22 瘴気の影響
ウォルターが去ったあと、リヴィアは後ろからエレナに抱きつかれながら彼が残した書類に目をやった。地図が描かれた書類にはウォルターが指さした崖上のところやおそらくリヴィアが見つかった崖下のところ以外にも、いくつかバツ印が描かれている。
崖下のリヴィアが発見された場所のすぐ近くと、崖上のリヴィアと騎士が通った道の途中。そこの二つのバツ印が何を意味するのか、リヴィアには全くわからない。
パラ、とリヴィアは地図の描かれた書類をずらし、その下の書類を見た。そこにはマーサから聞き取ったであろう情報がずらずらと書かれている。この文章の長さから見るに、マーサは相当この聞き取りを行った騎士に対して長話をしたのだろう。
と、そこまで見て、リヴィアはふと気づいた。
「あ、あの……」
「何?」
横を見れば、すぐに隣に座ったヒューロットが反応する。
彼はリヴィアが館を抜け出す前に会話をした一人だ。そのことを思い出して少し気まずい感じがしたが、リヴィアは自分が抱いた疑問を口にした。
「何故、この書類には、私を連れ出してくれた騎士のことが書かれていないんですか?」
書類にはウォルターのほかに、ヒューロットや、マーサ、リヴィアの捜索に当たってくれていた人たちの証言が書かれている。エレナの名前がないのは当時治療中で眠っていたから。リヴィアの証言は今聞いているから別として、リヴィアを連れ出した騎士の話がないのはおかしい。
「まだ、捕まっていない、というわけじゃ、ないんですよね……?」
ウォルターはリヴィアの話を元に彼の処罰を決めると言っていた。それも、今ちゃんと考えてみればおかしい。
彼が処罰を受けるのなら、とうに捕まっているはず。捕まっているのなら話ができるはずだし、リヴィアの話を元に、ということにはならないはずだ。
もちろん、お互いの証言が食い違っていないか確かめるため、ということも考えられるのだが。
リヴィアがパラパラと書類をめくって確認してみても、リヴィアと彼の二人しか知らない情報は何も書かれていない。彼とリヴィアがどんなやり取りをしたのかという情報が書類には一切書かれていないのだ。
「彼は、証言を黙秘しているんですか?」
リヴィアがそう問えば、ヒューロットはどこか嫌そうに顔を顰めた。
「なに? そのしゃべり方」
「えっ」
思いもよらないヒューロットの返事に、リヴィアは言葉を失った。
そのまま何も言えないで唖然としているリヴィアをよそに、ヒューロットは淡々と言葉を続ける。
「なんかさぁ、リヴィアってオレへの態度、隊長とかエレナとかと比べて全然違うよね。なーんか距離あるっていうか、さっき隊長と話してたときと話し方違うじゃん」
「う、え、あ、えっと……」
「アンタがリヴィア様に対して失礼だからでしょ。リヴィア様のこと、呼び捨てにしてるし」
どもるリヴィアに助け船を出すように、エレナがヒューロットに噛みつく。
それに対抗するようにヒューロットもすぐに言い返した。
「別にリヴィアが文句言ってないんだからいいじゃん。様付けするから距離が近いとかなくない? 隊長だってリヴィアって呼んでるけど、距離なんて感じないじゃん」
「隊長は隊長だからいいのよ。私は護衛だし、アンタより距離が近くて当然。リヴィア様からだって呼び捨てで呼ばれてるもん。ね、リヴィア様?」
「エレナが寝てた時、リヴィアから『エレナさん』って呼ばれてたよ」
「えっ、うそぉ!?」
「え、あ、その、……ごめんなさい!」
「その反応は本当だぁ……」
リヴィアに体重をかけるように崩れ落ちるエレナに、リヴィアは励ますように彼女の腕を軽くさする。
「あっ、その、あの、あの時は、なんか申し訳なくて……」
リヴィアは必死に言い訳をするが、エレナはリヴィアの肩に顔を埋めたままだ。
「いえ、いいんですよ、別に。あの時、確かに私はリヴィア様を守れませんでしたし、怪我して気絶しましたし、リヴィア様がいなくなったときもグースカ寝てましたし、別にリヴィア様から距離を置かれても全然仕方ないんですけどね」
「あ、あの、本当にごめん」
よしよしと拗ねるエレナの腕を撫でてみても、彼女のメンタルが回復する様子は一向にない。どうしたものか、とヒューロットに助け船を求めれば、彼は平然とした顔でこう言った。
「そういうわけだから、オレのこともヒューロットって呼び捨てにしていいし、もっと砕けた口調でしゃべっていいよ」
「ヒューロット! アンタねぇ、私がこんなに落ち込んでるのに、何平気な顔してリヴィア様と距離詰めようとしてんのよ!?」
ヒューロットの言葉に、エレナはぱっと顔を上げて言い返す。二人の会話のテンポについていけず、リヴィアはおろおろとするばかりだ。
「別にいいじゃん。ねえ、リヴィア?」
「え、あ、えと……、善処します……」
「うん、善処して」
「ヒュ~ロ~ットォ~!?」
「なんか、エレナって番犬みたい」
