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帰郷

エルド大陸を出港してから数日。

潮風を受けながら、ファーレン帝国の大船団がゆっくりとミグベリア大陸へと近づいていく。その船団の中でも一際大きな船の船首に立つ一人の少年ーーーアルムは静かに水平線を見つめていた。

白髪が混じった黒髪が風に揺れる。

その瞳が想い馳せるのは、12年振りの故郷ーーーリーヴェス皇国。


「帰ってきたのか……。大陸自体はあの事件以来の5年振りだが、嫌な気配だな」


まだ見えない大陸から感じ取れる異質な気配。5年前に起きたベリア神聖王国での事件の気配と似ている。だが、あれよりも尚、ドス黒い悪意に満ちた気配。


「アルム様……この気配は一体」


アルムに近づく一人の少女。紅が混じった銀髪が特徴的な女の子。名前はメル・フォルテ。昔、アルムが戦場で拾った孤児。誰よりも戦場に立ち続け、誰よりも武功を上げ続けた戦の申し子。だが、そんな強い少女の顔は恐怖が浮かんでいた。


「さぁな。アム様やユキノ様、ウリエル様のような神威のそれだ。だが、神々と根本的に違うのはこの悪意だ」

「この気配が神の類いだとでもいうのですか」


メルが驚くのも無理はない。彼女もまた、エルド大陸において神との決別の現場にいた生き証人。だからこそ、神威というのを肌で感じ取り、怖さを知っている。

だからこそ、大陸から流れ来る気配に驚きを隠さなかった。


「……ジジィは大丈夫なんだろうな」


アルムの懸念は尤もである。彼の計画では、ゼノンと皇帝の二人が十侯士の当主を皇城に留めておいて、その間にゾルディス領を攻め落とすというもの。

一番の要はゼノン・ベル・ディオンだ。あの人物は皇国内もそうだが、大陸全土に顔が利く。多少の無茶な行軍も、ゼノンの顔を出せば、誤魔化しが効く。その要が潰されるのは、今後の計画にも支障が出かねない。

ゼノンの立場を考えて、二人の護衛をつけたが、それでも不安がよぎる。


「大丈夫ですよ。あのおじいちゃん、陛下のことを沢山褒めてました。だから、大丈夫です」

「そうか。お前がそう言うなら、大丈夫だろうな」


先程まで恐怖が浮かんでいた表情は薄れ、満面の笑みを浮かべるメル。その顔に何処か、毒気を抜けれたアルムは自然と笑みが溢れ、メルの頭を優しく撫でた。


「……(この空気はジジィが皇国を出る前まではなかったはずだ。出なければ、あの時に言ってきたはずだ。なのに、言ってこなかった。言わなくてよかった?違う。本当に、知らなかったはずだ。ジジィはあの事件で、神の威光を間近で見ている。それを見ていた人物が、この気配を知らない訳がない。ならば、何故だ)」


しかし、アルムの内心は荒れていた。

ファーレンでゼノンと会談した際にあの老人はこの『気配』のことは何も言ってこなかった。神の力に近しい物である気配は神を間近で見たことがある人間しか気づけないほどには小さい鼓動だ。


「………もう一人付けるべきだったか」


そう独り言をアルムは呟いた。恐らくであるが、ゼノンにつけた護衛二人もこの気配には気づいている。

Es


「行けばわかることか」


一つ小さく息を吐き、向かう先の故郷に目線を向ける。

明確に一つだけ確かなことがある。それは12年前の事件、5年前の事件がより強く結びついていることだ。だからこそ、ゼノンの言葉がより現実味を帯びてくる。大陸全土の事件を手引きしている謎の組織。

