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24 もう一度見回りへ

「はい。もう大丈夫ですよ」


 リヴィアの体を診ていた医師からそう告げられて、リヴィアはほっとしながら顔を上げた。


 目を覚ました日から、毎朝、医師に体調を診てもらうのがここ最近の日課になっている。それこそ始めのうちは医師にリヴィアの部屋まで来てもらっていたが、今は少しでも動く体力を取り戻すためにリヴィアが医務室まで歩いて通っている。


「ちゃんと食べてますよね?」

「た、食べてます」

「お肉とか、野菜とか、パンもそうですけど、とにかく食べないと騎士の見回りについていくのは大変ですからね。ちゃんと食べてくださいね?」

「は、はい。食べます」


 リヴィアの体を診てくれる医師からも食生活について問われ、リヴィアはそれほどまでに自分の生活習慣はひどいものだったのか、と痛感した。


 そもそも城にいたころから、大した運動はしてこなかった。動く場所もなかったし、動く必要もなかった。幼いころは自由に駆け回っていたこともあるが、自身が役立たずと呼ばれるようになったころからそんなことをするのはやめた。


 全て無駄だと思ったからだ。走り回るのも、それでエネルギーを消費するのも、そのために食事をとるのも、全部。

 何かを美味しいと思うことも減り、少しずつ食べる量も減り、気づけばリヴィアの体は少量のリゾットとスープで満足するようになっていた。


 だが、それはあまりよくないことだったらしい。

 エレナと食事を共にするたびに彼女の食事の量に驚いていたし、それが普通だと言われたことにも驚いた。今思えば、向こうもリヴィアの食事の量や種類に驚いていたのだろう。

 ウォルターからもリヴィアの体重や食事について色々と言われていた。


 リヴィアが倒れて目覚めたあと、医師から最初に言われた言葉は『よくこれで生きていましたね』だ。本当にひどい食生活をしていたのだなとしみじみと思う。


「えと、あの、それで、……騎士の見回りのことなんですが、ついていっても大丈夫ですか?」


 リヴィアの問いに医師は渋い顔をする。少し悩んで、医師は渋々言葉を口にした。


「まあ、そう遠くに行かなければ大丈夫でしょう。あまり無茶はしませんように」

「あ、ありがとうございます」


 医師からの許可を貰い、リヴィアは安堵の溜息をついて、深々と医師に頭を下げた。

 これでようやくウォルターを説得できる。


 リヴィアは回復した後、騎士が見回りに出ようとするたびに同行したいと彼に頼んでいたが、その全てが断られていた。


 そこまで体力が回復していないだろう、というウォルターの言い分にリヴィアは反論できなかった。


 事実、先日の逃亡事件の聞き取りの際、リヴィアは部屋に戻った途端、疲労でベッドの上に倒れ込んだのだから。

 話している最中は自分がそこまで疲れているとは気づきもしなかった。そんな状態で馬に乗って瘴気の広がる森に行くなど自殺行為にも程がある。


 それゆえに、リヴィアはなるべく館内を歩くようにして、日々食べる食事も少しずつ変えていってもらっている。その努力がようやく身を結ぶ。


 もう一度安堵のため息をつくと、リヴィアは早速立ち上がった。

 なるべく早く、ウォルターから許可をもらわなければ。


「本当に無理しちゃ駄目ですからね!」


 医師の言葉にリヴィアは深々と頭を下げると、医務室の外に出る。そこには護衛を務めるエレナがリヴィアのことを待っていた。


「あ、終わりましたか? お医者様は何と?」

「うん。もう大丈夫だって。えと、……ウォルター、さんに許可をもらいに行きたいんだけど、今って大丈夫かな?」

「大丈夫だと思いますよ。リヴィア様の話だったら最優先事項でしょうし、執務室に様子を見に行くくらいなら問題ないです!」


 エレナの言葉にリヴィアはうん、と頷く。面会の予約を入れていたわけではないが、おそらく今の時間ならウォルターは執務室にいるだろう。もし、いなくともウォルターの部屋にメモでも残しておけばいいだけだ。リヴィアの時間はいつでも空いているので、ウォルターが時間を作ってくれさえすればいつでも話し合いはできる。


