37 ロブストフェルスの町へ
ロブストフェルスの町はうっすらと雪に覆われていた。石畳の道路の上をガラゴロと車輪を転がして走るのはリヴィアとウォルターの乗っている馬車くらいなもので、すれ違う馬や荷馬車どころか、町を歩く人もほぼいない。
「ここに来るときも思ったけど、本当に人通りが少ないね。静かで落ち着いてるっていうか……」
「まあ、雪の降る季節だからな。用がない限り、皆外には出ないな」
「そうなんだ」
「その代わりに、ほら」
と、ウォルターが外を指さす。屋根から突き出た煙突からモクモクと煙が噴き出ていた。
「家の中に人がいる場合はああして煙突から煙が上がってる。寒い冬でもあれを見ると、ああ、人がいるなって思うんだよな」
「へぇ……」
そう相槌を打って、リヴィアはウォルターとともに風に揺らめく煙突の煙を眺めた。
家の外は無機質な石畳。家の白い壁とそれを支える黒い組木。黒い屋根にうっすらと雪が積もり、吐く息は白く、吸い込んだ空気は刺すように冷たい。
そこから逃れるように人は家の中に入る。部屋には火の灯った暖炉。それによって温められた空気が髪や服に付いた雪を解かすのだろう。
温かな場所を求めて、人はみな暖炉のある部屋に集まる。
「……なんか、いいね」
「だろ?」
ふ、とウォルターの顔がほころぶ。それにつられてリヴィアも頬を緩めた。
ガラゴロと馬車は町を往く。精巧な作りのロブストフェルスの馬車は扉や窓から隙間風が吹き込むことはなく、外の冷たい空気を完全に遮断している。
ここは温かい。温石などなくとも凍えることはないだろう。
♢♦♢♦♢♦
「まずはここだな」
ガラゴロと石畳の上を走っていた馬車が町の端の宿屋の前で止まる。人の来ない冬でも営業中のようで、煙突から煙が上がっていた。
ガチャン、と馬車の扉を開いて、ウォルターが先に降りた。
彼に続いて、リヴィアも馬車のステップに足を乗せる。
「雪で滑って転ぶなよ」
「だ、大丈夫だよ。……多分」
ウォルターの手を取り、リヴィアは雪の積もったロブストフェルスの町に降りた。
石畳の上の雪はわずかに溶けており、水と雪と氷が入り混じった状態。石畳の凹凸に水が入り込み、気を付けていないと滑って転んでしまうだろう。
初めて歩く、よく滑る道の上。リヴィアはウォルターの手を離せないままぎゅっと握りながら、恐る恐る歩き出した。そんなリヴィアを軽く支えながら、ウォルターは慣れた様子で相手のペースに合わせて歩き出す。
ノロノロとゆっくりと進み、ようやくリヴィアは宿屋の前へとたどり着いた。
宿の名前は『春告げ鳥の丘』。看板にはコマドリの絵が描かれている。
「イルマはいるか?」
ウォルターはためらいもなく宿の扉を開け、開口一番にそう言った。
宿の一階は食堂になっているようで、混み時ではないがポツポツとお客がいる。そこにいる全員が暖を取りに来たようで、暖炉周りに人が集まり、湯気の立ち上るカップや器を手元に置いている人がほとんどだった。
食堂にいた多くの人の視線がウォルターとリヴィアに刺さる。その内の一人、カウンターの中でスープを器に注いでいた年配の女性がパッと振り返った。
「あらあら、まあ! ウォルター様! お久しぶりでございます。春までおいでにならないかと思っていましたのに」
小麦色の髪に、落ち着いた茶色の瞳。少し細身の彼女が纏う雰囲気は、外の冷たい空気を感じさせないくらいに暖かくて心地が良い。
イルマと呼ばれた女性はウォルターに目を向ける。と、その背後にいるリヴィアに気づいたのか、すぐにその顔を輝かせた。
「あらあらあら、可愛らしいお嬢さん! 新しく来た騎士の子かしら!? どうぞどうぞ、上がってくださいな! ……あら? でも、ウォルター様がいらっしゃるということは個室の方がよろしいのかしら?」
「そうだな。そっちで頼む」
「わかりました。外は寒かったでしょう? 温かいお茶をお持ちしますので、少しお待ちくださいね」
「ああ。……先に行こうか」
慣れた手つきでお茶を用意し始めるイルマに一声かけて、ウォルターはリヴィアを促して食堂を通り抜けた。食堂から続く廊下にはいくつか部屋があるが、誰かがいる様子はない。どうやら宿泊施設は全て上の階にあるようだ。
