旅の始まり
皇創暦年8月29日ーーーガレル魔導学園・闘技場内
ブンッ、と槍が一つの風を巻き起こす。
「フフッ、こうして戦うなんてね」
自身の身の丈以上の十文字槍を構え、誰もが見惚れる喜色満面の笑みを浮かべる女性。
クルリと槍を半回転させ、穂先をこちらに向けてくる。
「いや、こちらとしては戦いたくないのだけどな?」
槍の穂先を向けられた男性はイヤイヤながらも、腰に携えた鞘から刀を抜き、どこか嬉しそうな表情で女性を見つめ、その切先を向ける。
両者の間にこれ以上の言葉はいらない。必要なのは、己の力を示す場所のみ。その瞬間は満ちた。
互いに会えなかった分の実力を示すため、競うために。尤も、彼らの戦いたい理由は単純明快にして至極簡単なことだ。ただ、目の前の惚れた人にどこまで成長できたのか。それだけが二人の戦う理由。
「あはは」
「にひひ」
闘技場に二人の笑い声が静かに、大きく響く。
ーーーポタン
誰かの汗が落ちる音が闘技場に小さく響く。それが開戦の合図となり、両者の武器が煌めく火花を散らした。
ーーー
時を遡り、皇耀歴2019年4月10日
その日、少年ーーーアルム・アークリアは悩んでいた。
兄と慕っていた皇子ーーーエーヴェルト・ベル・アルベールから突如として舞い込んで来た課題に頭を悩まされていた。これがなんてことない依頼なら、男はここまで悩んでいない。
その理由はシンプル。エルド大陸の中央に位置する国、ファーレン帝国の皇帝とオーウェン統一国家盟主という二足の草鞋がアルムを縛っている。
「いやいや、無理だって。今だっててんてこ舞いの状態で動かしているのに。あ゛ぁ゛、でも帰りたいぃぃ」
頭を両手で抱え、ぐわんぐわんと左右に振りまくる男。
どちらが大事のなのかは男もわかっている。国か古い付き合い友人か。
普通に考えれば、国だ。少年は曲がりなりにもこの国の皇帝。
だが、この手紙に書かれたことがアルムをより不安にさせた。
「ーーー友人の危機か。あいつのことか。兄上め、妹君が心配なら、あの時に伝えればいいものを。でも、そうも言ってられない状況でもあったか」
アルムの脳裏によぎるのは2年前の戴冠式での出来事であった。
手紙の差出人も遠路遥々、この国に足を踏み入れ、少年ともコンタクトをとっていた。その時に扉がノックされる。
「いいよ」
「失礼します、陛下。関翁公ただいま帰還いたしました。市民からの要望は滞りなく解決いたしました。ーーーそれと」
入室の許可を出すと、一人の偉丈夫が入ってきた。名前を関翁。
異界から来たから人間と現地の人との間に出来た男性。父の血を色濃く継ぎ、数々の戦場でも一騎当千の武勇を大陸全土に知らしめ、その名を知らないものはエルド大陸では居ない。
黒く長く伸びた艶やかな髪は美髪公と称され、中性的な見た目も相まって女性とすら見間違えるほどである。
身長はかなり高く、戦場ではよく目立ち、よく狙われていた。
平和となった今では、ファーレンと紅焔の街道などの警備主任責任者とアルムの警護を兼任しており、日々多忙な毎日を送っている。
彼が執務室を訪れたのは、何度かこちら届いていた市民からの要望が終えた報告だと口にし、その後、口籠る関翁。
「陛下。お客様がお見えになっています。どうされましょうか」
「どうもって、会うよ。別の考えで頭を埋めたい」
「わかりました、入ってきてください」
意を決したような顔に少し戸惑いを覚えながら、客人の入室の許可を出す。
今はとにかく、あの問題を別の問題で上書きしたい心で、客を待つ。
だが、その判断が大きく間違っていたことにアルムはこの後気づくことになる。
ーーーカツン。
杖が床を叩く音が城の中に響き渡る。
「久しぶりじゃの」
その声にアルムは目を見開いた。
入ってきた人物は深く刻まれたシワとその目は全ての見通すような深い青色が特徴的な老人。
名前をゼノン・ベル・ディオン
