年と司教

 ゼノンは静かに頷くと、先程までの柔らかな表情を消した。

 長年、多くの国を巡り、多くの為政者と対話してきた教区長としての顔だった。


「……ここからは昔話ではない。今、ミグベリア各地で起きている不可解な事件が起きている」

「それは、うちの商人連中やリーファからも聞いているし、神烈の件も関わりがあるのか?」


 アルムが即座に答えた。


「もちろん、お主が関係したその事件にも関わりがある。過去に起きたラハイルでの革命軍の蜂起に暴動、ベーギルドでの王国貴族の誘拐、ベリアでの神降臨に宗教施設への襲撃。ガレルでの暴動。これらは一見すると、それぞれが何も関係ない。無関係な事件にしか見えない。ーーーだが。」


 一度、言葉を切る。


「儂らは違うと考えている」


 アルムの眉が僅かに動く。

 商人のリーファからも同じような事は報告は受けていた。現在でもリーヴェスが起きている小さな事件の数々。


「殿下達も同じ結論に辿り着いた」

「………」

「全ての事件で裏で糸を引いている何者かがいる」


 部屋に静寂が包まれる。

 窓の外では子供達の笑い声が響いている。

 その平和に満ちた声とは裏腹に、部屋の中だけが重苦しい空気に包まれていた。


「証拠はあるのか」


 短く尋ねる。


「何もない。しかし、不自然すぎる。ラハイルでは革命軍だけが都合よく消える。だからこそ、ラハイルでは穏便に尚且つ民主的な政治に移行した。ベーギルドの誘拐事件では、何も証拠が残っていない。いくらあんな風習が残る国だとはいえだ。ガレルでの暴動は煽動者だけが跡形もなく姿を消す。そして、それら全ての事件に共通しているのはーーー」

「「黒幕がいない」」


 二人の声が揃う。

 リーファ達から送られてくる報告書と諜報活動、昔見た各国の歴史に情報。

 そこで起きた問題はリーファ達は帝国内でも屈指の諜報員だ。そんな彼女達がまともな報告をあげられていない。

 そのため、結局はどれも似たような結論になった。犯人はいる。しかし、その犯人を動かしている者だけが、すっぽり穴が抜けたように一切姿を現せない。


「まるで、盤上の駒だけを動かしているようだな」

「その通りだ。儂は何年も世界を見てきた。革命も見た。宗教戦争を見た。国家の終わりも見た。全てを見てきた。だが、ここまで人の痕跡を残さん者達は初めてじゃ」


 老人の声には、隠しきれない緊張が滲んでいた。


「ゲームのように駒を動かすならば、まだわかる。だが、ジジィ達が見つけた連中はそんな柔い連中じゃない」

「そうだ。だから、殿下達はお主に手紙を託した」


 アルムの呟きにゼノンは深いため息と共に一つの地図を机の上に広げた。

 それはミグベリア大陸の地図であり、所々に赤い印をついており、その標された場所は各国で起きた事件の場所であった。


「めんどくさいな。だけど、良いぜ」


 髪をガシガシを掻きながら、アルムは笑う。


「良いのか。それはお主を縛るーーー」

「確かに、また縛られるかもしれない」


 枷になるかもしれないというゼノンの言葉を遮り、アルムが言葉を続ける。


「ジジィや、殿下の言葉を賜って何もしないと言うのは、元皇国民としてはな。この問題をさっさと解決して、結びたい縁もある」


 太陽のような満面の笑みを浮かべゼノンの問いかけに答えるアルム。

 その笑顔を見て、ゼノンは安堵の息を漏らした。皺の刻まれた目元が細められ、どこか慈しむ光を宿る。

 打算もある、ミグベリアでしか取れない作物なども多くある。そう言う意味でも、この事件を解決してしまわなければならない。


「皇帝になって少しは大人しくなったと思った、何も変わらない狂犬ぶりじゃな。しかし、アルムよ。あやつらを甘く見てはならないぞ。ただの組織ではないぞ」

「んなぁ事は分かってる。うちの諜報員が尻尾を掴めていないんだ。簡単にはいかないことは百も承知よ。まずはリーヴェスの膿を出す」


 ゼノンの言葉にアルムは強く反論する。

 リーファ達が掴めていないという物的証拠はアルムを大きく悩ませていた。自分の中に刻まれた汚れた血のことも何一つ入ってこない。

 そして、机に置かれた地図を指差す。その場所は皇国内でも忌むべき人間が治めている土地であった。そして、皇国の出すべき膿でもあった。

 家名はゾルディス。二大公爵と呼ばれ、アウェルト家とは先代までは仲が良かったが、ゾルディス家現当主とは折り合いと、あの事件の後に得た領地も含めて仲が悪くなった。

 実しやかに囁かれる噂がゾルディス家にはあると言われる。それは12年前に起きた首都ランベルにある下民街焼き討ちを手引きしたという。

 その噂を皇族も調べたが、有力な証拠は得ることはなかった。

 だが、別の事実が浮かび上がった。下民街にあった遺体の一部にはアウェルト家の紋章をつけた者があった。当然、バドルは反論したが無罪を証明できる物と、切り落とされた左腕がこの事件を物語っていた。

 そのせいもあり、アウェルト家は領地没収という沙汰が下り、バドルは皇国北方にあるエンマという街に閉じ込められ、一人娘であるライカは家を飛び出して、行方をくらました。

 公爵という立場を享受しているのはゾルディス家のみとなった。


「ーーー戦争を起こさないと言う気は無いのか」

「無い。今も、民達が苦しんでいる。それは耳に入っている。ならば、助けるのが筋だ。曲がりなりにもあんな血が入っている俺が守り、導くのが正しい貴族ってもんじゃ無いのか?」


