23 許し
「で、何の話をしてたんだ? 脱走の話じゃなきゃ何でもいいが」
「あ、えと、色々。瘴気のこととか、教えてもらったりしてた」
喧嘩をするエレナとヒューロットをよそに、ウォルターはいなかった間のことを聞いてきた。それをリヴィアは簡潔に答える。
「それで、その、……ごめんなさい。私、瘴気のこと、何にもわかってなかった。何でレイがあんなに怒ってたのかも、皆があんなに心配してたのかも、今だったらちゃんとわかる。何にも言わないで抜け出したりして、本当にごめんなさい」
ヒューロットに教えてもらったことを思い返し、リヴィアはウォルターに向かって深々と頭を下げた。
「別にいい」
リヴィアの深い謝罪に返ってきたのはそんなそっけない言葉。リヴィアが恐る恐る顔を上げれば、ウォルターは特に気にした様子もなく紅茶を飲んでいた。
「お前がもうしないと言うなら、それでいい。エレナやヒューロットとも打ち解けたようだしな」
そう言ってウォルターは軽く笑う。
その表情からもう彼が怒っていないのだとわかり、リヴィアはホッと内心一息をつく。
「俺には言えないようなことも二人には言えるんだろ」
「だから、それは誤解で……!」
リヴィアは訂正しようとしたが、彼の揶揄うように笑うのを見て一瞬口を閉ざす。それから、少しだけ気持ちを落ち着かせて、真剣な表情で口を開いた。
「ちゃんと、話す。何を思ってて、どうしたいのか。ちゃんと皆に話す。それで、……それでもダメなら、その時はちゃんと考える。一人で行動するのは、やめる」
「ああ。それならそれでいい。話すのも俺でなくてもいいしな。無茶はするなよ」
「うん」
なら、続きから、とウォルターは書類をめくる。リヴィアが話す北の森での彼とのやり取りをウォルターが書類にまとめていく。
大体の筋を話し終えたところで、リヴィアはウォルターに質問した。
「あの、……私を連れ出してくれた騎士は、どうなったの?」
大方予想していた質問だっただろうが、ウォルターは顔をしかめた。答えにくいような状況なのか、それともリヴィアには言いたくないのか。そのどちらともわからないが、ウォルターはちゃんと答えてくれた。
「今、その騎士はロブストフェルスにはいない。瘴気から離れた場所に送られて正気に戻るのを待ってる。処罰が決まるのはそれからだな」
「……そっか」
「別にお前のせいじゃないぞ。俺も、他の騎士も、アイツがそこまで瘴気の影響を受けていたと気づかなかった。もう少し早く気づけていたら、無理やりにでもここから離していたかもな」
そう答えて、ウォルターはヒューロットから取り返したクッキーの皿をリヴィアの前に置いた。食べるように勧められているのはわかるが、どうにも気乗りはしない。
リヴィアがクッキーを見つめていると、横から伸びてきた手に搔っ攫われた。誰が、なんて考えるまでもない。ヒューロットだ。
「だからさ、アンタは気負いすぎなんだって。もうちょっと力抜いたら?」
のし、とリヴィアの肩に体重をかけてくるヒューロットに驚きつつも、リヴィアは不安げに答える。
「でも、私が役に立ててないのは事実だから……。瘴気だって浄化できないし」
そんなリヴィアの言葉に、うん? と二人同時に疑問の声が上がった。ヒューロットはパッと体を起こし、ウォルターは軽く目を見開く。
リヴィアが不思議そうにエレナを見れば、彼女もリヴィアと同じように状況を理解できていないような顔をしていた。
リヴィアの言葉に困惑する二人と、その困惑に困惑する二人。リヴィアがヒューロットとウォルターを交互に見れば、ウォルターが口を開いた。
「いや、お前はできてたぞ。瘴気の浄化」
「…………え?」
理解ができていない二人に説明するためだったのだろうが、ウォルターの言った言葉はどこか独り言めいていた。
できていた。瘴気の浄化が、できていた。
リヴィアは数秒間理解するのに務めたが、それでも全くその言葉を飲み込めない。
「えっ、え、……えっ? ほ、本当に……?」
「ああ。お前を見つけた場所から少し離れたこの地点でだ。だが、……そうか。リヴィアはあの時気を失ったんだったな。覚えてなくとも仕方ないか」
ス、とウォルターが指さした場所を見ても、リヴィアには少しも実感が湧かない。そもそもウォルターと再会したあと、浄化の魔法を使った記憶がない。それよりも前に何度も浄化の魔法を試していたが、一向に効果がなかったことだけは覚えている。
なぜ、どうして、その時だけ?