中央大陸、ベリア神聖王国で元司教。今ではリーヴェス皇国で教区長をしており、身寄りのない人や下民に対して、優しくして接しており、とても大きな人気をもっていた人物。
あの事件以降は表舞台に顔を出していないと皇子は言っていたが、この為にだけに此処にきているのだろうか
「ジジィ、なんで」
「お前さんのためなら、どこへでも行くわい」
「ーーーユーミィ、客室に案内して。後で行くから」
互いにソファーに腰掛け、アルムの絞り出すような声に、和やかな声を出すゼノン。
その顔に何かを感じ取ったのか、客室に案内するように指示を出すアルム。
「ゼノンさん、こちらに」
「おぉ、ありがとう。歳を取ると、歩くのも大変でね」
アルムの後ろに立って控えていたユーミィと呼ばれた男がゼノンと並んで部屋を出ていく。
「ふぅ〜」
思わず、上を見上げる。
ありえない。それがアルムの思いだった。あんな弱々しいゼノンの姿は見たことがなかった。見たくなかった。口煩く、やかましく、けれど深い愛情で包んでくれた恩義ある人物。
「陛下ーーー」
「大丈夫だ。行こう」
関翁の言葉を途中で遮り、ソファーから立ち上がるアルム。
客室に向かう足は重く、あの手紙の中身がより強く結びつく予感が脳裏を離れなかった。
普段は喧騒鳴り止まぬ廊下は嘘のように静まり返っていた。先程まで執務に追われていたのが、嘘のように遠く、静かに感じる。
アルムは歩幅を崩さぬまま歩き続ける。しかし、その胸中は穏やかなもので無かった。
ーーーゼノンが来た。
たった一人の来訪だというのに、胸の奥がざわつく。
自分が知るゼノンという老人は、誰かのためなら死すら厭わない狂人だ。だからこそ、不安だった。
死期が近いであろう男が、長い船旅を越えてでも此処に来た理由が。
「陛下」
背後を歩く関翁が静かに声をかける。
「顔色が優れません。彼らも随分、殺気だっています」
「そう見えるか。関君からそう見えているのなら、そうなんだろうな。俺は国と個人を天秤にかけている。リーファからの報告にもミグベリアで起きている不可解な事件は見ている。昔、ベリアっていう国で起きたあの事件やあの事件にもそれらが深く関わっているってなると、皆に苦労を掛ける可能性が十二分にある。今、ようやくこの国は皆が笑い合える国になって来たんだ。もうーーー」
「それは違う。私たちは戦場で生き、戦場で死ぬのが、それが我らにございます。そして、紅く色づいた葉は枯れ落ち、次の時代が生きる養分になるのです。何を躊躇う必要があるのです。一つ、命令を言えばいいのです。助けてくれと」
関翁の言葉は、冷徹なまでの武人の心構えでありながら、アルムに対しての忠誠心に満ちていた。
「フゥー。お前までそれを言うか?全員、彼の言葉に汚染されすぎじゃ無い?まぁ、いい。お主お主たちがそうならば、そうさせて貰うぞ」
アルムは一度立ち止まり、背後に立つ関翁に対し、振り返る。その瞳、顔には先程までの迷いは消え、代わりに『皇帝』としての覚悟が宿り始めていた。
その皇帝として、そして戦場を思い出した顔に関翁は口端が目尻につきそうなくらい狂気的な笑みを浮かべる。
「俺は、この国の守るためにあの玉座に座っている。だが、俺という人間を形取ったのはあの頃の仲間だ。恩と義理を忘れた人間に、ついてくる民も守れる国民もいないだろう」
アルムは一度小さく息を吐き、客室の重厚な扉に手をかける。
「ジジィには感謝にしないとな。自分の死に場所を選んでやってきた老いぼれに、まだ死ぬには早すぎると教えてやる」
扉を開け放つ。そこには静かに窓を見つめ、子供達の声を聞いていたゼノンの背中をあった。振り返った老司教の青い瞳は、アルムの決意を見透かすように細められる。
ゼノンが窓際からゆっくりと振り返り。杖を床についた。その音は、まるで死神の足音のように静かに、しかし重く響く。
ユーミィに先導され、ソファーに腰掛けるゼノン。ユーミィは静かに一礼をすると、関翁を伴い音もなく客室を後にした。
