32 相談
「大丈夫!?」
リヴィアはエレナを伴って執務室へ行き、扉を開けるなりそう言った。カチャンと扉を開けた先にいたのは、腕に包帯を巻いたウォルターとヒューロット。
それを見てリヴィアはウォルターに駆け寄ると、パッと彼の腕に手を伸ばす。が、彼は難なくリヴィアの手をサッと躱した。
「な、なんで避けるの?」
「そりゃあ、避けるだろ。お前が回復魔法を使って治そうとしてくるんだから」
「ち、治療することは何もおかしくないと思う」
「それは正しいが、治療すべきは今じゃない。回復魔法をかけられると眠くなるんだ。まだやらなきゃならない後処理が残ってるんだから、寝てるわけにはいかないだろ」
右に、左に、と腕を振り回す軽いじゃれあいのようなやり取り。その中できちんとした理由を言われてしまえば、リヴィアが彼に無理強いをすることはできない。
完全に納得はしていないが、リヴィアは渋々と手を下ろした。それを見て、ウォルターも動きを止める。と、同時に、執務室にいたヒューロットがリヴィアに近づき、肩に顎を乗せてくる。
ずし、とヒューロットの体重がかかり、リヴィアは少しだけよろめく。そんなことを一切気にせず、ヒューロットはリヴィアに囁いた。
「隊長はさ、あの時リヴィアに回復魔法をかけられてから、少しビビってるんだよね。自分が寝てる間にまたリヴィアがどっか行っちゃったらどうしようって」
「余計なことは言わなくていい」
「だって、事実じゃん」
無言のエレナから子猫のように首根っこを掴まれて、ヒューロットはべり、とリヴィアから引き離され、ソファの方にぽんと投げられる。彼はエレナの雑な扱いに怒ることもなく、そのままごろりとソファの上に転がった。
ヒューロットの言葉を聞いて、リヴィアはソファからウォルターに目を向ける。彼はリヴィアからの視線を受けて、ふい、と目を逸らした。
「……あの、ごめん」
「何がだ?」
「その、レイが、怖がってるって知らなくて……」
「別に怖がってはいないが」
ウォルターはリヴィアの言葉を即座に否定する。だが、少し強い口調になったのを気にしたのか、すぐに言葉を付け足した。
「……確かに、治療が必要なことはわかってる。だが、それは一旦事が片付いてからだ。わかるな?」
「うん」
「なら、いい」
そう言って、ウォルターはリヴィアにソファに座るように促す。リヴィアはヒューロットの向かい側のソファに座り、ウォルターが執務机の椅子に座る。
「魔物の討伐は、大丈夫だったの?」
「ああ。前回みたいに狼の群れが出たわけじゃないからな。大した怪我人もなく終わったよ」
それを聞いて、リヴィアはホッと息をつく。ウォルターの腕に包帯が巻かれているが、おそらく前回よりひどい怪我ではなのだろう。いいことではないのは確かだが、ひどく悲観するようなことでもない。
「お前の方はどうだった? 手がかりは掴めたと言っていただろ?」
魔物の報告を軽く済ませたウォルターは、今度は逆にリヴィアの方の状況を聞いてくる。一瞬、リヴィアの言葉は詰まった。
「……うん。手がかりは掴めたんだけど、どうしていいかわからなくて……」
「何か、好きなものがどうとかって話をしてなかった? あと、考えてることを忘れた方がいい、とか」
「うん。……ん?」
ヒューロットの言葉にリヴィアは頷いたが、どこか違和感を感じて顔をあげた。
忘れた方がいい。それは浄化をする際、ココネについて考えていたときの事だろうが、その場にヒューロットはいなかったはずだ。どうしてそのことをヒューロットが知っているのだろう。
それがリヴィアの表情に出ていたのか、ヒューロットはあっさりと答える。
「だって、通信機で大体聞いてたもん」
「…………えっ?」
通信機。通信用の魔道具。確かにそれを使えば、リヴィアとアデルが何を話していたか聞くことができる。が、リヴィアにはその魔道具を使った記憶がない。一体どうやって、とリヴィアが疑問に思った瞬間、背後からくぐもったようなエレナの声が聞こえた。
