34 ロブストフェルス領領主
「初めまして。ロブストフェルス領を預かります、オーウェン・リブルス・ロブストフェルスと申します」
そういって、ロブストフェルス領領主、オーウェンはもう一度深々とリヴィアに頭を下げる。だが、リヴィアからしてみれば、それどころではない。
『おかえり、ウォルター』
確かに目の前の彼はウォルターに向かってそう言ったのだ。
リヴィアが唖然としながらウォルターを見上げれば、彼はオーウェンに向かって手を向ける。
「兄だ」
「兄……。……お兄さま!?」
リヴィアが慌ててオーウェンに視線を向ければ、彼は柔和に微笑んだ。
黒い髪に黒い瞳はウォルターと同じ。背は弟よりも少し低い。精悍な顔つきで目に傷があるウォルターとは違い、相手に穏やかな印象を抱かせる落ち着いた雰囲気と顔つきをしている。
似ていると言われれば似ているような、違うと言われればそう思ってしまうような、そんななんとも言い難い兄弟がこの場に並んでいた。
リヴィアはウォルターとオーウェンを交互に見比べて、それからハッと気づいたようにすぐにオーウェンに頭を下げた。
「あ、あの、初めまして。私、リヴィア・フィリグランツ・ブラウイーレと申します」
相手から名乗られたのに、すぐに名乗り返せなかったのはオーウェンとウォルターの関係性に驚いていたからだ。
いや、そもそも、少し考えればわかるはずだったのだ。先ほど老執事から『坊ちゃま』と呼ばれていたし、ウォルターの家名はロブストフェルスだ。あの館を預かる者がロブストフェルスの系列でないはずがない。
どうしてすぐそれに気づかなかったのだろう。
「顔を上げていただいて大丈夫ですよ。……などと王族の方に言うのは不敬かもしれませんが」
オーウェンの優し気な声にリヴィアは恐る恐る顔を上げる。彼の顔には特に怒った様子もなく、困惑した感じもない。ニコニコと浮かべている笑顔はリヴィアの緊張を優しくほぐす。
「弟から色々と伺っております。姫君として扱うよりも普通の少女として扱った方がよい、とも。とはいえ、本人の許可も取らずそのような扱いをするのは失礼というもの。リヴィア様はどちらがよろしいですか?」
「えっ、えっと……。私は普通に扱っていただければ、それで……」
「じゃあ、『リヴィアちゃん』で。僕の事はどうぞお好きに呼んでください」
「えっ、あ、はい」
立ち話もなんだから、とオーウェンはソファに座るように二人を促す。
柔らかい雰囲気とは裏腹にどこか芯のあるようなオーウェンに緊張しながらも、リヴィアはストンとソファに腰かけた。
老執事が紅茶とお茶菓子を持ってくる。けれども、リヴィアにはそれに口をつける勇気はない。
自分の兄と対峙したときや、エルシエルの三人と初めて顔を合わせたときとはまた違う緊張感がこの場に流れていた。
こちらを刺すような敵意でもなく、見定めるような視線でもない。柔らかく包み込むようで、それでもこれが優しさだときっぱりと断定することができないようなもの。
気が抜けそうで、けれども気を抜いたら一気に何かがダメになってしまいそうな雰囲気。リヴィアは身を竦ませながら、置かれた紅茶に視線を落とす。
「兄貴」
ウォルターがオーウェンに声をかける。
オーウェンは眼鏡の奥の黒い瞳で弟を見ると、ふっと雰囲気を和らげた。
「……そうだね。――、改めまして。ウォルターの兄、オーウェン・リブルス・ロブストフェルスです。リヴィアちゃんのお噂はかねがね」
「え、あ、はい」
「それで。パーティーがしたい、と」
オーウェンがじっとリヴィアを見る。その視線にリヴィアは一瞬怯んだが、すぐに姿勢を正した。
「はい」
身勝手な我儘だということは自分でもよくわかっている。恥なんてもうかいた。後ろめたさも抱いた。そのうえで色んな人から背中を押してもらった。
こうなってしまえば、もう引くことなんてできない。
「ロブストフェルスの領主たるオーウェン様には多大なるご迷惑をかけていると自覚しております。此度の件、エルシエルの件、私が逃げ出した件。それ以前に、『役立たずの巫女姫』である私がロブストフェルスにやってきたことで、私はロブストフェルスの皆様方に大きな失望を抱かせている」
「それを自覚していて、なお我々に何かを望む、と?」
「はい」
「何故?」