窓の外では子供達が楽しそうに走りまわっている。その笑い声だけが、この重苦しい空気には不釣り合いであった。
「そんな顔をするな、くそがき」
ゼノンが重い口を開き、悪態を付く。
「うるさい、ジジィのそんな姿を見たく無いだけだ」
アルムも悪態をつくが、口からこぼれるのはどこまでもゼノンの身を案じたものだけ。
「……そんな顔をするな」
ゼノンが苦笑いした。
「儂はまだ死ねん。あいつとの約束もそうだが、お主お主の結婚だけは見届けねばならない」
「慣れない冗談は言うべきじゃないと思うぞ、俺は」
アルムは向かいのソファーへと腰を下ろす。
視線は自然とゼノンの顔と手に向いていた。
昔は自分の頭を乱暴に撫で、常にボサボサにされ、杖を力強く握っていたその手。
誰もはその顔を見れば、顔を伏せるほどに威厳に満ちた顔。
今は湯呑みを持つだけでも、微かに震えていた。
威厳に満ちていた顔も、頬は痩せこけ、しわだらけになっていた。
「さて、何があった」
短い、問いであった。その一言には12年分の想いが詰まっていた。
ゼノンはいつの間にか出されていた紅茶を一口含み、静かに息を吐く。
「歳でな」
「違う。俺の知っているジジィは歳を理由にするつまらない人じゃない」
アルムは即座に強く否定した。
「……救えなかった。あと少し早ければ、あと一歩届いておれば。そんな命が、儂の前から何人も消えていった。その度に思うた。儂は本当に神に仕えていたのか。それに足りうる者だったのか、と」
ゼノンの告解にアルムは何も問わない。
アルムの祖父から一度だけ聞いたことがある。
『ゼノンは人身御供で幼馴染を生贄に捧げれ、司教になった後でも、守ろうとした孤児達も心無い者達によってな』と。自分とは違う立場ではあるが、この人はこの人で、絶望を絶え間なく襲ってきた人生を生きてきたのだろうと、子供ながらにそう思った。
今、こうしてこんな人生を生きた身として、思うのはーーー
「ジジィが、神に仕えてるべき人間だと思う。神烈での事件や、この大陸での神様を信仰していた奴らと比べて、あんたはまともなんだ。俺がまともなのは、あんたらがちゃんと育ててくれたからなんだ。だから、そんなことを言わないでくれ」
その言葉は情けない姿を見せた老人に対する怒りではなく嘆願に近いものであった。その言葉はアルムという人間を作り出した感謝もあった。
ゼノンはアルムの言葉を黙って聞いていた。深く木の年輪が如く刻まれた皺だらけの顔が僅かに緩み、震える手で湯呑みを包み込む。
「そうか。お主はそう思ってくれたか」
湯呑みを持つ手に涙が落ちる。
ここまでの年月を苦しい思いで生きてきたのか、アルムにはわからない。
ただ、自分が信頼していた大人が背負っていた重荷を少しでも、軽くすることができたのならば、と。
袖で目元を拭い、ゼノンは窓の外へと視線を移した。
庭をかけ回る子供達。笑い合う親子。怒号が聞こえつつもどこか何処か楽しげな市場の喧騒。
これら全てが何気ない日常。
それらを眺めながら、小さく呟く。
「儂は、公爵殿からお主お主の話を聞いた時は驚いた。そして、逃げたと聞いた。その時、良かったと思ってしまった。お主の強さがここまで華開いたと」
アルムは何も言わない。
「そして、同時に後悔した。儂らは5歳の子供にとんでもない重荷を背負わせたのでは無いのかと。長く生きていればの、きな臭い話もよく聞いた。ベリアにいた時も、ベーギルドにいた時も、ラハイルにいた時もそうだった。ライカ嬢共に、と」
ゼノンは湯呑みを机に置き、膝の上で拳を握った。年老いた手には、怒りなのか、後悔なのか、そのどれでもない震えに包まれていた。
「だから、探した。そんな重荷を背負うべきではないと。古い伝を借りて方々を巡り、教会には手紙を出し、港には人を遣わした。それでも、お主は見つけることはできなかった。それからじゃ、毎日毎日。祈るたび、寝るたびに、『後一歩早ければ』と思い続けた」