「も、申し訳ありません、リヴィア様。私がやりました……」
ぐぐぐ、と重石を乗せられたような声のエレナに、リヴィアはパッと振り返る。エレナは苦悶の表情に顔を歪めながら、自分の首から下げている通信魔道具をリヴィアの前に掲げた。
「浄化の魔法を使うためには、専属魔導士のヒューロットも会話に参加した方がいいって言われて……。でも、あのお三方はどうもリヴィア様以外とはあまりお話したくないようで……」
「実はオレ、初日に話しかけに行ったんだよね。でも、振られちゃった。浄化の魔法について聞く前に門前払い。だから、リヴィアとどんな会話してるかだけでも聞けないかなって」
「すみません! ほんっとうにすみません!」
しれっとしているヒューロットと、真剣に謝るエレナ。首謀者はどう考えてもヒューロットだろうが、全力で謝ってるのはエレナだけだ。
リヴィアは二人を交互に見て、最終的にウォルターの方に顔を向けた。ウォルターがサッと顔を背けたことから、それは彼公認の事だったのだろう。
「えっと……」
どうしたものか、とリヴィアは再びエレナに顔を向ける。彼女は普段よりも顔色を悪くしながらも、ペコペコと頭を下げる。
「ほんっとうにすみません、リヴィア様! なんか、やっててだんだん申し訳なくなってきて、何も話せなくなって……」
「だから、今日は静かだったんだ」
森の中にいたときから、エレナがなんとなく静かだな、とは思っていた。エルシエルの三人がいたから邪魔をしないようにしていたのかと思っていたが、どうやら別の理由があったらしい。
ひたすら謝るエレナが不憫に思えたのか、ウォルターも声を上げた。
「悪い。どうにもあの三人は信用ならなくてな……」
「ううん。私は大丈夫だから。でも、アデルたちには後で私が謝っておくね」
「いや、リヴィア様だけに謝らせるわけには! 私が土下座でもなんでもしますから!」
「ごめんねー」
「アンタはもうちょっとちゃんと謝って!」
ワイワイと騒ぐエレナとヒューロットはもういつも通りの感じだ。普段通りでなさそうなのは、少しだけバツの悪そうな顔をしたウォルターだけ。
「……悪い。俺からも後でちゃんと謝る」
「うん。……でも、三人ともそんなに怒るかなぁ。ジャッドは怒りそうだけど、アデルとセルシュは何も言わないと思う」
「いや、アデルはこれをネタにして強請ってくるだろ。だからと言って、謝罪しないわけにもいかないが……」
そうかな、とリヴィアはアデルの様子を思い出すが、彼女がそんなことをするとは思えない。そもそもアデルがロブストフェルスに何かを要求するとは思えなかった。
そんなリヴィアとは正反対に、ウォルターにはアデルの別の顔が浮かんでいるようだった。彼はアデルが何を要求してくるのかなんとなく浮かんでいるようで、きゅ、と眉間にしわを寄せている。
だが、どうして皆がそこまで深刻そうな顔をしているのか、リヴィアにはよくわからない。
「私がここで皆にアデルたちと話したことを相談したら、結局はおんなじなんじゃないの?」
「いや、誰に何を話すかは自分で考えて決めるのが普通だ。他人にどれだけ心を開いているか、どれだけその相手を信用しているか、そういうことにも大きく関わる。盗聴がバレたら普通は一瞬で信用が地に落ちる。まあ、相手が俺たちをそこまで信用しているとも思ってないが」
だからといってなぁ、と宙を仰ぐウォルター。彼もそこまで悩むことがあるのか、とリヴィアはそんな彼をじっと見つめていた。
「ま、怒られたときのことは怒られたときに考えるってことでいいじゃん。……それで、リヴィアが掴んだ手がかりって何なの? 会話を聞いてるだけじゃイマイチわからなかったんだよね」
ヒューロットはガバリとソファから起き上がると、リヴィアの方に体を近づけた。
