第15話「初キスは、スクランブルエックス味」
翌朝、目が覚めた俺は横に猫宮がいないことに気が付いた。
カーテンの隙間から差し込む日光が目を刺激する。
あくびをしながらリビングに向かうと、スマホと睨めっこしている猫宮が台所に立っていた。
「おはよう、猫宮。何作ってるの」
「スクランブルエックスです」
「エッグ、な」
朝も早いというのに、猫宮は手を交差させて元気そうだ。
今日の料理は変に作っていないといいけど。
歯磨きをして、顔を水で洗って、背伸びをしながらリビングに戻ると、猫宮はまだスマホと睨めっこしていた。
「頼れよ」
「んん……」
猫宮の隣に立つと、そこにはスクランブルエッグが皿に盛りつけてあった。
「あれ、珍しく一人で作れたじゃん」
「……これ、味しなくて」
「え?」
少しスプーンですくって食べてみると、確かに味がなかった。
「お前……世界で初めて、卵の味を何かで相殺したんじゃないか?」
「喧嘩売ってます?」
「いや……ごめんて」
まあ失敗と言えば味付けくらいだろう。
「バター使った?」
「使いました」
「塩コショウは?」
「振りました」
「んー……牛乳は?」
「入れました」
「で、これと」
「はい」
レシピ的には何もおかしくない。
頭を悩ましていると、コンロの上に置かれたフライパンが目に入った。
そこには謎の液体が溜まっている。
……まさかな。
「猫宮」
「はい」
「水、使った?」
「凄いですね。食べて、見ただけで調味料が分かるなんて」
目を輝かせている猫宮に真実を伝えるのはあまりにも酷な話だ。
「んー……俺、作るよ?」
「いえ」
……いえ、じゃないんだよな。
猫宮はやる気があるのか、いつもは見せない真剣な顔を浮かべている。
「一応、なんで水使ったの?」
「えっと……スクランブルエッグってグニョグニョしてるじゃないですか」
「表現……」
「卵ってそのまま焼くと卵焼きになるじゃないですか」
「ん、まあ?」
「なので水を入れました」
「なるほどね……。もしかして、強火でやった?」
「そうです! 弱火って書いてたんですけど、先輩が起きちゃって、早く作ってあげた方がいいかなって思ったので」
猫宮は優しいのか馬鹿なのか。
「俺なら全然待っとくから、ちゃんとレシピ通り作りな」
「でも」
「大丈夫。あ、でも水は入れなくていいよ」
「分かりました。やってみます」
なんとか説得できたようだ。
猫宮はせっせと料理に取り掛かった。
慌ただしい朝。
でも、俺のために頑張る猫宮を見ていると嬉しくなる。
家の台所に俺以外の誰かが立つなんてこと、なかった。
「ありがとな。猫宮」
そう伝えると猫宮は微笑んだ。
夏休み明け、みんなにどう伝えようか。
色んなシミュレーションが頭を巡る。
「俺たち、付き合ったんだよね」
……いや、無理だろ。俺、色んな意味で死ぬぞ?
気を紛らわせようとして浮かんでくるのは、結局どれも猫宮とのことばかりだった。
しばらく想像にふけっていると、猫宮がスクランブルエッグを持ってきた。
「お、出来たじゃん」
「なかなか手こずらせやがりましたよ」
「よく噛まずに言えたな」
猫宮はスプーンでスクランブルエッグをすくうと、俺の口に持ってきた。
「あーんはしな……」
「先手必勝です」
俺が口を開けた瞬間、猫宮はスプーンを俺の口の中に押し込んだ。
反発しようとしたが、想像以上の味が口内を駆け巡った。
美味い……。
「水は入れてないですけど……あ、愛情なら入れましたよ」
そう言いながらすぐそばに座った猫宮から俺はスプーンを奪った。
「ちょ、まだあーん足りてない」
猫宮にされたことをそっくりそのまま返すと、猫宮も表情を変えて口を動かした。
「上手にできたじゃん」
俺の言葉に静かに頷く猫宮。
「ちゃんと美味し……」
言い終わる前に俺はまた猫宮の口にスプーンを入れた。
無言で口を動かす猫宮が小動物みたいで可愛かった。
でも猫宮はジト目で俺を見ていた。
「もう、しないよ」
スプーンを返すと、猫宮は大量にすくっては俺の口先にスプーンを持ってきた。
少しむすっとした顔をしながら。
「わか……」
言い終える前に猫宮はスプーンを口に入れてきた。
無駄な抵抗はせず、されるがままにすると、最後の一口まで猫宮に食べさせられた。
「餌付けみたい」
「本来、俺が飼い主だったはずだけどな……」
「もう付き合ってるので猫じゃないです。それとも、猫耳付けた女の子がフェチですか?」
「いや……どっちも変わらん」
「ふーん……」
猫宮はバッグから猫耳を取り出すと、手慣れた様子で頭に付けては近寄ってきた。
「にゃん」
「も、もう効かんぞ」
「にゃん」
「無駄だよ」
「にゃん」
「分かったって……」
猫宮が猫の声真似をするたびに近づいてきて、もう目の前まで迫ってきた。
「にゃん」
猫宮はそのまま目を閉じて、そっと俺の唇にキスを添えた。
息が止まった。
瞬きも止まった。
ただ心臓だけが激しく動いた。
猫宮は何も言わないで、皿を持って台所まで歩いて行った。
猫宮の柔らかい唇の感触が、ずっと残っている。
……俺たち、付き合ったのか。
「どうでしたか?」
台所から帰ってきた猫宮は、まだキスの余韻に浸っている俺に話しかけてきた。
「いや……」
「私のスクランブルエックス」
猫宮はいつも通り、誇ったように腰に手を置いた。
……まあ、猫宮ならそうくるよな。
「キスの味が――したよ」
そう言うと猫宮は首を傾げた。
「お前の真似したんだろ? 俺、悪いか?」
「そうですね。まだまだですね」
そんな返しをしてくる猫宮が、やっぱり好きだ。
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