実感よりも疑問が先に思い浮かぶリヴィアの体を、背後から伸びてきた腕がぎゅっと抱きしめた。
「良かったじゃないですか、リヴィア様! 瘴気を浄化できて!」
ぎゅっとリヴィアを抱きしめる腕の力は今までで一番強い。苦しいくらいの力を込める腕にリヴィアは手を添えて、首を動かしてその腕の主に顔を向ける。
満面の笑みを浮かべたエレナは、その目にうっすらと涙をためていた。
「だって、私、知ってますもん! リヴィア様が頑張ってたこと。何回も何回も瘴気を浄化しようとして苦しい思いをしてたこと、見てましたもん! やっと、やっと、やっと……!」
ぎゅ、とさらに腕に力がこもる。
「リヴィア様が悲しい顔をしなくて済むんだ……!」
安堵を含んだエレナの言葉がじんわりとリヴィアの胸に染みる。
ああ、そうか、と自分でも納得できる。
できるようになったことを喜んでいいのだ。
何故、突然できるようになったのか、これまで失敗してきたのは何だったのか。そんなことを悩むよりもまず先に、瘴気を浄化できたことを喜べばいいのだ。
リヴィアはエレナの腕に添えた手に、ぎゅ、と力を込めた。
「で、それ、再現性あるの?」
「浸らせなさいよ! 喜びに!」
ペーン、とエレナがヒューロットをはたく。そんな二人のやり取りをリヴィアは笑顔で見ていた。
今はもう、ヒューロットの言葉に傷ついて怯えることもない。彼の軽口を受け入れられないほど余裕がないわけでもない。
ヒューロットが憎まれ口を叩くのはいつものこと。彼は誰かを傷つけたいと思っているわけではなく、思いついた疑問をそのまま口にしているだけ。
それに、彼が抱いた疑問はこれからリヴィアが考えなければならないことだ。
もう一度、本当に瘴気を浄化できるかどうかはわからない。けれども、もしできなくとも、この三人ならリヴィアがまたできるようになるまで付き合ってくれるだろうと信じられる。
「まあ、少なくとも一度はできたんだし、大丈夫だろ。無理にでもやれとは言わないし、またあんな無茶をされても困るからな」
「瘴気を浄化したときのことを再現するために、また一人で抜け出したりしてね」
「余計なことは言わなくていい」
ヒューロットがリヴィアの再逃亡を示唆すれば、すかさずウォルターが釘をさす。
二人の他愛ないやり取りを聞きながら、リヴィアはぽつりと思っていたことを零した。
「……あの、私、ここにいていい?」
ん? と再び疑問の声が上がる。今度はウォルターとヒューロットだけでなく、エレナの声もともに。
その三人の疑問に答えるように、リヴィアはもう一度言う。
「私、このままロブストフェルスにいていい?」
リヴィアの言葉に三人はポカンと呆気にとられる。硬直が解けた後、初めに声を上げたのはウォルターだった。
「あ、当たり前だろ! 今までそれを前提に話してたのに、なんで今更そんなことを聞くんだ?」
すぐに飛んできた言葉に、リヴィアはぎゅっと自分の両手を握りしめる。そして、そのまま大きく体を折り曲げた。
「お、おい?」
ウォルターが心配で声をかけるが、リヴィアはそれを意に介さずに言葉を漏らした。
「……よかったぁ」
唖然とする三人の前で、リヴィアは滔々と自分の思いを語りだす。
「また、出ていけって言われるのかと思ってた。役に立てないままなのかと思ってた。どんどん皆を呆れさせて、失望させちゃうのかと思ってた」
震える声とともに、涙も一緒に零れ落ちる。
「どれだけ仲良くなったって、どれだけ分かり合えたって、ずっと一緒にいられるわけじゃないから。皆がどれだけ許してくれたって、私は私のことを許せないから。もしかしたら、追い出されちゃうかもって、お別れしなくちゃいけないかもって、目が覚めてからずっと思ってた」
祈るように組んだ手に額を押し付けて、リヴィアは言う。
「よかったぁ。私、ここにいていいんだ」