ある意味楽観的と言うべきか、あまり深刻に考えずにヒューロットは話題を元に戻す。他人の話を盗聴しておいて、こうも簡単に開き直れるのは彼の才能なのかもしれない。
とはいえ、今ここで三人への謝罪について話していても仕方がない。
盗聴されていたのであれば、あの時のことを話す手間が省けるわけで、そういう意味では正解だったのかもしれない。
リヴィアは掴んだ手がかりのことを話すべく、ジャッドが瘴気を浄化したときのことを思い出した。
「……えっと。今日、ジャッドが瘴気を浄化するところを見せてもらって、その時に思ったの。ジャッドはすごく素敵だなぁって」
リヴィアの頭の中に思い浮かぶのは、バイオリンを弾くジャッドの姿。一音一音を大切に弾くその姿はかっこよく映り、ジャッドの浮かべたその笑みにリヴィアは見惚れた。
「ジャッドはすごく楽しそうで、本当に音楽が好きなんだなって思ったの。それで、たぶん、アデルが言ってた『愛』が瘴気を浄化するっていうのはこういうことなんだなって」
ジャッドのあの笑顔を見ると、リヴィアも同じような気分になれる。
好きなものを好きだと言える人は素敵だ。楽しいを全身で表している人を見ると、こちらも楽しくなる。
でも、とリヴィアはわずかに目を伏せる。
「じゃあ、ジャッドが浮かべたようなあの笑顔を、私は浮かべられるのかって思ったら、何も想像もできなくて。初日にアデルが質問してきたみたいに、好きなものを考えようとしてもそれもよくわからなくて。……ジャッドは音楽に触れているときが楽しそうだった。じゃあ、私にとっての『それ』は何だろうって、思って」
リヴィアは軽く自分の両手を組んだ。
「どうしたらいいんだろう、ってところで、止まってる」
リヴィアの相談に、全員が一瞬静まり返る。
一番最初に口を開いたのはヒューロットだった。
「抽象的過ぎて、よくわかんない」
「うっ……」
バッサリと言い切ったヒューロットに、リヴィアは言葉を詰まらせた。
確かにヒューロットの言うことはもっともだろう。リヴィアも最初に説明を受けたときは全く理解ができなかったし、何をどうすればいいか全くわからなかった。
リヴィアが瘴気の浄化について理解したのは、ジャッドの演奏を聞いたあとだ。ジャッドが心の底から音楽を楽しんでいるのを見て、彼女のあの笑顔を見て初めて理解した。
通信機から盗聴していただけのヒューロットにはわからないだろう。
リヴィアは助けを求めるように、エレナの方を向く。リヴィアと同じくジャッドの演奏を聞いていたエレナなら、何かわかってくれるかもしれない。
エレナは、うーん、と顎に手を当てて、首をかしげる。
「確かにジャッド様は楽しそうでしたけど……、リヴィア様もジャッド様の演奏を楽しんでませんでした? 楽しむことが瘴気の浄化に繋がるなら、リヴィア様はもう瘴気を浄化できるのでは?」
「えっ!? ……えっと、よくわかんない、けど……、できる感じはしないかも……」
まさかの方向から入ったフォローを、リヴィアは慌てて否定した。
アデルは瘴気の浄化ができない原因はストレスだと言っていた。それはつまり心の持ち様と関係するのだろう。
なら、今のリヴィアには瘴気を浄化できない。瘴気を浄化できていないときと、心境が何も変わった感じがしないのだから。
「てか、好きなものとか楽しいものとかって何? オレ、よくわかんないんだけど」
「えっと……、それが私もよくわからなくて……。ジャッドが言ってたんだけど、好きなものがわからないなら、色々と試してみるといいって。なにか、その、何がいいのか、全然わかんないんだけど……」
「なんか不安になるね、その答え」
ヒューロットの端的な言葉に、リヴィアはもう一度、うっ、と言葉を詰まらせる。
だが、本当にリヴィアにはわからないのだ。
自分は何が好きなのか。何に心を惹かれるのか。リヴィアには自分の心が少しもわからない。