だから、アルムの視線は尚も遠くに霞むミグベリア大陸へと向けられていた。

体全体に当たる潮風は穏やか、波も静か。だが、その静かさが、大陸から漂う気配との違いを際立たせる。

あの戦いに参加していない商人、船乗りは互いの近況や、航海の話、到着後の段取りなどを話していた。誰も異変などは感じていない。

しかし、あの戦いに参加していた者は少なからず異変を感じ取っており、和かな雰囲気とは裏腹に少し慌ただしい空気が船団に広がりつつある。

誰もかもが、歴戦の猛者ばかり。戦場、死線を幾度となく潜り抜けてきた本能だけが、大きくも小さな警鐘を鳴らしていた。


「小僧、そろそろ着くぞ。それに気をつけろよ。随分と話と違うのが気になるが、まぁお前なら大丈夫だろう」


船長が歩み寄ってくる。50代半ばほどの歴戦の船乗り。

海を漂っていたアルムを拾い、エルド大陸の情勢を教えてくれた恩人の一人。


「そんなお気楽な」

「別に気にすることでもないだろうぜ、王よ」


お気楽調子の船長にジト目を向けるアルム。


「まぁ、いいよ」


アルムがそう言うと、船長は頭を下げて持ち場を戻っていく。


「(どんな国でも平和であってほしいよ)」


その背中を見届けながら、アルムは心の中で呟いた。この想いは昔から何一つ変わっていない。ライカ達、上流貴族との付き合いに、下民街襲撃もエルド統一も全てを乗り越えて、漸く戻ってきた故郷は随分と様変わりしていた。


「アルム様はこれからどうします?」

「何にも変わらないよ。皇国に行って、ゾルディスの領地を開放した後は、ライカに檄を入れにいく。その後はガレル魔導学園に向かう。お前もそこに入れる」


メルが横から覗き込んでくる。アルムの答えにメルは顔を歪める。


「嫌です。勉強なんて、やりたくないです」

「そう言うな。僕だって、無理やり入れるつもりなんて無い。だがな、帝国か統一国家か、それ以外の国家で働くとなったら、怒られることなんてのはザラだ。感情の抑え方を覚えることも大事だなって思っただけだ」


ムッと口を尖らせるメル。彼女自身、駄々を捏ねていることはわかっている。だが、それでも勉強はしたくはない。

メルが勉強をしたくないことはアルムも重々承知している。と言うよりはあまりにも厳しい勉強のスケジュールのせいで彼女が覚えることに関してトラウマを抱えてしまったことが原因の一つだと、考えている。しかし、ここから先は大陸間同士での交易や交流が始まることが予見されている。まだ国家間同士の交易はないが、個人や国お抱えの商業団体が動いている。

そうなると、学が必要になってくる。『お前もまだ餓鬼だ』と言われてしまえば、それまでだが、戦場で拾った命には最後まで面倒を見なければならない。


「ムー。なら、頑張ります」

「あぁ、そうしてくれ」


アルムの言葉にメルは渋々不承不承ながらも頷く。

そんなメルの顔に苦笑いを浮かべながら、アルムは優しく頭を撫でた。


「少し話は変わるが、学園はあいつらほどは厳しくない。というか、あんな厳しい学校があってたまるか。僕がメルたちから話聞かなかったら、わざわざ直接指導していないからな。それはいいとして、メルが今まで学んだことを出せれば、大体は上手くいく。それに、メルが相手にしてきたのは、年上ばかりだ。同年代もいたけども、それもメルにとっては役不足だった。でも、ガレルなら同年代でもメルが満足できる奴らばっかだ」

「……あそこみたいな地獄じゃないなら、頑張ります」


アルムとメルが思い浮かべているのは、ファーレン帝国が運営している学園であった。アルムとしては教師たちに全てを任せていたのだが、ある事情で学園内での厳しさが耳に入り、アルムが視察して罰を与え、学園内に多少の緩さを加えた。それからと言うもの、運営側からの多少の不満はあれども、子供が通う分には問題ない学園に移行していた。

