第20話「甘え」
「お前、どう落とし前付ける気だ」
「すみません……」
小鈴が帰った瞬間。
お兄さんはドンッと足を鳴らして俺の目の前に立った。
いや……近い近い。
「知らない、あんなお兄ちゃんなんてだってな」
お兄さんはさっき小鈴が言った言葉を復唱して、ギロッと俺を睨んできた。
ひっ……。
体が勝手に動かなくなる。
「お、追いかけないんですか」
不意に声が裏返った。
頼むから、帰ってくれ……。
「はぁ……」
溜息を見せたお兄さんはソファーに座った。
いつも小鈴が座る方だ。
ん……。
それを見てなんだかモヤっとした。
とても嫌な気分だ。
小鈴の席……。
「お前、名前は」
お兄さんはおもむろに足を組んだ。
「鴉越……です」
「あ?」
睨まれると背筋が凍る。
だが、それ以上に気分が悪い。
下の名前を聞かれたことくらい分かっている。
でも、なんでか言いたくない。
渉流なんて呼ばれたくない。
「俺は下の名前を聞いたんだよ」
「分かってます」
そう強気で返す。
そんな俺を見て、お兄さんはまた溜息を吐いた。
「なに? 小鈴帰したの、そんなに不満?」
喉元まで汚い言葉が上がってきた。
小鈴という言葉を聞きたくない。
「いや……お茶でも出しますよ」
「そう。分かってくれて助かるよ」
なんなんだこの気分……。
胸がムカムカして、すっきりしない。
溜息を我慢してお茶を出した。
「気が利くね」
「……いえ」
「なに。なんで怒ってんの? 鴉越君」
ん……?
「いや……まあ、別に大したことではないです」
「そう? まあ、いいか。でもさっきまで擁護してくれたのに、なんか悲しいな」
鴉越君と呼ばれるのには抵抗がないようだ。
胸のムカムカが少し減った。
ちゃんと話、聞かないとな……。
「すみません。小鈴、なんで家に帰りたがらないんですか?」
「ん、まあ……鴉越君が好きだからでしょ」
鼻の下が伸びた。
やば……キモいとか思われたか?
「小鈴、重くない?」
お兄さんは見ていなかったのか、話を続けた。
「まだ抱えたことは……」
「ちげーよ。鴉越君、意外と面白いね」
お兄さんは初めて表情を崩した。
「ま、ぶっちゃけると、依存されてない?」
「依存……ですか?」
「おん」
そんなことは考えたこともなかった。
依存か……。
もはや、依存しているのは俺な気もしてしまう。
小鈴がいないと落ち着かないし、飯もまずい。
静かな部屋も辛く感じる。
「その感じなら、大丈夫そうか」
「そう、ですね」
口が裂けても言えない。
「俺が依存してます」なんて。
「今日は小鈴連れ戻すだけのはずだったんだけど……」
お兄さんはソファーの隣をバシバシと叩いて、俺に座るよう催促してきた。
慎重に座ると、お兄さんはこっちに身体を寄せた。
兄妹どっちも距離近すぎだろ……!
「小鈴、親は心配しないって言ってたろ」
お兄さんはゆっくりと話し始めた。
「うちの親、共働きで且つ忙しくてさ。別に貧乏でもないけど、俺たち子供に良い暮らしさせたいらしくて。んで、小鈴は親に甘えられなかったんだよ。疲れてるって一点張りで」
甘えられなかった……か。
今の小鈴からは想像もつかない。
「だから幼少期はよく俺が面倒見てた。でもある日からぱったりと言葉を発さなくなってな。それから笑顔も消えたし、怒りもしないし、泣きもしない。さすがにまずいなって思ってた。だけど、今頃は昔みたいに笑うようになってな。それで、お前らの事付けて来たんだわ」
兄妹ともに俺を尾行すな……。
「そしたらまあ、付き合ってたってことだわな? 驚いたよ。まさか小鈴が心を許すような人が居るなんてな」
心を許す存在……?
俺が……か。
でも小鈴は、最初から心を開いていた気もする。
なんで、俺には心を開いたんだ……?
「まあ、鴉越君を責める気はない。分かると思うけど」
「あ、はい」
「ただ……小鈴を彼女にしたんなら、ちゃんと責任を取れよ」
責任……。
「それだけ。ごめんな驚かせて」
「あ、いえ……滅相も……」
「怖かったろ」
「まあ、」
「はっ、やっぱし。お前面白いやつだな。また来るわ」
いや来るなよ。小鈴じゃあるまいし……。
お兄さんはそれだけ言って帰っていった。
でも、責任……か。
小鈴は今、何を思っているのだろう。
なぜか胸がバクバクする。
思えば何かをすることに責任を感じたことはなかった。
一人暮らしをすることも、捨て猫を拾うことも、小鈴を家に上げたこと、そして付き合ったこと。
俺……そう思うと、最悪だな。
お兄さんが来て、小鈴と釣り合うか問題がさらに加速した気がする。
ちゃんと、守れるのか……俺。
衝動的に小鈴へメールを送っていた。
『小鈴、時間あったら電話したい』
返事が来る前に電話がかかってきた。
え、こわ……。
「渉流?」
電話越しに聞こえる小鈴の声は、胸のざわつきを一瞬で落ち着かせた。
すご……。
「ありがと」
「え?」
「いや、こっちの話」
「あー……、うん」
守れるか……。
守られてばかりだ……。
「あと、ごめん……」
「え?」
俺、弱いもんな……。
「小鈴、あだ名決めない?」
「いいけど、なんで謝ったの?」
小鈴は声を震わせた。
なんでだろう。
やばい……だめだめだな……。
「何でもないよ。ごめん驚かせて」
「ううん。私もごめんね。いきなり帰っちゃって」
「いや、いいよ」
沈黙が走った。
「あ、あだ名。決めよっか」
沈黙を壊したのは小鈴だった。
「鴉越 渉流……から、わた。死霊のからわた」
「お前、前見た映画から付けただろ」
「えへへ、ばれた」
全く……。
涙を流しかけた俺が馬鹿らしい。
「それなら猫宮 小鈴……すず?」
「え、普通」
「だめ?」
「いいよ」
「よかった」
すず、いいな。
「そっちは?」
「じゃあ……タルタル」
「猫じゃん」
「だめ?」
「だめ」
「えー」
楽し。
「ごめん、好き」
「え?」
「ごめん」
「なになにー。私も好きだよ」
んん……。
今言われると体がうずく。
傍に居たら抱き着いてしまいそうだ。
「もー。じゃあ渉流は」
「そのままでもいいよ」
「んー……じゃあそうする」
俺だけ、特別な呼び名。
さっきまでの胸のモヤなんて忘れるくらい、心が温まった。
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