楽しむことは義務ではない、とアデルは言っていた。けれど、リヴィアが巫女姫である以上、『浄化の乙女』である以上、何かを楽しみ、愛すことは必須なのではなかろうか。
音楽に触れて、本を読んで、お菓子を作ってみたりして。色んなものに手をだして自分が好きなものを見つける。
何でもいいから、手当たり次第に。
そうすれば、自分が何を愛せるか、わかるのだろうか。
「何でもいいから、楽しめるものを見つけなきゃ……」
すぐには答えの見つからないもの。けれど、絶対に見つけなければいけないもの。
ぽつりと呟かれたリヴィアの声に、彼の低い声が答えた。
「なら、まずはお前のやってみたかったことをすればいいんじゃないか?」
ウォルターの声に、リヴィアははたと顔を上げる。ヒューロットとエレナも同じく、顔を上げて彼を見る。
彼の黒い瞳がまっすぐにリヴィアに向けられていた。
「もちろん、一人でやるようなことや危険なことはダメだが」
リヴィアに提案しながらも、彼はきっちりと釘を刺す。それはあの時の脱走のことを言っているのだろうか。
ポカンとウォルターの顔を見つめながら、リヴィアはぱちりと瞬きをした。
やってみたかったこと。やりたいこと。
彼の言うそれは、きっと『瘴気を浄化する』というような義務的なものではない。
巫女姫がやらなければならないことではなくて、リヴィアがやりたいこと。
ずっとやりたかったこと。それが、彼の黒い瞳を見ることでふと胸の奥底から思い出される。
それはかつてのリヴィアの夢だった。いつの間にか心の奥底に閉じ込めて、自分でも忘れてしまっていた夢だった。
それを抱いて眠っていたあの頃を思い出して、リヴィアはぎゅっと手を握りしめた。
けれど、それを言うにはどこか憚られる。どこか子供っぽくて、今のロブストフェルスのような余裕のない状況で言えるようなものではない。
「……えっと」
「何かあるのか? なら、それからやってみればいい」
ウォルターの言葉に、エレナとヒューロットの視線もリヴィアに集まる。ますます言いにくくなったこの状況に、リヴィアの顔が朱に染まる。
「えっと、その、だから……」
「うん」
先を促すウォルターの優しい声に、リヴィアはつい甘えてしまいたくなる。彼はきっと笑わない。リヴィアのしたいことを受け入れてくれる。
そう思えてしまうから、つい、リヴィアは我儘を言えてしまうのだ。
「……パ」
「ぱ?」
「パーティー、に、参加して、みたくて。ずっと。……白じゃないドレスを着て、友達としゃべって、いろんな人と踊ってみたくて」
口の動きがぎこちないのが、自分でもわかった。
役に立てていない、瘴気も浄化できていないままで、こんな我儘を言うなんてありえない。たとえ、瘴気の浄化のカギを得るためだったとしても、言うのが憚られるほどの傲慢な願いだ。
けれど、それがリヴィアの夢だった。
これでは噂通りのワガママ姫と何も変わらない。
どう考えても子供っぽくて、正当性なんて見受けられない。
恥ずかしさで目が回る。さすがのウォルターも呆れただろうか。
ぎゅ、と目を閉じたリヴィアの耳に届いたのは、拍子抜けするくらい軽い調子のウォルターの声だった。
「いいぞ」
「……えっ」
リヴィアはポカンと顔を上げる。驚きすぎて呼吸すらも止まりそうなほどだ。
「えっ、でも」
「理由ならなんだって作れる。なんなら、今は『エルシエルから来た客人をもてなすため』を大義名分にすればいい。多少時間はかかるし、しばらく領主の屋敷の方に移ることになると思うが、どうする?」
あまりにあっけない言葉に、リヴィアは呆然とウォルターを見た。
どれだけ願っても、叶わない願いだった。いつからともなくずっと願っていて、いつの間にか諦めて忘れてしまっていた夢だった。
そんな幼いころに見ていた夢が、すぐそこにある。
それを叶えてもいいと言ってくれる人がすぐそこにいる。
「……や、やってみたい」
手の届くところにある夢に、リヴィアは迷いなく手を伸ばした。