閑話(そんなことは)休題(どうでもいい)。ガレル魔導学園というのは12年前の記憶になるが、アルムが師と仰いだ槍術の先生やゼノンとの会話や書物の中だと、貴族の立場を持っていればいい教育は受けられると言われている。幸い、メルの容姿は優れており、魔力もそれなりに持ち合わせている。それならば、アルムの槍術の師匠であるバドル・ウィル・アウェルトの一筆があれば、メルの立場もそれ相応には安定することだろう。記憶が正しければ、リーヴェスの皇族であり、皇位継承権第二位のお姫様も入学される。護衛の騎士としても大成することだろう。


「頑張れ、メルならできる」


その言葉に嘘はない。どんな状況でもへこたれず、諦めることをしなかった才女。

戦場で拾いあげ、ただの自己満足で育て上げた子供。


「はい、頑張ります」


今度は元気よく返事を返すメル。

カランカラン、と船の鐘が鳴る。それは港に近づいたことを示す合図。

霧がはれ、顔を表したのは、ミグベリア大陸の中でも1、2を争う港街ーーーヴェントス。

船団はゆっくりと速度を落としていく。水平線の先に見えてきた港街は、次第にその全貌を表した。

幾本もの白い帆船が停泊し、石造りの波止場には荷車と人が絶え間なく行き交う。

港街ヴェントス。リーヴェス皇国最大の交易港。

この街は他国からの交易品を集めては皇国中には広げており、その逆もあり皇国中から物を集めては諸外国に輸出をしている。世界各国の商船が集うこの街は、12年前と変わらない賑わいを見せていた。


「すごい………」


港を目の前にしたメルが思わず息を呑む。


「人があんなに」

「ここは皇国の玄関口。情報も、荷物も、ここに集結する。それがヴェントスという街だ」


アルムが懐かしそうに港全体を見渡す。その風景は昔と何一つ変わっていない。唯一変わった所といえば、エルド大陸とヒスイ・カグラ大陸からの商人だろう。異国の言葉が飛び交い、時には殴り合いに発展したりもしているが。露天からは焼き鳥や香辛料の匂いが漂ってくる。

船乗りたちの威勢の良い掛け声。

荷を運ぶ人夫たち。

通りを駆け抜ける子供達の笑い声。

景色だけを見れば、平和そのものだった。

だがーーー多少センスのある人間がこの光景を見れば、微笑むどころか、吐き気を催すか卒倒しかねない。

それだけ、港街全体、大陸全土を覆っている気配が悍ましい物であった。


「変わっていないな、何も」


そう呟きながらも、胸に引っかかる違和感だけは拭えない。


「(それでも、この気配だけは……)」


街は変わっていない。あの頃と何一つ。人々も笑っている。それなのに、大陸全土を覆う薄い霧のような、泥の中を泳いでいるような重苦しい感覚だけが、アルムの意識から離れなかった。


「アルム様?」

「なんでもない」


いくら船上で考えても答えは出ない。ならば、自分の足と目で確かめればいい。そのためにここにきている。

船が岸壁に接岸する。


「着いたぞー!」


船長の言葉と同時に何十隻にもなる船団が港にはいってくる。

縄が投げられ、船が固定される。タラップが下されると同時に、桟橋で待っていた商人たちが次々と船に乗り込んできた。


「荷をおろせ!」

「それを壊すなよ。壊したら、小僧から拳骨がくるからな」

「そいつは皇都行きだ、間違えるなよ!」


港と甲板は一気に喧騒に包まれる。中には少し失礼な言葉が飛んでいたが、それは気にしないことにした。

アルムはメルに目を向けた。

大きな荷物を背中に背負ったメルは、お上がり感が満載ではあった、それも微笑ましいと思い、少し笑みが浮かぶ。


「忘れ物はないな?」

「はい!」

「それじゃ、行こうか」


二人はタラップを降り、12年ぶりに故郷の土を踏み締めた。

その瞬間だった。

ザッーーー。

靴裏から伝わる感触。アルムはわずかに足を止める。


「(……やっぱり)」


アルムの体内に入っている彼らも微かな反応を見せる。

土を踏んだ瞬間、海の上では曖昧であった、違和感がより鮮明になる。

まるで、大地の奥底に、何か巨大なものが眠っているような。それは決して、悪意などではない。ましては殺意などいうものでない。ただ、静かに息を潜めている。そんな異様な存在感。