「誰が番犬よ! 誰が! 護衛って言って!」
ガルルッ、とエレナはヒューロットに威嚇する。
リヴィアは犬などの動物にあまり縁がなく、番犬も見たことはないが、リヴィアの体にがっちりと抱き着いて護衛対象を守ろうとするエレナの姿に、なるほど、こういうものなのか、とどこか納得した。
「で、何の話してたんだっけ?」
「アンタが話を逸らしたんじゃない!」
「そうだっけ?」
「そうよ!」
「あ、えっと、……私を連れ出した騎士の証言がないのはどうしてですか、って話をしてました」
ようやく話が戻り、リヴィアはもう一度先ほどの疑問を口にする。
そのことにヒューロットはそっけなく、ああ、と答えた。
「簡単な話だよ。話ができなかっただけ」
あまりに簡潔な答えに、リヴィアは思わず首をかしげる。その反応を見て何かを把握したかのように、ヒューロットは地図が書かれた書類を引っ張り出し、崖の上のバツ印を指さした。
「アンタはここであの騎士とトラブったんでしょ? そん時にアイツ、なんか様子が変じゃなかった?」
「変?」
「なんか、会話にならない~、とか、コイツの言ってること支離滅裂過ぎない? とか、そんなの」
会話にならない。支離滅裂。ヒューロットの言っていることを反芻し、リヴィアはあの時の騎士の様子を思い出す。
ただひたすらに質問をぶつけてきた彼。リヴィアの行動に彼は何も反応しなかった。
彼の行動はただ目の前の不要なものを排除しただけのようなだった。
「あ、あの、様子がおかしかったのかどうかはわからないんですが……、何か、すごく、怖かったような気がします」
「怖かった?」
「えっと、その……私の返事を必要としてない、みたいな、ここじゃない別のものを見ているような、何というか、一方通行、みたいな。……その、私が怯えていただけかもしれませんが」
「いや、一方通行っていうのは合ってるよ。様子が変っていうのはそういう状態のことだし」
そのままヒューロットは崖の上のバツ印から、もう少し館に近いところにあったバツ印に指を移した。
「ここがその騎士が見つかった場所。多分、アンタを崖下に落とした後だね。館に戻るところを他の騎士が見つけたんだけど、ここでもやっぱり会話にならなかった。自分の言いたいことしか言わなくて、こっちの呼びかけに何の反応もしないの」
パラ、とヒューロットは地図が書かれた書類をめくり、別の書類のある部分を指差した。
そこには、巫女姫を連れ出した騎士を発見したときの状況と、彼の様子が書かれている。その備考欄には『心神喪失』の文字。
それを読んで黙り込むリヴィアに、ヒューロットは説明を続ける。
「瘴気って何かわかる?」
「えっと……、土地や水、空気を穢し、動物の死体に取り憑き、魔物を生み出すもの、ですよね」
「そ。ただ一個補足するなら、瘴気は生きている生物にも影響があるってこと」
ヒューロットの言葉に、リヴィアは魔物と相対した時のことを思い出した。あの時、魔物と戦っていた騎士たちは皆苦しそうだった。確か、『今は人数が少ないが、普段は瘴気の影響を考えて交代で攻撃する』というようなことをヒューロットが言っていたような気がする。
「アンタは知らないみたいだけどさ、濃い瘴気って体に毒なんだよね。瘴気に触れ続けたり、汚染された水を飲んだりするのもあんま良くない。んで、瘴気のなによりも厄介なのは、精神にも影響するところ」
「精神……」
トントン、とヒューロットが叩く『心神喪失』の文字に、リヴィアはもう一度目を落とす。
「簡単に言うと、狂うの。自分で自分を制御できなくなって、本能のままに動くようになる。魔物に襲われた日に狼の群れが出たでしょ。あれとおんなじ」
狂う。精神に影響する。本能のまま。
リヴィアは今までに経験してきたことと、たった今ヒューロットから受けた説明を噛み砕いて、頭の中で整理に努める。
ほんのしばらく思考を巡らせて、リヴィアは自身の考えを口にした。
「あの、なら、あの騎士は瘴気によって狂っていた、ということになるんでしょうか?」
「そうだよ。だから会話ができなくて困ってんの」
「だったら、彼が私を害そうとしたことも、瘴気のせい、ということにはならないんでしょうか?」
リヴィアを襲おうとした騎士が瘴気によって狂っていたのであれば、それは彼自身の罪にはならないのではないか。そもそも濃い瘴気に触れたりしなければ、彼はリヴィアを排除しようとまではしなかったのではないか。
リヴィアが言外にそう問えば、ヒューロットはそれに勘づいたのか、呆れたように溜息をついた。
「あのねぇ、オレの話聞いてた? 瘴気に影響を受けた奴は本能のまま動くようになるって言ったじゃん。確かに抑えは効きにくくなってるだろうけど、本心から思ってることじゃないとそんなふうにはならないわけ。アイツはアンタを殺そうとしたんでしょ? その殺意は本物だよ」
ヒューロットのきっぱりとした物言いに、リヴィアは一瞬怯んで黙り込む。