オーウェンからは敵意を感じない。何かを見定めるような視線も怒りも感じない。ただ柔らかく優しい雰囲気。それなのに何故か、気を抜いてはいけないと感じる。
「私の義務を果たすためです」
もうこれ以上、引くことはできない。誰から何を言われようとも、どれだけ自分が情けなくて傷つこうとも、後ろに引いて下がることなんてできない。
「『巫女姫』として、『浄化の乙女』として、この地の瘴気を浄化する義務があります。その義務を果たすために必要なのです」
「その対価を我々に払え、と?」
「……はい」
呆れられても仕方がない。自分でもどれだけ馬鹿らしいことなのかわかっている。
けれど、もう、自分一人で何とかできることではないことも理解している。誰かから手を借りなければ、誰かから助けてもらわなければ、リヴィアは自分の義務一つ果たせない。
気を抜けば情けなさで泣き出してしまいそうだが、きっとそれも許されない。
そんなリヴィアを見て、オーウェンはニコリと微笑んだ。
「自覚があるのなら、それでいいのです」
オーウェンがそう言ったのと同時に、扉が大きくノックされる。
ガチャリと扉が開いたその先には、落ち着いた雰囲気のドレスを纏う年配の女性が立っていた。白髪交じりの黒髪を綺麗にまとめている彼女は、キッ、とその緑の目をリヴィアたちに向けた。
「話が長い! とうに決まったものをいつまでぐずぐずと話しているのですか!」
「申し訳ありません、母上」
オーウェンが困り顔で言う。そんな息子の謝罪に目もくれず、彼女はリヴィアに視線を向ける。
「お初にお目にかかります、リヴィア様。私は前ロブストフェルス領領主の妻、フランソワ・レイビス・ロブストフェルスと申します。以後、お見知りおきを」
スッと頭を下げる彼女の所作はその年に見合った気品のあるもの。突如として現れたフランソワに、リヴィアも慌てて頭を下げる。
「あ、えと、初めまして。リヴィア・フィリグランツ・ブラウイーレと申します」
パッと頭を上げたリヴィアは恐る恐るフランソワのことを見る。前ロブストフェルス領領主の妻でオーウェンの母ということは、ウォルターの母でもあるということ。
ちらりとウォルターを見上げれば、彼はまたなんとも言えないような顔をしている。母親を苦手としているのか何なのか。リヴィアが思い悩んでいるうちに、カッカッとヒールを鳴らしてフランソワがリヴィアの前に立った。
「お立ちなさい」
「え、あ、はい……」
フランソワに言われ、リヴィアはソファから恐る恐る立ち上がる。目線はフランソワの方が少し上だが、ヒールの分を考えればほぼリヴィアと同じくらいの身長かもしれない。
ふむ、とフランソワは鼻を鳴らし、おもむろにぎゅっとリヴィアの腰を掴んだ。
「えっ、あの……!」
「これなら大丈夫そうね……」
フランソワはぽすぽすとリヴィアの体のあちこちを叩き、リヴィアに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟くと、パッとウォルターとオーウェンを振り返る。
「話が終わったのであれば、彼女を借りていくわ」
「あ、あの……!」
リヴィアが何かを言おうとするのを、フランソワは視線で遮る。男二人にも邪魔できないような雰囲気のまま、彼女は話し始めた。
「パーティーに初めて参加するということで、リヴィア様の荷物を少々拝見させていただきました。もちろん、リヴィア様の乳母とともに。結果、あなたの持つドレスは全て白ばかり。華やかなパーティーにふさわしいものは一つもない。本来であればドレスの一つも仕立てるところですが、今はもう時間がありません。リヴィア様には私の持っているドレスの中からどれかを選んで着てもらうことになります。それでよろしいかしら?」
「え、あの、……はい」
「よろしい。では、手直しの時間もあるので、早く移動してちょうだい」
「あ、あの……」
「お袋」
状況についていけずリヴィアが流されるようにフランソワに連れていかれそうになったとき、ウォルターが助け船を出した。
「もう少し落ち着いて話すことはできないか? まだここに着いたばかりで慌ただしいだろう?」
フランソワはそんなウォルターを見ると、ツ、とその緑色の目を細めた。
「慌ただしい? ええ。慌ただしいですよ。何せ、数少ないメイドがあなたのところに取られ、その上パーティーの準備もしているのですから。今、うちの使用人は普段の業務に加え、いつも以上に働いてもらっているところです。そんなときにゆっくりのんびりとすることでうちのお針子に負担をかけたいなどとあなたは言うのですか?」