気配の中で一番近いものは神と呼ばれるものか龍のどちらか。

自分の中に答えが出かかっていることに、誰にも気づかれないように、小さく息を吐いた。


「(気のせいじゃない。土神龍の奥さんがミグベリアにいるとは聞いたことはあるけども)」


アルムが思い出したのは、神と崇められた龍の話だった。

だが、この気配はその龍に近しいものではなかった。ならばと考えるが、証拠が少ない。

間違いなく、ミグベリアで何かが起きている。それも、皇国一国だけの話ではない。大陸全土を巻き込むほどの何かが起きようとしている。


「アルム様?」


考えこみ、少し怖い顔をしているアルムを不思議にメルが呼びかける。


「行こうか」


それ以上は思考を切る。今は推理するだけの情報はない。

まだ、焦る必要はない。学園に入れば、否応なしに事件に巻き込まれる可能性が高い。ならば、その流れに身を任せればいい。

事実だけを積み重ねていけば、自ずと真実という一本の糸は見えてくる。それがアルムのやり方であり、考え方でもあった。


「まずはエンマに向かうのでしょうか?」

「そうだな、先生を焚き付けるには僕自身が行かないとな」


メルの疑問にアルムはそう答え、ヴェントスの街並みへ視線を向けた。

12年ぶりの故郷。

懐かしいという、思う気持ちは確かにある。けれどーーー今は感傷に浸っている場合ではなかった。


「行こう、メル」

「はい」


二人は港から離れた。

背後ではファーレン帝国mの船団がいまだに荷下ろしの最中だった。何十隻もの大型船から運び出される荷物類。

ベリアやガレルから来た他国の商人。

港湾労働者。

皇国兵。

それらが入り乱れ、ヴェントスは12年前と何一つ変わらない活気に満ちている。

だからこそ、不気味であった。街全体には異常らしい異常は見当たらない。

歩きながら、アルムは静かに無意識のうちに周囲を観察していた。

人の顔。

兵士の動き。

商人や町民の会話。

街、街道の様子。

魔力の流れ。

そしてーーー大地。

何もおかしくない。少なくとも、表面上は。


「アルム様」

「ん?」

「怖い顔をしています」

「……そうか?」

「はい」


メルが横からアルムの顔を覗き込む。


「ずっと、考えていますね」

「まぁな、故郷が様変わりしているのに、何も考えないというのは無理な話だ」


メルの疑問にアルムは足を止めることで答えた。そして、ヴェントスの喧騒へとを耳を澄ます。


「変わらない音なんだよ、昔から。ここの喧騒は………」


アルムがそう呟いた瞬間。街道の向かう側から、風に乗って微かに金の音が響いた。それはゾルディス領内の方から聞こえてきた。


「………?アルム様、今の音は………」


メルは音の出所を探るように、両手を耳に当てる。

それはただの鐘の音のようにも聞こえたが、アルムの耳には魔力が不規則に弾けた微小な破裂音に聞こえていた。


「いや………行くぞ」


領内で何が行われているのか。その疑問がアルムの脳裏によぎったが、首を振って歩き出す。

本来の目的地である温泉郷エンマは、この港街からさらに山中へ入った僻地にある。そこにはかつての恩師が身を寄せているはず。

街、国の表向きの平穏の裏で、確実に何かが変わり始めている。

その真実を暴くため、そして大切な者たちの未来を守るため、アルムとメルの足取りはゆっくりと、しかし確実に未来へとつながる道を進んでいくのであった。

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