 ゼノンの諌めもアルムには効かない。

 老人もわかって居る。皇国で進行形で起きている地獄の有り様を。だが、何も出来ない。ゾルディスはあまりにも強い力を有しており、尚且つ組織とも関わりがあるかもしれない貴族。

 だが、この少年にとってその程度の権力を笠に威張り、民を虐げることしかできない人間は障害すらになり得ない。


「ーーー分かった。お主の言うことを聞こうか」

「十侯子たちを抑えろ。できれば、バドル侯爵も巻き込んでくれ」


 地図を指差した場所はリーヴェス皇国首都ランベル『紅城(こうじょう)フェルヴェント宮』

 アルムの言葉の真意を読み取ったゼノンは顔を顰めた。


「お主、儂に死ねというのか」

「そうは言っていない。バドル公爵に伝えれば、あの人もこちら側だ。皇帝陛下にも伝えるのが筋だろうが、そこはサプライズと行こうか」


 ゼノンは乾いた笑みを浮かべた。

 その真意はゾルディスを潰す。

 アルムがリーファ達、諜報員に出して指示はゾルディス家の事と、大陸全土の情報。

 そした、得た情報はひどいものであった。

 ゾルディス家の当主は民を顧みることなく、随分と豪遊を繰り返していると書いてあった。


「ふぅ、お主は」

「ここまで情報提供してくれた礼と、仇討ちだよ。俺の家族を奪ったんだ」


 ゼノンは疲れを逃すように息を漏らす。

 アルムに宿ったのは怒りと憎しみであった。

 あの事件の唯一、生き残ったアルムは誰が犯人なのかは分かっている。

 バドル公爵がやった?

 違う。

 あの人に無辜な民を殺せる訳がない。

 確かにあの場には居た。だが、それは残った人を助けるためだ。


「儂の負けだ。そこまで言うなら、一時間程度しか時間は稼げないぞ。だが、バドルを巻きこむつもりか。あやつは今、エンマで隠居の身だ。かつての汚名を着せられまま、牙を抜かれた狼のようになっている男を権力闘争の渦に引き摺り込めば、命を落としかねないぞ」


 ゼノンの指摘に、口をぽかんと開けたアルム。


「………ジジィがそんな弱腰だとは思わなかった。あの人がそんな事で大人しくしている殊勝な人じゃないはずだ。今も、挽回の機会を虎視眈々と狙い、誰かの帰りを待っているはずだ。それに牙が抜けたのならば、別の牙を用意すればいい。違うか?」


 ゼノンは目を閉じる。アルムの指摘はある種の直感に基づいた賭けだ。だが、今の停滞した状況を打破するには、盤面をひっくり返すほどの爆薬が必要であることも理解していた。


「……彼ら、十侯子を抑えるのは役目か。しかし、どれだけの一族がゾルディスに靡いているのかは、儂は知らんぞ」

「別にそこは考えには入れていない。あくまでも、紅城に家の当主たちが居る。という状況だけでいい。あとは膿を出せば、あいつらは陛下に傅くしかない」


 淡々と物事を語るアルムに、背筋が凍るゼノン。

 それは、ただの自信ではなく、権力という巨大な濁流の中にいたものだけがもつ、冷徹なまでの洞察だった。

 ゼノンは机上の地図を巻き取り、懐へと収めた。その動作には、すでに後戻りができないという覚悟が込めたていた。


「この悪童め。だが、良かろう。老い先短いジジィを使って見せろ」


 ゼノンは肩を竦めながら笑った。

 その笑みは呆れにも似ていたが、どこか嬉しそうでもあった。

 アルムが鼻で笑う。


「何を言っているんだ。隠居するにしても、死ぬにしても、まだ早いだろ」

「儂が十分生きた。ここからは若い者の時代じゃ」

「だったら、その若い者を最後まで支えて死ね。次代の養分となれ」


 即答だった。


「俺一人では足りない。エーヴェルト殿下もユンゲルス陛下もジジィもバドル公爵も、俺の民たちも、皆が居て初めて、あいつらが囲っている盤面をひっくり返せる」


 ゼノンは思わず、唾を飲んだ。

 これが齢17になる青年が見せる表情なのかと。もはや、子供ではないのだと、一抹の寂しさを覚えた。

 そして、自らを中心とは考えていない。あくまでも、俯瞰的に誰をどう動かせば勝てるのか。それだけを見ている。


「変わったな」

「そうかな。ジジィから見て、そう思ってくれるなら、ここまで生きてきた甲斐はあるな」


 ゼノンの言葉を聞いた、アルムは先ほどまでの空気を霧散させ、子供のような笑みを浮かべた。

 その言葉にどれだけの重さがあるのかは、ゼノンは聞くことはできない。

 この部屋に案内してくれた女性から聞いた、この大陸の異変で積み重ねたアルムの足跡(そくせき)を。


「では、儂は紅城に向かう準備を進める。お主は」


 静かな沈黙が流れた。

 やがて、ゼノンは椅子から立ち上がる。


「商会の連中と情報を擦り合わせ、それが終われば、ここでの政務を終わらせて、そちらにわたる」


 アルムもゆっくりを立ち上がる。

 二人は互いに視線を交わした。もう言葉をいらない。それぞれの果たすべき役割は決まった。

 静かに、しかし確実に。

 大陸全土、世界そのものを覆う巨大な陰謀に向けて、最初の一手が打たれようとしていた。

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