フランソワの言い分に、ウォルターはぐっと言葉を詰まらせる。フランソワは次にオーウェンの方に目を向けた。
「あなたもあなたです。決まった話をいつまでも蒸し返して。ここで彼女が反省してパーティーを行わないなどと言っても、もう準備は進んでいるのですよ。それも、本来ならもっと時間をかけて準備すべきなのに、あなたがなるべく急ぎでと言うから。ウォルターの話からある程度の為人は聞いているでしょう。くだらない話をするくらいなら、やるべきことをやりなさいな」
「……はい、申し訳ありません」
男性二人にお説教をかますフランソワにリヴィアが呆然として見ていると、いつの間にか隣にいたウォルターがこっそりと声をかけてきた。
「……すまん」
「えっ! あ、えっと、大丈夫。フランソワさんの言ってることは、間違ってないと思うし……」
「リヴィア様、行きますよ」
「あっ、はい!」
ウォルターとこそこそと話していると、すぐにフランソワの声が飛んでくる。本当にバタバタと慌ただしいが、全てフランソワの言う通りなのだろう。
ならば、この我儘を言い出したリヴィアもそれに付き合う必要がある。
「……っと! お袋、最後にもう一つ!」
リヴィアがフランソワに連れ立って行こうとしたとき、ウォルターがフランソワを引き止めた。フランソワが迷惑そうな顔をしてウォルターを見たが、彼はそれに意に介さずリヴィアから少しだけ離れた位置で二人で話し始めた。
何の話をしているのだろう、とリヴィアが二人を見ていると、オーウェンがリヴィアのすぐそばまでやってきた。
「僕からも、最後に一つだけいいですか?」
「あ、はい」
リヴィアがオーウェンを見上げると、彼はにこやかな笑みを浮かべながらも神妙な空気を纏っている。
「先ほど、あなたが義務を果たすために我々が対価を支払う、という話をしましたが、もし我々が対価を支払えないと言っていたら、あなたはどうしていましたか?」
対価を支払えない。
リヴィアが瘴気を浄化するために、パーティーを開く。だが、そもそもパーティーを開く余裕を彼らが持っていなかったら、どうしていたか。
その状況を一瞬考えて、リヴィアは少しだけ目を伏せた。
「……ごめんなさい。今でも私には、よくわかりません」
その答えを聞いて、オーウェンは静かに目を閉じた。
「申し訳ありません。失礼なことをお聞きました。今の質問は忘れてください」
「えっ、いいえ!」
オーウェンが深く頭を下げるところを見て、リヴィアも同じように頭を下げる。
そんな二人の傍にフランソワが戻ってくる。
「二人で何をなさっているのです? 行きますよ、リヴィア様」
「あ、はい。それでは失礼します」
リヴィアはオーウェンに軽く頭を下げると、さっさと部屋から出ていってしまったフランソワを追う。
そんな二人を見送るオーウェンの下にウォルターが溜息をつきながらやってきた。
「母上に何の話があったんだい、ウォルター?」
「いや。別に大した話じゃないんだが、リヴィアに好きな色のドレスを選ばせてやってほしい、とだけ。昔っから女の子を欲しがってたし、着せ替え人形にされるんじゃないかっていう心配もあってな」
「それで、返事は?」
「『い・や』だそうだ。似合わないなら似合わないとはっきりそう言う、と」
「だろうね」
やれやれと溜息をつきながら、オーウェンはウォルターと二人再びソファに腰かける。ウォルターは机の上に置かれた紅茶に口をつけて一息つくと、目の前に座る兄を見つめた。
「それで、そっちは? 最後にリヴィアと話していただろう?」
「ああ。彼女の言う義務について確認をしたかっただけ。だけど、ひどいことを聞いちゃったなぁ」
オーウェンは悲し気に目を伏せる。
「『今でも』、かぁ……。昔から『義務を果たしたい』と伝えても、叶えられない状況にあったんだろうね」
眼鏡が日の光に反射する。伏せられたオーウェンの目からは何を考えているかは伺えない。
だが、それでもウォルターにはオーウェンと話し合わなければならないことがあった。
「兄貴にいくつか聞きたいことがある」
ウォルターが切り出せば、オーウェンも顔を上げる。
「そうだね。僕の方からもいくつか聞きたいことがあるよ」




