表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

93/102

93

翌日エリシア王女は、静かに口を開いた。

「痛みのない手術を、拝見したく存じます」

私はわずかに視線を向けた。

「……あまり、気持ちの良いものではありません」

率直に告げる。見世物ではない、現実だ。

だが、王女は退かなかった。

「いいえ。実際に確かめることも、務めです」

迷いのない声だった。

一拍置き、私は頷く。

「……分かりました」

記録を確認させる。抜歯はしばらく予定がないが、代わりがあった。

「明日、下肢の切断が一件あります」

腐敗が進んだ足、放置すれば命に関わる。

王女は一瞬だけ沈黙したが、すぐに顔を上げる。

「……それで、構いません」

その言葉に、私は短く答えた。

「では、立ち会いを許可します」

翌日。

治療室はいつもよりも静かだった。石の床は洗い流され、余計な物はすべて退けられている。

窓は開け放たれ、空気を通す。机の上には、布で覆われた器具が整然と並んでいた。

患者はすでに横たえられている。

顔色は悪く、呼吸も浅い。足は膝下から黒ずみ、腐敗の臭いがわずかに漂っていた。

王女の足がわずかに止まるが、彼女は何も言わなかった。


医師は短く指示を出す。

「薬を」

用意されたものが差し出される。けしの実から得た抽出物を慎重に量を測り、飲ませる。

やがて患者の緊張がゆるみ、瞼が重く落ちていく。

「……反応は」

「鈍くなっています」

医師は頷いた。

「始める」

布が外され、瞬間、室内の空気がわずかに張り詰めた。刃が入る。

それを、エリシアは“見た”。

人々の動きに迷いはない。すぐに助手が応じ、押さえ、次の器具が渡される。無駄な声もない。ただ、規則的なやり取りだけが続く。

やがて、低く乾いた音が室内に響いた。一定の間隔で、繰り返される音。やがて、その音も止んだ。

「洗浄」

医師の声が落ちる。

温められた湯が使われ、整えられていく。さらに、強い酒の香りが立ち上り、空気が変わる。

「縫合」

淡々とした声がし、過不足なくただ必要なだけ、閉じた。

「……以上です」

医師は短く告げた。

患者は、まだ浅い眠りの中にあった。痛みによる暴れも、叫びもなく静かだった。


沈黙が落ちる。

その中で、エリシア王女は立っていた。

顔色は青く指先がわずかに震えているが、最後まで視線を外さなかった。

やがて、ゆっくりと息を吐く。

「……これが、痛みを抑えた手術……」

私は答えなかった。ただ、現実を見せただけだ。王女は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて静かに言った。

「……見せていただき、感謝します」


手術が終わった後も、エリシア王女はその場から動かなかった。私は一歩だけ近づき、静かに声をかけた。

「エリシア王女、少しお休みになられた方が」

王女はすぐには答えなかった。そして、わずかに息を整え頷く。

「……そうさせていただきます」

その声は、かすかに掠れていた。私はマルクに視線を向ける。

「部屋を」

短く指示する。王女は侍女に付き添われ、その場を後にした。


用意された部屋の扉が閉まる。その瞬間、エリシア王女の足から力が抜けた。

「……っ」

声にならない息が漏れる。侍女が慌てて支えるが、それでも完全には立っていられない。

近くの椅子に、半ば崩れるように腰を落とす。

指先が強く握られていてほどけない。

「殿下……」

侍女が眉を寄せる。

「……あれが、救い……」

言葉が、続かない。

エリシア王女は呼吸が乱れたまま、俯いた。


その頃。

私は廊下を歩きながら、マルクに告げた。

「温かいものを用意しろ」

「……酒で?」

「いや」

短く否定する。

「胃に負担をかける。刺激の弱いもの……、鎮静の薬草を煮出し蜂蜜を落としたものを」

マルクが頷く。

「承知しました」

神経が疲れているはずだ。あの場を最後まで見たのだから。


やがて、部屋の扉が静かに叩かれた。侍女が受け取り、盆を運ぶ。湯気の立つ器から、淡い香りがほのかに広がる。

エリシア王女は、ゆっくりと顔を上げた。

「……ありがとう」

かすかに言い、器に手を伸ばす。

まだ、わずかに震えていて、両手で包むように持った。温かさが指先に伝わり、少しだけ呼吸が整い唇を寄せる。

ほんの一口。

柔らかな甘みが舌に広がり、蜂蜜の香りとほのかな薬草の苦みが静かに沁みていった。

「……」

そのままもう一口、その時ぽつりと一滴が落ちた。器の縁に、小さく波紋が広がる。

「……あ……」

エリシア王女の、僅かに驚いたような声。拭おうとした指先が止まる。

しばらくして、エリシア王女は深く息を吐いた。



扉が、静かに開いた。

先に侍女が一歩外へ出る。周囲を確かめ、わずかに身を引いた。続いてエリシア王女が姿を現す。先ほどまでの蒼白さはすでに薄れ、呼吸は整い背筋も伸びている。

――戻してきたな。

そう思わせるだけの落ち着きがあった。

それでも、完全ではない。視線の奥に残る、消えきらぬ影。けれど、それを表に出すことはない。

王女は歩み寄り、適切な距離で足を止めた。

わずかに顎を引く。

「先ほどはお心遣いをいただき、ありがとうございました」

声音は、いつも通り整っているが、ほんのわずかに、柔らかい。

私は短く応じた。

「当然のことをしたまでです」

視線を外さずに、続ける。

「……押し付けでは、ありませんでしたか」

必要以上に踏み込まぬよう、言葉を選ぶ。王女は一瞬だけ、目を伏せた。

そして、再び顔を上げる。

「いいえ。むしろ、救われました」

その言葉は、小さかった。だが、曖昧ではない。侍女がわずかに視線を落とした。

王女は続けた。

「拝見したものは、決して容易に受け止められるものではありません。それでも……目を逸らすべきではないと、理解いたしました」

一瞬だけ、間が落ちる。

「そのための助けをいただいたこと、深く感謝します」

丁寧に、一礼する。形式に則った動きだが、そこに込められたものは、形式だけではない。

私はそれを受け、わずかに頷いた。

「十分です」

それだけ告げる。

王女は、わずかに微笑んだ。



私は、その表情を見て、何も言わなかった。

……崩れてはいない。

あの場を見てなお、立ち直り、言葉を整え、礼を尽くす。

王女としての矜持が、確かに備わっている。

……楽なものでは、ないな。

あれほどのものを目にしてなお、崩れぬことを求められる立場。守るものでもあり、縛るものでもある。

私は視線を外した。それ以上は、踏み込まない。

「……次に進みますか」

ただ、それだけを告げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
抜歯ならまだしも、手術してまでして生きることはこの世界ではまだ違和感なのかな。協会自体の元々の考え的にも苦痛は試練であり受け入れて死ぬことが普通とか、欠損とか自体もそもそもそうなった時は死んでしまうの…
おおぅ⋯。 脚の切断手術まで出来る医療体制があるのですね。 清潔な環境、効き目の長い麻酔、切れ味が良くて使い勝手がいいメス(ナイフ)、縫合技術、etc. 脚の切断はその後も大変なんですよねぇ。 寝たき…
知識として知ってはいても、血なまぐさい世界は初めて見ただろうし仕方ない。 でも、知らない事には過去に来た意味がないのが辛いところ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