特別でなくてもいいと言われて、ただリヴィアの事を心配してくれて、リヴィアの喜びを自分のことのように喜んでくれる。そう思ってくれる人たちの傍にいられる。
リヴィア自身も、少しは自分で自分のことを認められる。
ここにいていいと認められる。
「よかったぁ……」
褒めるように、慰めるように、俯いたリヴィアの頭をわしゃわしゃと大きな手が撫でる。こんなことをしてくれる人は、リヴィアは一人しか知らない。
「隊長、女の子の頭をそんな風に撫でるのはあんまりよくないです! 髪が乱れるじゃないですか!」
「そうか?」
「別にいいんじゃない? リヴィアは嫌がってなさそうだし」
リヴィアの頭の上で、そんな会話が繰り広げられる。そんな風に気安く飛び交う声が心地いい。
城にいたころは、どこからか聞こえてくる話し声や会話が怖かった。でも、ここなら大丈夫だと安心できる。
頭を撫でる手がそっと離れたのを感じ取って、リヴィアは顔を上げた。
リヴィアの表情が落ち着いているのを見て、ウォルターは安心したように微笑む。
「とにかく、今のところはお前への罰は考えてない。他者に危害を加えたわけでもないしな。それでも、もしもまた勝手に逃げ出すようなことがあれば……」
ウォルターの神妙な顔を見て、リヴィアはぎゅっと気を引き締める。
「罰はエレナが受ける」
「……え!?」
思いもよらない言葉にリヴィアはパッとエレナの方を振り返った。エレナはそれが当然というようにリヴィアに微笑む。
「そうですよ。私、リヴィア様の護衛なので。リヴィア様の安全を守れなかったということで私が罰を受けます」
「と、いうわけだ。お前にしても、そっちの方が罰になるだろう?」
「……うん」
「なら、もう逃げ出すなよ」
「わかった」
こくん、とリヴィアが頷けば、ウォルターは気を抜いたように笑う。
「……たくさん話して疲れただろ? 早急に話さなきゃならないことはこれで全部だから、部屋に戻って休んでくれ。言いたいことがあったら、俺やエレナに相談するように」
「うん」
ウォルターが真剣な顔をしてそういうので、リヴィアもちゃんと頷く。
そのままウォルターが執務室の外まで送ってくれるというので、リヴィアもソファから立ち上がった。
「ちゃんと休めよ。あと、飯もちゃんと食べろ。リゾットだけじゃなく、いろんなものをな」
「う、うん」
部屋を出てすぐに食生活のことも注意されて、リヴィアは自信なさげに頷く。それから最後にリヴィアはウォルターの顔をじっと見て、こう告げた。
「レイ。私、頑張るから。ちゃんと、できるようになるまで」
「……ああ。何度も言うが、無理はするなよ」
「うん」
ウォルターに決意表明をして、それじゃあ、とリヴィアは軽く手を振ってウォルターの執務室を去る。
護衛のエレナと連れ立って部屋に戻るリヴィアの背中をウォルターは見送った。
♦♢♦♢♦♢
「なんか、ヤバいかもって思ってたけど、意外と大丈夫そうだったね」
そう言ったのは、広くなったソファの上で寝転がっているヒューロット。彼はソファの肘掛を枕に、仰向けになって行儀悪くクッキーをほおばっている。
ウォルターは机の上に広がった書類を片付けつつ、リヴィアからの証言をまとめるためにペンを手に取った。
「せめてお前も見送りに来い。あと、片付けるのを手伝え」
「別にオレがいなくても大丈夫でしょ。エレナだっているんだし。もうどこにも行かないってリヴィアも言ってたじゃん」
「その割にはリヴィアがいなくなったとき、誰よりも焦ってたように見えたけどな」
「……さあ? 知らない」
ヒューロットはソファから起き上がる気配も見せず、ふい、とそっぽを向く。そんな彼に少し呆れながら、ウォルターはリヴィアが言っていた内容を一つ一つ思い出していた。
やけに低い自己肯定感。自分に対する加害や非難すらも受け入れて、それを許そうとする精神性。