 それじゃあ執務室へ、とリヴィアとエレナが足を進めようとしたとき、二人の背後から声がした。


「あ、あの!」


 エレナとリヴィアは同時に振り向き、エレナがリヴィアの前に一歩出る。エレナの背中越しにリヴィアが見たのは、一人の騎士の姿だった。



   ♦♢♦♢♦♢



「見て見て。あのね、お手紙貰った」


 そう言って、リヴィアが嬉しそうに両手で掲げたのは一通の淡い水色の封筒。小さい花の模様がついていてやけに可愛らしい感じをしているのは、受け取る相手の雰囲気に合わせたからだろうか。


 今までにないようなニコニコとしたリヴィアの笑顔を見て、ウォルターとヒューロットは互いに顔を見合わせる。リヴィアの後ろでは、ニコニコとしている主人とは裏腹に少し不服そうな顔をしたエレナが立っていた。


「あー……っと、一体誰に貰ったんだ? その手紙」

「アードルフさんって人。助けてくれてありがとうございましたってお礼を言ってくれたの」


 ウォルターが問えば、リヴィアは本当に嬉しそうに笑う。

 いまいち主旨が掴めていないウォルターの傍で、何か心当たりがあったのか、ああ、とヒューロットが声を上げた。


「魔物に襲われたときにリヴィアが治療してた騎士か。そういえば助かってたね。今になってやっとお礼?」

「うん。本当はすぐに言いたかったんだけど、なかなか会えなかったから難しかったんだって。今日、ここに来る前に医務室で偶然会って、お手紙と一緒に頭を下げてくれたの」


 ヒューロットにそう答えて、リヴィアは先ほどの事を思い出す。


 ウォルターやエレナと揃いの黒い騎士の制服。溌剌とした笑顔は少し朱に染まっていて、リヴィアから見ても彼は元気そうだった。


「よかった。助かってくれて」


 お礼を言ってくれた彼のことを思い出して、リヴィアはさらに笑顔を深める。


 あの時のリヴィアにはとにかく余裕がなかった。瘴気は浄化できないし、自分を守るために誰かが傷ついていく。自分は人の邪魔になってばかり。

 そんな風に自分を追い込んでいた。


 けれども、ウォルターが見つけてくれた後から少しだけ心の余裕ができた。その後の話し合いで、できるようになったことを喜んでもいいのだと気づいた。


 自分が瘴気を浄化できていれば彼は傷つかなかったのに、と思わないわけではない。けれども、そのことで謝ったって、リヴィアが治療した彼が喜ぶわけがない。


 自分の無能さを嘆いて誰かに謝罪して回るよりも、自分のやったことに対するお礼を素直に受け取った方が相手に喜んでもらえる。

 それが、今は嬉しい。誰かにお礼を言われることを、誰かが助かったことを、素直に喜ぶことができるのが。


「助かってくれてありがとうって言ったら、不思議そうな顔された」

「そりゃあそうでしょ。意味不明だもん」

「そうかなぁ……」


 ヒューロットの返答にいまいちピンと来ていないように首をかしげながら、貰った手紙を見てリヴィアは柔らかく笑う。その様子を見て、エレナはさらに顔を不服そうに顰める。


「それで、エレナは一体何が不満なんだ?」


 正反対な顔をしている二人を見ながら、ウォルターが問いかける。その瞬間、よくぞ聞いてくれたというように、エレナの目つきがキッと変わった。


「最近! リヴィア様の周りに! 男性騎士が寄ってきてるんです!」


 一言一言区切って言うエレナに、三人は不思議そうに顔を見合わせる。

 一瞬、顔を見合わせた後、代表してウォルターが口を開いた。


「一体それの何が問題なんだ?」

「問・題・ですよ! リヴィア様が館内を歩き回るようになってから、どこからともなく男性騎士がふらふらと現れるんです! 最初は見逃してたんですけど、最近は五分に一回くらいのペースで誰かしら来るようになって、その場に留まってると増えるし! どれだけ私が頑張ってアイツらを散らしてると思ってるんですか!?」