食堂で浴びていた注目から解放されて、リヴィアはホッと息を吐く。ウォルターがいるから下手な心配はしていないが、やはりまだまだ衆目に晒されると体に緊張が走る。
「悪い。なるべく人の少ない時間帯を狙ったんだがな」
「え、あ、大丈夫。そこまで人が多かったわけじゃなかったし。えっと、皆、興味本位でこっちを見てただけだってわかるし……」
ポツポツとリヴィアが言い訳めいた言葉を発しているうちに、扉のないこじんまりとした部屋にたどり着く。
部屋に入る前に、ウォルターがリヴィアの方をちらりと振り返った。
「無理はするなよ」
「……うん」
ウォルターが部屋の中にある椅子に座るように促すと、リヴィアはそれに従って座った。
それからしばらくして、お茶とお茶菓子を持ってイルマが部屋に入ってくる。コト、コト、とリヴィアたちの前にカップを置きながら、イルマも席に着いた。
「さあさあ、お茶が入りましたよ。冷めないうちにどうぞ。こちらは我が宿自慢のマドレーヌでございます。バターの香りがいいと評判なんですよ」
「あ、ありがとうございます」
ハキハキとしゃべりながら、リヴィアにお茶とお菓子を進めてくるイルマ。先ほども思ったが、イルマの雰囲気にはどこか既視感を覚えるものがある。
「それにしても本当に可愛らしいお嬢さん。お嬢さんも騎士なら、うちの娘ともう話したかしら? あの子も私とおんなじで可愛らしい子が好きだから、きっとすぐにでもあなたに話しかけに行ったと思うわ」
「娘さん、ですか?」
「ええ、エレナと言うのよ」
さらりと飛び出た名前に、リヴィアは驚いて目を見開いた。が、その事実もどこかストンと腑に落ちる。似ているのだ。その身に纏う雰囲気も、顔つきも、話し方も。
先ほどから抱いていた既視感の正体はこれだったか、とリヴィアは納得した。
「えと、あの、……エレナ、さんには、すごくよくしてもらっています。本当に、いつも助けられていてばかりで、一緒にいてすごく安心できる方です」
「あら、本当? だったら、エレナと呼んであげた方が喜ぶわよ。あの子は距離を置かれるのを嫌がる子だから」
「あの……。はい、本人からも言われました」
「うふふ。そうでしょう、そうでしょう? あの子と仲良くしてあげてね」
「はい」
いつも明るくて、陽だまりのようなエレナの雰囲気はきっとこの母親譲りなのだろう。どれもこれもぴったりだ。『春告げ鳥の丘』という宿の名前も、寒い冬の時期に触れたくなるこの人の温かさも。
「イルマ、そろそろいいか? 大した用事と言うほどでもないんだが」
「あら、ごめんなさいね。私ったら、ウォルター様を蔑ろにして」
リヴィアとイルマの会話が一段落ついたのを見て、ウォルターが声をかける。気心の知れた仲だからか、悪びれた様子もなくクスクスと笑っているイルマに、ウォルターは一枚の封筒を差し出した。
「エレナからの手紙だ」
「はい。確かに受け取りました」
今、ロブストフェルスの騎士は休みを取れるような状況ではない。勤務としての休息をとることはできるが、自分の家に帰って家族と過ごすための長期休暇を取ることは難しいのだ。
そんな騎士が少しでも家族と交流を持つために、ウォルターは手紙を預かってきた。普段は郵便屋に任せているが、知り合いに自分の家族の様子を見てきてもらう方が安心できる人もいる。休暇を取った騎士に手紙を託す者は昔から多かったらしい。
イルマはリヴィアとウォルターの前で手紙を開けると、ゆっくりと読み進める。イルマは手紙に視線を落とすと、静かに目で文字を追い、時折、ふふっと笑い声をあげた。
それから最後まで読み終えたのか、イルマは手紙を折りたたんで顔を上げた。
「最近、エレナが大怪我をしたと聞きましたが、元気そうで安心しました。ウォルター様から見ても、エレナは大丈夫そうですか?」
「ああ。毎日楽しそうだよ」
「それはよかった。手紙にも書いてありましたが、ウォルター様はうちの娘に何やら新しい仕事を任せられたようで。あの子は喜んでいたんですけれど、私はうちの娘で大丈夫かしら、と。その、……エレナは新しい仕事で、何か粗相はしておりませんか? ほら、あの子は張り切りすぎるところがあるでしょう? 気合を入れすぎてから回ったり、やりすぎたり、何かとんでもない失敗をしていないかと不安で……」
そのとんでもない失敗と言うのを思い出しているのか、イルマは少々渋い顔をする。