「瘴気に意思はない。アレは生き物の感情を増幅させるだけ。それも、主に負の感情を。だから、あの騎士がアンタに言った言葉は全部本音だよ。全部、誰かに言わされたものじゃない」
リヴィアに対する暴言も、リヴィアを殺そうとしたことも、あの騎士がしたことは全て彼の本心。
それが腑に落ちると同時に、リヴィアの心は少し沈んだ。
誰も悪くない、そう思いたかったのかもしれない。自分以外の誰も間違ったことはしていない、そうであってほしかったのかもしれない。
リヴィアのことを、特別でなくとも守られるべき存在だと言ってくれる人と、役立たずであるから消えてくれと願う人。
相反する二つの意見。このどちらかが正しいのであれば、もう片方は間違っている。
もし、そうだとするならば。
リヴィアが正しくあってほしいと思うのはどうしても彼の方で。それを願うということは、もう一人の方を悪と決めつけてしまうことなのではないか。
リヴィアにそんな資格はないのに。
そんな暗い考えが表情に出ていたのか、リヴィアを抱きしめるエレナの腕にぎゅっと力がこもった。
「大丈夫ですよ。リヴィア様を守るのが私の仕事なので」
先ほどのへこみ具合が嘘のように明るい笑顔をエレナはリヴィアに向ける。その笑顔につられて、リヴィアも気が抜けたような笑顔をエレナに見せた。
「うん。ありがとう」
そんな二人を見て、ヒューロットもやれやれと言わんばかりに溜息をついた。
「大体さぁ、リヴィアは色々と気負いすぎなんだよ。そんなんだから皆不安になるんじゃん。隊長だって前々から心配してたよ。リヴィアはここに向いてないんじゃないかって」
思いもしなかった言葉とウォルターの名前を出されて、リヴィアはヒューロットの方に視線を向ける。その疑問を含んだ視線に答える気があったかどうかはわからないが、ヒューロットは平然と言葉を続ける。
「さっきも言ったけどさ、瘴気っていうのは生き物の負の感情を増幅させるわけ。アンタ、見るからに負の感情を背負いすぎてんだもん。誰がどう見たってこんな瘴気の濃いところに長居させていい存在じゃないよ。だから、隊長もアンタに何かある前に、さっさと安全な場所に帰したかったんだろうね」
その前にこんなことになったけど、とヒューロットは咎めるような目線をリヴィアに向けた。
あまりに理路整然とした正論に、リヴィアは反論の言葉もなく黙り込むしかない。
「本当に、一人で抱え込むのは止めなよ。瘴気の影響で錯乱して暴れだす奴はまだマシな方で、下手したら精神が壊れて廃人化するんだから。アンタが瘴気にやられたら絶対に後者だし、目が覚めないって聞いたときは本当にそうなるかと思った」
廃人化。どういう状態か、リヴィアには正確にはわからないが、おそらく、何も話さず、何も感じず、何も望まなくなるのだろう。
確かに、リヴィアが瘴気に狂うとしたら、誰かを攻撃して暴れまわるよりも自分を殺してしまう方が先な気がする。
意思を持たない人形のようになった自分の姿を想像して、リヴィアは少しゾッとする。もし、その状態で発見されていたら、きっとマーサはいつまでも感情のないリヴィアの面倒を見続けただろう。
それは確かにウォルターだって心配するだろう。エレナも、ヒューロットも。
自分がどれだけ愚かなことをしたのか、ようやくリヴィアは自覚してきた。
「あ、あの。ごめんなさい」
「それは隊長に言ってね」
「うん」
「隊長に言えないことは私に相談してもいいんですからね」
「うん」
「俺に言えないことってなんだ?」
「う、ん!?」
突然、話の中に割り込んできた声に、リヴィアは自分の心臓と共にビクリと飛び上がる。
いつの間に部屋に入って来ていたのだろう、ウォルターがお盆に紅茶とクッキーを載せてリヴィアたちの目の前に立っていた。
じっと見下ろしてくるウォルターの目に、リヴィアの背筋がスッと冷える。
「あ、あの、そうじゃなくて……」
「そりゃ、言えないことは言えないことでしょ」
「女の子同士の内緒話ですよ、隊長」
「ち、違うの。本当に」
リヴィアの否定を面白半分に茶化すヒューロットとエレナ。とにかく必死に弁明しようとするリヴィアを見て、ウォルターはフッと顔を綻ばせる。
「ずいぶん仲良くなったみたいだな。調子は大丈夫か?」
「え、あの、うん」
机にお盆を置き、ウォルターは人数分の紅茶のカップを配る。その隙にヒューロットがクッキーの入った皿を掻っ攫い、誰にも構わずサクサクと食べ始めている。
相変わらずのヒューロットの自由気ままぶりを見ていると、ペンッ、とエレナがヒューロットの頭を叩いた。
「アンタねぇ、少しは隊長やリヴィア様のことを気にかけなさいっての!」
「気にかけてるじゃん。二人ともオレがクッキー食べてても気にしないよ」
わちゃわちゃと喧嘩を始める二人を見ているリヴィアの前のソファにウォルターが再び腰掛けた。