 わー、と文句を言うエレナに対し、ウォルターが何かを思い出したように顎に手を当てる。


「ああ、それは俺が『リヴィアにあまり関わるな』という通達を解除したからだな。あの一件から、リヴィアに普通の騎士がどんな様子なのか知っておいてもらわないと困ると思ってな。誰が信用できるのか、判断する目を養うのも必要だろう」

「それはそうですけど、数が多すぎます! リヴィア様は病み上がりなんですよ!」


 そう言って、エレナはリヴィアの肩を優しく掴んで、ウォルターとヒューロットの前にずい、と突き出す。


「見てください、この儚くて華奢で可愛らしいリヴィア様を! うちにこんな感じの可愛い女の子なんて今までいなかったから、男どもが大量に寄ってくるんですよ! ちょっと前まではリヴィア様も怯えてて縮こまってたけど、最近は笑って話してくれるようになったからって、アイツらは調子に乗って! うちの騎士はアホしかいないの!? 私のリヴィア様なのに!」

「最後の最後に本音が出たね」


 ぎゅ、と何かから守るようにリヴィアを抱きしめるエレナに、ヒューロットから冷静なツッコミが入る。

 エレナは一体何に対して怒っているのか。リヴィアには理解できないことだらけだが、とりあえずわかったところだけでも訂正する。


「えと……、皆はアホ、とかじゃないと思う」

「リヴィア様、男はそうやって優しくするとつけあがるんです。アイツらは皆アホです」

「アホじゃないぞ」

「そうだよ。エレナみたいなアホもいるけど、大体は楽観的な奴らばっかだよ」

「私はアホじゃない!」

「えっと……」


 会話のペースに置いていかれながらも、リヴィアは助けを求めるようウォルターとヒューロットを見る。その視線に気づいたのか、ヒューロットがやれやれというように補足を入れてくれた。


「瘴気に相対する騎士――通称、『黒騎士』って言うんだけどさ、その大体の奴が楽観的なの。真面目過ぎるとすぐに瘴気で狂っちゃうからね。基本ちゃらんぽらんで適当な奴らばっかだよ」

「ちゃらん……?」

「余計な言葉を教えるな。楽観的でいいだろ。あと、真面目な奴もちゃんといる」


 ヒューロットの言葉は補足になっているのか、なっていないのか。よくわからないながらも、リヴィアは三人の話を必死に噛み砕く。


「えっと、よくわからないけど、皆明るい人だから瘴気の影響を受けにくいってこと?」

「まあ、大体そんなとこ。だからリヴィアに対してもそんなに当たりが強くなかったでしょ?」

「……うん」


 言われてみれば、今までで話した人でリヴィアにひどい言葉を投げかけてくる人はいなかった。初めて話す相手はリヴィアも緊張していたが、皆、その緊張が解けるまで待ってくれていた。


 ここの騎士と話すことに怯えていたのはリヴィアだけ。


 だが、とリヴィアの頭に疑問が浮かぶ。


「エレナはどうしてそれで怒ってるの?」

「リヴィアが人気で嫉妬してんだよ。他の奴に護衛の椅子を取られるんじゃないかって不安になってんの」

「そんなんじゃないですー。リヴィア様に悪い虫がつかないか心配してるんですー」


 悪い虫? と首をかしげるリヴィアの体は、ゆらゆらと動くエレナの体とともに揺れる。皆の話す言葉の中には時々リヴィアの知らない言葉が混ざっているので、話についていけないときがある。