『また、出ていけと言われる』、『追い出される』。これはあの騎士のセリフを思い出してのことだろうか。それとも、他の誰かから言われたことがあるのか。
そして、『自分で自分を許せない』という言葉。
どうにも、リヴィアの自己否定は根が深いように思える。
書類を見つめながらウォルターが考え込んでいたとき、ふと思い出したようにヒューロットが顔を上げて問いかけてきた。
「ねえ、隊長。さっき聞きそびれたんだけどさ、『レイ』とか『ヴィー』って何? なんか、二人とも愛称で呼び合ってたよね?」
ギク、とウォルターの体が一瞬硬直する。そうだったか、と思い返してみれば、リヴィアが何度かそう呼んでいたような気もする。
「あー……。実は何年か前に一度、アイツと会ったことがあるんだ。その時はお互いの立場も本名も知らなかったからな、こんなことになるとは思わなかった」
何とか誤魔化そうか、と一瞬悩んだが、相手はヒューロットだ。下手に何か言い訳をするよりも、さっさと話して一緒に秘密にしてもらった方が早いだろう。
「アイツは城から出たことがないと噂になってただろ? 俺と会ったことがあるとなれば、色々と妙な噂が立つだろうし、あれ以上気負わせたくなかったからな。お互いに初対面という形をとらせてもらった」
「へえ。言ってくれればよかったのに」
「知らない奴が多い方が話が外に出にくいだろ。それに、あの婆さんに知られたら一番に問い詰められるのはリヴィアだ」
「ああ、あの強烈なおばあさん。オレ、苦手」
リヴィアの乳母の事を思い出して、ヒューロットはげんなりとした顔をする。その表情をする理由は、ウォルターにもよくわかる。
ここにリヴィアが来た初日、彼女が倒れたあとの乳母は、それはもう強烈な怒り方をしていた。魔物と相対するのが仕事の騎士が、誰も近寄れないくらいだ。
一歩も城の外に出たことのない、大切なお嬢様。
リヴィアのことをそう呼んでいたあの乳母が、実はリヴィアとウォルターが五年前に出会っていて、共に城の外に抜け出したことがあると知ったらどうなるか。考えるだけで想像に難くない。
「簡単に言えばそれだけの理由だ。お前もあんまり深く捉えなくていい」
「ふーん。ま、何でもいいけど。……てかさ、隊長とリヴィアってそんだけ親しかったんでしょ? 何でリヴィアの逃亡事件が起きるまでずっと、あの子に怯えられてたの?」
「それは……、俺も知りたい」
ヒューロットの問いに、ウォルターはそう返した。それはウォルターもずっと抱いていた疑問だった。
正直、リヴィアに怯えられる心当たりはいくつかある。だが、それを差し引いてでもリヴィアの怯え方は異常だった。
「あの子って昔からあんな感じ?」
「いや。確かに内気ではあったが、もっと人と関わることを好む、普通の元気な女の子だったよ。あそこまで他者に怯えるような子じゃなかった」
もし、そんな子なら、見知らぬ他人に自分を連れ出して、なんて言わないだろう。
この五年間。この国では『異界の乙女』が現れ、リヴィアは『役立たずの巫女姫』と囁かれるようになった。きっと彼女にあった大きな環境の変化はこれだ。
おそらくこれが彼女の人間不信を招いた。
よかったぁ、と安堵の声をもらすリヴィア。
ここにきてようやく笑顔を見せるようになったリヴィア。
一体、彼女は城でどのような扱いを受けていたのだろう。
「ま、何にせよ、よかったじゃん。仲直りできて」
険しい顔をするウォルターに、ヒューロットは平然と言う。
仲直り。特に喧嘩をしていたわけではないが、仲が元に戻ったというのなら、確かにそうなのだろう。
「そうだな」
ヒューロットの言葉に相槌を打つと、ウォルターは書類に向き直る。
リヴィアの変化の原因も、彼女の抱く悩みも、これから少しずつ話して聞いていけばいい。
もうリヴィアに怯えられることはないのだから。