イルマの複雑そうな顔を見て、リヴィアはウォルターに目線を向けた。すると、ウォルターもリヴィアと似たようなことを思っていたようで、こちらを向いた彼の黒い瞳と目が合う。
それから、ふっとウォルターは微笑んだ。
「いいや。俺はエレナに任せてよかったと思っているよ」
「……そう。そうですか。それならよかった」
ウォルターの言葉を聞いて、イルマはホッと安心したように肩の力を抜いた。
「やっぱりこういうのは傍にいる方から様子を聞くのが一番ですね。手紙だとどうしても、強がってるんじゃないか、誤魔化してるんじゃないかと疑ってしまって。……ウォルター様、私もエレナに手紙を書き溜めてありますの。今、取ってまいりますので、お待ちいただいてもよろしいですか?」
「ああ」
イルマは一言断りを入れてから席を立った。エレナ宛の手紙を取りに行ったイルマを待つ間、リヴィアは出されたお茶に口をつける。
飲んだことのない香りの茶葉だが、温かくてほっとする。ウォルターの方を見れば、彼は出されたマドレーヌを頬張っている。
ゆっくりと流れるような待ち時間の中で、リヴィアはぽつりと呟いた。
「あの、……イルマさんの前で言っていいことなのかどうか、わからなかったけど」
「うん」
「私も、エレナが護衛でよかったと思ってるよ」
エレナに任された新しい仕事。それはきっと『巫女姫の護衛』のことだろう。けれど、エレナはそれをあえてぼかして手紙に書いた。きっと、リヴィアの身の安全のために。
ロブストフェルスの騎士や屋敷の人たちはみな、リヴィアが巫女姫だと知っている。
だが、ロブストフェルスの領民にその事実は知らされていないのだろう。巫女姫がロブストフェルスに来ていることを知っているかどうかも怪しい。実際にイルマはリヴィアのことを新しい騎士のお嬢さんだと思っていた。
きっと町の人はみな、リヴィアや巫女姫のことを知らない。それに伴う騎士の仕事のことも知らない。
エレナがどれだけ頑張っても、その全てを彼女の母親が知ることはない。エレナにどれだけ感謝していても、それをリヴィアが彼女の母親に伝えるのはおかしなことのように見えるのだ。
そこにあるのに見えない。言いたくても言えない。そんなものがきっと、ここにはある。
だから。
「ありがとう。エレナを私の護衛にしてくれて」
リヴィアがウォルターを見上げてそう言えば、彼はしばらくリヴィアを見つめたあと、ふい、とそっぽを向いた。
「そういうのは、俺じゃなくてエレナに言え」
「うん。帰ったら、エレナにも言うね」
言える時にはちゃんと言いたいのだ。ちゃんと応えてくれる人だとわかっているときには、特に。
「マドレーヌ、美味しい?」
「美味い」
二つめに手を伸ばすウォルターを見て、リヴィアもマドレーヌを手に取る。少しだけかじってみれば、バターの香りが口の中に広がる。
「美味しい。ヒューロットが好きそう」
「土産に買って帰るときは多めに買った方がいいぞ。アイツは十個くらい平気で食う」
「実体験?」
「ああ」
ウォルターと他愛無い会話をして、リヴィアはクスクスと笑った。
やがて、イルマが紙の束を抱えて戻ってきた。きっとそれほどまでに娘に対して伝えたいことがあるのだろう。
その紙の束を預かり、ウォルターは席を立つ。それに続いてリヴィアも席を立った。
手紙を預かっているのはエレナからだけではない。まだまだ回らなければならない家がある。
「それじゃあ、今日はこれで。多分、森の館に戻る時にもう一度寄ると思う」
「はいはい。マドレーヌを焼いてお待ちしておりますね」
きっとこれまでにも何度かお土産を買って帰ったことがあるのだろう。イルマとウォルターのやり取りはどこか手慣れていた。
「それじゃあ、お嬢さん。また来てね」
「はい。必ず」
お土産として買った少し多めのマドレーヌを受け取り、リヴィアはイルマとそう約束する。
ウォルターが馬車に次の行先を告げている間に、イルマは最後にこっそりとリヴィアに告げた。
「エレナのこと、よろしくね。大怪我をしても大丈夫って誤魔化したり、隠し事をしてそれを抱え込んだりすることもある子だから。いつも明るくて元気な子だから、落ち込む心配はしてないんだけど……」
イルマは少し困ったように微笑んだ。
「やっぱり気になるのよ。私はあの子の母親だから」