 必死でリヴィアが頭を回していると、ふむ、と何かを考え込んでいた様子のウォルターと目があった。


「リヴィアは、そうやって誰かと話すことが負担になってたりはしないか?」


 ウォルターからの突然の問いに、リヴィアは恐る恐る頷く。


「う、うん、大丈夫。皆優しいし、話してて楽しいよ」

「そうか。ならいい。負担に感じたらまた言えよ。お前は抱え込みすぎるからな」

「うん」


 ウォルターの言葉にリヴィアは内心ほっと溜息をつく。


 心のどこかで、まだ誰かが言う。誰とも関わるな、と。


 だが、そんなことをウォルターが言うとは思っていないし、ここの騎士も皆優しい。もうリヴィアにそんなことを言う人はここにはいない。

 どこか呪縛のように引っかかっているそれをリヴィアは心の奥に押し込めた。


 二人の決定にまだ不服そうなエレナを放って、ウォルターはリヴィアに目線を向けた。


「それで? 今日はその手紙を見せに来たのか?」


 ウォルターの目がリヴィアが両手で大事そうに抱えている手紙に向いていることに気が付いて、リヴィアは慌てて手紙を上着のポケットにしまう。


「え、あ。えと、そうじゃなくて。……今度の騎士の見回りに参加させてほしいって頼みに来たの」


 騎士の見回りという言葉を聞いて、ウォルターの顔つきが真剣になる。それにつられて、リヴィアも気を引き締めた。


 ウォルターはどうやらあまりリヴィアを瘴気の広がる森に出したくないらしい。

 どうして、なんて聞くまでもない。リヴィアがあまりにも無茶をしすぎたからだ。


 自分で自分を追い詰めすぎて勝手に森に出た。そこで魔力を使い切るまで浄化の魔法を使い続けた。その後、気を失ってから一週間目を覚まさなかった。

 これですぐに騎士の見回りについていって瘴気を浄化したい、なんて、普通に考えれば許可が出るわけがない。


 ウォルターに多大な心配をかけさせたのだとリヴィアはわかっている。自分のことを大事にしないという点で彼からの信用を失っているのだと、なんとなく気がついている。


 だが、それら全部を理解していても、瘴気を浄化しない、森には行かない、という考えにはならない。リヴィアに瘴気を浄化できる力があるのなら、その力を存分に発揮すべきだ。


 だから、リヴィアはウォルターを説得しなければならない。


「もう、お医者様にも許可は貰ってるの。騎士の見回りに参加しても大丈夫だって言ってた」


 ウォルターの一番の懸念は、やはり、リヴィアの体力だろう。それをクリアできるだけの証言を持ってきたつもりだ。


「私、できることがあるならやりたい。皆の力になりたい」


 ウォルターの黒い目がリヴィアをまっすぐに見つめる。


 彼が真剣な顔をしているときは少し怖い。実際今までも、駄目だと断られたことは何度かある。


 けれども、それら全ては理不尽なものではなかった。何故駄目なのか、どうして駄目なのか。その理由をウォルターはちゃんと答えてくれるし、それがリヴィアを心配してのことだというのもわかる。


 だからこそ、引けない。誰かがリヴィアのことを思って行動してくれるのであれば、リヴィアも誰かのために動きたい。


 リヴィアの言葉にウォルターは黙ったまま。その代わりに口を開いたのはヒューロットだった。


「別にいいんじゃない? オレは賛成。結局のところ、本当にリヴィアが瘴気を浄化できるかどうか調べないといけないわけだしさ。いっそ、もっかい北の森に行ってリヴィアが浄化できたときのことを再現してみれば?」

「馬鹿、そんなことできるわけないだろ。それでまた一週間も目を覚まさなかったらどうする」

「でもこのままだとリヴィアはもう一回逃げ出すでしょ。おんなじことの繰り返しじゃん。本人がやりたいって言ってるのにやらせないのはさすがに過保護すぎ」


 ヒューロットの言葉にウォルターはぐ、と押し黙る。

 まるでヒューロットとウォルターの喧嘩のようになっているが、今ここで何かをやりたいと言っているのはリヴィアなのだ。ウォルターの説得を全てヒューロットに任せるわけにはいかない。


「レイ。私、逃げないよ。逃げ出したくないから、こうやって相談してるの。レイだったらちゃんと私の話を聞いてくれるってわかってるから、こうして話に来てるの」


 ウォルターから目を逸らさずに、リヴィアは言う。


「私、やりたい」


 リヴィアの青い目と、ウォルターの黒い目がかち合う。二人はしばらく見つめあった後、観念したようにウォルターは深々を溜息をついた。


「……わかった。なら、今度の見回りに連れていく」


 ウォルターの言葉にリヴィアはパッと顔を輝かせた。

 そんなリヴィアの向かい側で、ただし、とウォルターが話を続けた。


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