静かな声。
しかし、その静けさが却って、アルムの胸を締め付ける。
「バドルを、お主の祖父を、あの場所で上を向き続けた民を守れなかった。そして、お主までも失ったと思うた。……儂は司教失格じゃ」
「(違うんだ、ジジィ。俺はそこから目を背けていたんだ。あんたの事だ、探していたのだろうとは思っていた。だけど、顔を見せずにいた。故郷が怖かったのもある。また、殺されるんじゃないかと思うと同時に、この国を見捨てることを怖がった)ーーーそうかな。だから、俺はただの『皇帝』という仮面を被ることで、ミグベリアで起きていることから目を背け、逃げていたんだ」
アルムは絞り出すようにそう言った。先程まで見せていた皇帝として覚悟とは裏腹に、目の前に座る老人の前ではあの頃のまま、かつてゼノン達、大人達に守られていた、ただの少年に戻っていた。
「一度、帰ってきた時に体が震えたんだ。別になんてことない、ベリアでの港でだ。それで恐怖を感じたんだ。それは結局、神烈での事件の前触れだったんだ。その後、あんたが探していたことも、ずっと苦しんでいたことも知っていた。それでも、帰れなかった。俺の中に流れている血のせいで、家族が死んだ。また、誰かが死んでしまう気がした。俺がいるだけで無用な血が流れてしまう。そう思ってしまったんだ」
静かな言葉だった。誰へ向けた言葉でもない。誰かに責任を押し付けるためでもない。
ただ、12年の間、密かに秘めていた胸の奥底にあった本音だった。
「それに、戻ることを恐れた。各国で、まぁまぁな事件に巻き込まれた。ライカの事も当然知っていた。でも、戻れなかった。守りたい命が出来てしまった。この大陸のことがどうしても見捨てられなかった。ただの人間として、見てくれた人たちがいてくれたから」
窓の外に目を向ける。
開け放った窓からは子供らの声、市場の喧騒。
それらの声は長年、戦乱の時代が続いた大陸が平和になった証拠の一つでもあった。
「ーーーそうか」
ゼノンは静かに言葉を返す。
「ならば、お主は阿呆だな。全て背負うとするから、無理をするから、彼らはお主を守らんとし命を張らんとする。しかし、その背中が、足跡がお主のことを証明している。それに、その仮面を被ることで生かそうと足掻きに足掻いたのならば、それは正しい事だ。お主は帰ってこないという選択をしたのではない、また帰ってこれるように死ぬわけには行かなかったのでは無いのか?ならば、その荷を降ろせ。儂が荷を降ろせぬ人間ゆえに説得する力は無いかも知れないがの」
責める声でもない、許す声でもない。
それは一人の男がもう一人の男の本心を知ることができた声色だった。
目を瞑り、肩を竦めるゼノンにアルムは思わず笑いそうになった。
それほどまでに懐かしいものを思い出した。己の祖父と同じようなやり取りをしてたと。
そんな過去の記憶を思い出した。肩を小突きあいながら、静かに笑い合っていた二人には少し憧れを持った。
思い出話を程々に、とゼノンがゆっくりと背筋を伸ばす。
その青い瞳には、先程までの迷いは一辺の欠片を持っていなかった。
「じゃからこそ、お主に頼みにきたことがある」
先程までの和やかな空気から一変し、一瞬にして緊張した空気に塗り変わる。さっきまでののほほんとした老人ではなく、数十年以上に渡り教会を支え、権力闘争にも生き抜き、多くの命を見送り、多くの歴史を見届けてきた一人の司教の顔だった。
「これから話すことは、お主個人ではない。オーウェン統一国家初代盟主ならびにファーレン帝国皇帝。アルム・アークリアとして聞いてもらう」
部屋の空気がゼノンの言葉にまた一層、引き締まった。
アルムもまたその視線を真っ直ぐ受け止める。
「ゼノン教区長殿、話を聞こう」
ゼノンは静かに頷く。
そして、長い長い旅路の果てにここまで来た、本当の理由を口にしようとしていたーーー。




