第4話「名前」
「猫宮。これでいいだろ」
「だめです」
いつも通り俺の家にて、彼女に詰め寄られている俺。
理由は「名前を呼ばれたことがないから呼ばれたい」だそうだ。
「フルネームでお願いします」
隣同士で座るソファー、こちらに寄って来る彼女。
もう少しでも動けば彼女の指に触れてしまいそうだ。
「じゃあまずはそっちが言ってみろよ。分かるのか?」
この現状を打開しようと、離れ気味にそう言うと彼女は溜息をこぼした。
「言えないんだろ」
「鴉越 渉流先輩ですよね」
「おおう……お前、凄いな。難しいからあだ名ついてんのに」
「なめないでください。だてに先輩の飼い猫やってないんで」
彼女は少し怒ったような声色を出して腕を組んだ。
フルネームな……
彼女のフルネームは猫宮 小鈴。なんで俺が彼女の名前を知っているかというと、それは随分と前にさかのぼる。
「先輩、これはどうですか?」
捨て猫を拾って「やぬ」という名前を付けてから、俺は彼女と首輪を買いに来ていた。
この時からすでに彼女に対して変な奴だというレッテルは貼りつつも、まだふざけているだけで、本気で言っている訳ではないと思っていた。
「いや……蛍光色はないだろ」
「お気に召さなかったですか。じゃあ……」
商品棚と睨めっこして、金銭的な問題と似合うかどうか、喜んでくれるかどうか、なんてことを考えている俺には、彼女が随分と楽しそうに選んでいるように映った。
やぬは白猫だからなー……
「先輩。赤色はどうですか?」
「いやー……アリだけど、俺的には青色なんだよな」
「いいですね。とても似合うと思います」
「だよな」
彼女に肯定された俺は、千円ちょっとの首輪を手に取った。
さわり心地の良く、少しひんやりしていて、まるで涼風を触っているような感覚がする首輪だった。
「お値段、結構するの買うんですね」
「まあ、捨てられてたわけだし、ちょっとは贅沢にさせてあげたいからさ」
「それなら買ってきます」
「え?」
後輩は俺の手に持っていた首輪と、同じものを一つ、合計二つを手に持った。
予備の分まで買ってくれようとしているのか?
「いや、俺が買うよ?」
「いえいえ、私も見つけた義務があります。少しでもお手伝いしますよ」
「あー……」
彼女の厚意を無下にするのもだめだと感じて、承諾した。
でもなんで二個……?
「買ってきましたよ」
彼女は本当に二つの首輪を買って外で待つ俺の下にやってきた。
「ありがとうな。そのー……ごめん。名前聞いてなかった」
「あー……そういえばそうでしたね。私は猫宮 小鈴です」
猫を見つけた猫宮か。名前がもう猫らしいな
なんて考えたのを今でも覚えている。
あの時は普通の人間だと思っていたのになー……
目の前に映る猫宮は俺からの名前待ちのようで、少しむすっとした表情を浮かべているようにも見える。
「猫を拾った猫宮 小鈴」
気恥ずかしさを抑えて名前の前に言葉を付け足して言うと、猫宮は微笑んで体を寄せてきた。
もう指は触れてしまった。猫宮の小さく温かい指が、俺の指と重なる。
んー……やぬを見つけた義務か、はたまた俺に対しての好意か、そんなもの考えていないか
猫宮の表情からはとても汲み取れない。
「よく言えました」
「俺は子供じゃない」
そう反論すると笑う猫宮は、俺に対してどんな気持ちを抱いているのだろう。
気になる。とても気になる。だが、それを聞いてしまうと気まずくなることが確定しているだろうから、何も言えない。
困った野郎だ……
「それじゃあこれからは渉流先輩って呼びますね」
「好きにしろ」
「なら、先輩は小鈴って呼んでくださいね」
「いや、猫宮で……」
「好きにしろって言いましたよね」
猫宮はまた揚げ足を取ると、こちらに歩いてきたやぬを抱えた。
「そういえば、今日渉流先輩が鳥って呼ばれてるって聞いたんですけど」
「誰から聞いた」
恥ずかしさで猫宮に近づきながら問うと、猫宮は初めて退きながら唇を内に巻き込んで目を逸らした。
「あー、ごめん。ちょっと鳥って呼ばれるの嫌で」
猫宮から離れると、猫宮が抱えていたやぬが俺の膝の上に移動してきた。
「嫌だったならすみません……もう、言わないです」
「あ、いや……うん。ありがとう」
悪いことしちゃったな
静寂が流れ始めた空気が嫌で、俺はやぬを撫でながら口を開けた。
「俺さ、友達って呼べる友達がいないんだよね。だから、正直こうやってバカやってる猫宮との時間はちょっと楽しかったりもするんだけど、名前も難しいからさ。あまり名前で呼ばれたことなくて、それが逆に距離感じたり、馬鹿にされてるように聞こえちゃうんだよね」
猫宮の方を向くと、今度は口を開けて俺を見ていた。
恥ずかしいとこ見せちゃったな……
「ごめん。忘れて」
そう言って立ち上がろうとすると、服の袖を猫宮が掴んだ。
「渉流先輩。私は友達ですよ」
「そう……だな」
猫宮に名前を呼ばれたとき、心の中が少し暖かくなった。
「ちょっと水取ってくるわ」
頷いた猫宮は、やぬと遊び始めた。
やぬも嬉しそうな声を出して、猫宮も出会った頃よりもだいぶ笑顔や、他の表情を見せてくるようになった。
猫宮がいるから、最近は少しばかり生活が彩られて楽しく感じる。
俺……好きなんだろうな
水道水を一気飲みして、俺はリビングに戻った。
「猫宮。お茶かなんか……」
リビングに戻ると、猫宮はまたどこかで見た猫耳と首輪をつけて、より猫感をアップさせた状態で待ち伏せていた。
「お前さ――」
「猫だにゃん」
――そういうとこだわ、ほんと
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