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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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私は執務室で、机の上に置かれた麦角をじっと見つめていた。

紫がかった黒色をした細長い塊。穂から突き出していた姿を思い出せば、まるで穀粒の中に、一本だけ異物が混じっているように見える。

指先でつまんでみる。

硬い。表面には細かな縦じわがあり、ところどころに浅いひび割れもある。

「……全く分からない」

昔の記憶を探ってみても、こんなものを見た覚えはない。

私は麦角を裏返した。

普通の麦粒とは、あまりにも違う。

「もし、これが生き物だとしたら……?」

そう呟いたところで、ふと思いついた。

私はすぐに研究者を呼んだ。

「これを土に埋めたら、どうなると思う?」

研究者は麦角を覗き込み、首を傾げた。

「出来損ないの、巨大なライ麦の粒……ですよ?」

「それでも、だ」

私は麦角を机の上に置いた。

「普通の穀粒と同じように、土に埋めてみろ」

「芽が出ると?」

「分からない」

私は正直に答えた。

「だから観察するんだ」

研究者は少し戸惑った顔をした。

「どのように?」

「まず、大きさと形を記録する。色もだ。表面に変化が出たら、その時点で記録する」

私は麦角の横に、細い枝を一本置いた。

「これを基準にして、毎日比べろ。割ったものも一つ用意して、中身も記録する」

「中身まで、ですか?」

「外から変化が見えないこともある」

研究者は頷き、記録板に書き留め始めた。

「そして、一つだけでは駄目だ」

「複数を?」

「ああ。土に埋めるもの、土の上に置いておくもの。乾いた場所に置くもの。湿った場所に置くもの。それぞれ分けろ」

私は少し考えた。

「さらに、埋める深さも変えてみよう。浅いものと、深いものだ」

研究者の表情が僅かに変わった。

「条件を分けて、違いを見るのですね」

「そうだ。何も起こらなければ、それも結果だ」

私は黒い麦角を見つめた。

研究者は麦角を慎重に木箱へ収めた。

その日から、麦角の観察が始まった。

毎日、同じ時刻に土の状態を確かめる。

麦角の色、硬さ、表面のひび、大きさ、重さ。

そして何か変化があれば、その日のうちに記録する。

最初の数日は、何も起こらなかった。

黒い塊は、ただ土の中で眠っているように見えた。


数日後の朝。

私は執務室で書類に目を通していた。

そこへ、研究者が息を切らせて駆け込んできた。

「陛下!」

「どうした?」

「例の麦角です!」

その言葉に、私は顔を上げた。

「何かあったのか?」

研究者は大きく頷いた。

「土に埋めたものの一つに、変化が現れました」

「変化?」

「はい。昨日までは何もなかったのですが……今朝、土の表面から何かが出てきています」

私は椅子から立ち上がった。

「芽か?」

「分かりません」

研究者は首を振った。

「少なくとも、普通のライ麦の芽とは違います」

私は研究者の後を追った。

観察用に用意した小さな畑へ着くと、研究者が土の一角を指差した。

そこには、黒い麦角から細い柄のようなものが伸びていた。

「……何だ、これは」

土から顔を出しているのは、緑色の芽ではなかった。

細い柄の先に、小さな丸みを帯びた頭部がついている。

まるで、極めて小さな茸のようにも見える。

私はしゃがみ込み、じっと観察した。

「昨日の記録は?」

研究者が記録板を差し出す。

「昨日の朝は、土の表面に何もありませんでした」

「では、一晩で出てきたのか」

「そのようです」

私は小さく呟いた。

「こいつは、死んだ穀粒ではない」

研究者も、息を呑んでそれを見つめていた。

「では……生きている、と?」

「まだ分からない」

私は首を振った。

「だが、少なくとも何かが始まった」

そして私は、記録板を指差した。

「毎日、同じ時刻に観察しろ。高さ、形、色。少しでも変化があれば記録するんだ」

「承知しました」

「それから――。絶対に勝手に捨てるな」

私は、土から伸びた小さなものをもう一度見た。

研究者は真剣な顔で頷いた。

「はい」

小さな黒い塊から伸びた、奇妙なもの。

それは、麦角について何も分からなかった私たちにとって、初めて目の前で起きた明確な変化だった。


その後、研究者から届いた報告書にはこう記されていた。

乾燥した場所、深く埋めた場所では、いくら待っても何も出てこない。

そして、あの奇妙な物。発生してから二週間ほどでしおれていき、やがて形を失う。消滅したと判断する。

記録はそこで終わっていた。


……短期間で枯れ、消える。これは植物の芽ではない。むしろ、冬を越した何かが、条件が整った時だけ姿を現している。

黒い塊そのものが、本体なのではない。そこから伸びてくる小さなものが、おそらく胞子を作るための器官なのだ。

結論、麦角は菌類だ。

胞子が飛ぶのなら、おそらくこうなのだろう。

春に地面から現れた子実体が胞子を放つ。

その胞子が風に乗り、開花中のライ麦へ入り込む。

感染した麦は、やがてベタベタした甘い汁を出す。――これは、虫を呼んでいるのではないか。

ハエやアリがその汁に集まり、身体に胞子を付ける。

そして別の麦へ移る。

春の小さな子実体から始まり、風による感染、甘い汁、虫による拡散。

そして夏には、麦の穂から黒い角が現れる。

だが、このことを公表するつもりはなかった。

まだ早い。

神や天使、悪魔ならば信じられる。

だが、目に見えない小さな粒が病を広げると言われても、それを確かめる術がない。

下手をすれば、私自身が「悪魔の力を知る者」と疑われかねない。

まして、流産や家畜の死まで同じ原因だと公に語れば、なおさらだ。

だから、今は黙っておく。

重要なのは、正体を皆に理解させることではない。

原因が分かれば、対策も可能なのだ。

土の中で冬を越すのなら、それを地中深く埋めればいい。

感染した麦を見分けられるなら、食料から取り除けばいい。

仕組みを理解できなくても、被害を減らすことはできる。


私はそう考えながら、閉じた報告書に手を置いた。

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― 新着の感想 ―
改めて自然の怖さというか、人間のちっぽけさを感じる回でした。
阿片だったり、麦角菌だったり、中毒症状だったり、 今までの人類が学んできた知識を生かした事例への対処・模索が描かれていて とても面白く、それぞれの項目についても改めて興味がわいてきました。
赤カビ黒カビ予防にミラビスフロアブル!!(一般農家感) 今でこそ防除で防げるけど中世だとどうしようも無いんかなwww
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