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一時停戦条約は、正式に結ばれた。
森の外にある交易地は共同管理とされ、三日の戦線固定はそのまま恒常的な停戦へと移行した。
若い捕虜は、暫くして、儀礼を整えた上で城塞都市の伯爵へと返還された。返還の場には双方の旗が立ち、司祭が立ち会い、書記が条文を読み上げた。
血ではなく、言葉で結ばれた約であった。
私は、任を終え、城へ戻ることとなった。
――小国の第三王子。
客将であり、交渉の当事者でもある。
停戦をまとめたとはいえ、領内の戦に深く関わった他国の王子であることに変わりはない。
歓迎されるとは限らない。功を立てたとしても、「余計なことをした」と見る者もいるだろう。
城門が見えたとき、私は無意識に手綱を握り直していた。石造りの高塔。王家の旗が風を受けてはためいている。
門が開く。衛兵たちは整列し、槍を立てた。
視線が集まる。その目にあるのは――警戒でも、敵意でもなかった。
「第三王子レオンハルト殿下、帰還」
高らかに告げる声。次の瞬間、槍の石突きが石畳を打つ音が揃った。
敬礼。城内へ導かれる道の両側に、騎士と従者が並ぶ。
私は一瞬、理解できなかった。
やがて副騎士団長が囁く。
「陛下のご意向にございます」
停戦をまとめた功。戦を拡大させなかった判断。それは、剣の勝利ではない。だが、国を守ったと評価されたのだ。
私は馬を進めながら、静かに息を吐いた。
不安は、杞憂であったらしい。
まず始めに、王との謁見があった。
高天井の謁見の間。壁には王家の紋章が掲げられ、玉座の上に王は座している。
左右には重臣、そして王族。
私は進み出て、片膝をついた。
「第三王子レオンハルト、帰還いたしました」
静寂の中、王の声が落ちる。
「顔を上げよ」
私はゆるやかに視線を上げた。王の眼差しは鋭い。だが、敵意はない。
「報告は受けている。停戦は成立し、捕虜は返還された」
「は。陛下の御裁可と王都のご支援あっての結果にございます」
王はわずかに顎を引く。
「戦を広げぬ判断は、容易ではない」
一瞬の間。
「剣を振るうことよりもな」
重臣の一部が視線を動かす。私は静かに答える。
「血を流さぬ勝利が最善と存じました」
王の目が細まる。
「若いな」
叱責ではない。試すような響き。
「だが――愚かではない」
謁見の間に、微かなざわめきが走った。
「此度の働き、王家はこれを是とする」
その一言は、公式の承認であった。私は深く頭を垂れる。
「恐悦至極に存じます」
厳かに、その言葉を受け取った。
ふと、顔を上げる。玉座の右側。第一王女エリシアと目が合った。
揺らがぬ姿勢。だが、その瞳にはわずかな光が宿っている。おそらく彼女も条約において、意見をしたに違いない。
王が「是」としたその背後に、彼女の後押しがあったことは想像に難くない。
私は、ほんのわずかに微笑んだ。公の場である以上、それは控えめなものに留める。
そして、改めて丁寧に一礼する。
この停戦は、私一人のものではない。
謁見の間の空気は静かに整い、次なる議題へと移っていった。
謁見が終わり、重臣たちが散っていく。石の回廊には、夕刻の光が差していた。私は足を止めた。
「エリシア殿下」
エリシア王女は振り向く。侍女はすぐ後ろに控えていたが、王女の私語に口を挟むことはない。
私は一歩近づき、静かに言った。
「感謝します」
彼女はわずかに眉を動かした。
「この国の王女として、当然の事をしたまでです」
声音は冷静だ。だが拒絶ではない。私は頷いた。
「それでも、です。軍議は容易ではなかったでしょう」
「反発はありました」
彼女は窓外の庭を見やる。
「戦を望む声は、いつの世にも強いものです」
「剣は分かりやすい」
私は答える。
「血もまた」
短い沈黙。回廊を渡る風が、旗を揺らす。
エリシアはゆっくりと私を見る。
「ですが、剣で得たものは、剣で奪われます」
「……同意します」
「だから私は、線を動かさぬ案を支持しました」
その言葉は、公的な理屈。だが、その奥に別の響きがある。私は一瞬、迷った。
「私の書状を読んだとき、どう思われましたか」
問いは慎重に選んだ。彼女はわずかに目を細める。
「率直に申せば――緩い、と」
思わず、私は小さく笑った。
「多くの将も同じことを。けれど」
彼女は続ける。
「緩い案ほど、長く持つこともございます」
視線が重なる。言葉はそれ以上いらない。
この停戦は、互いに譲った結果だ。
そして、互いに守った結果でもある。
私は深く一礼した。
「殿下のご助力、忘れません」
「忘れていただいて結構です。結果が残れば、それでよいのです」
それは、王女の矜持に見えた。私はそれ以上踏み込まなかった。
私は一歩退いた。
「では、これにて失礼いたします」
もう一度、丁寧に一礼する。
エリシアは静かに頷いた。
瞳が一瞬、私を追うように動いた気がした。ほんのわずかに。
「……お気をつけて」
その声には、公的な響きの中に柔らかい余韻があった。
私は一瞬、止まる。
だが、振り返ることはしないまま、ゆっくりと回廊を歩き出した。
エリシアは動かなかった。
王女が先に立ち去るのは礼を欠く。
ただ静かに、私の背を見送っていた。




