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ある一室にて。
「行っているのは、レオンハルト陛下の直命による実験です。冷害による飢饉を乗り越えるための研究にすぎません」
研究者は必死に言葉を選んだ。
「陛下からは、実験が完成するまで何人にも内容を明かしてはならぬと、厳重な箝口令を敷かれております。私の一存で話すことはできません。どうか、これ以上は陛下に直接お尋ねください!」
「王命、か……」
修道士は低く呟いた。
「お前がそう言うことは分かっている」
研究者が顔を上げる。
「我らも、レオンハルト陛下が何を成し遂げてきたかは知っている。阿片の研究もそうだ。薬として利用し、多くの病人を救い、教会にも莫大な利益をもたらした」
修道士は研究者をまっすぐ見た。
「だからこそ、今回のことが理解できぬのだ」
「……?」
「阿片のときとは、明らかに違う」
修道士の声が重くなる。
「今回、お前たちが集めているのは、薬草ではない」
修道士は一歩近づいた。
「麦角を、なぜ大量に運び込む?」
「それは……」
「しかも、阿片を扱ったときと同じ『命の水』と『酢』を使い、そこから何かを取り出している」
修道士の目に疑念が浮かんだ。
「我らは陛下を疑いたいわけではない。しかし陛下の手の者が、陛下の知らぬところで何かを作っている可能性はある」
研究者が息を呑む。
「陛下の命令だと言いながら、実は別のものを作っているのではないか」
そして、声を落とした。
「民を狂わせる薬を。あるいは、この病をさらに広げるためのものを」
「違います!」
研究者が思わず声を上げた。
「ならば、何を作っている?」
研究者は口を閉ざした。
王命を破ることはできない。
しかし、修道士の疑念も理解できた。
今年、実際に民が病に倒れている。さらに、町には異様な臭いまで流れている。
修道士が完全な狂信者なら、ここで「異端だ」と断じていたかもしれない。
だが、彼もまた迷っていた。
レオンハルト陛下の研究ならば、何か理由があるはずだ。
それでも、信徒たちが不安を訴えている以上、見て見ぬふりをすることもできない。
「……だからこそ、確かめる必要がある」
修道士は静かに告げた。
陛下の命令と、信徒を守る責任。
その二つが、真正面からぶつかっていた。
舞台は執務室へ移る。
私は、研究者たちにつけていた直属の諜報員から報告を受けていた。
「陛下……研究者が、教会の司教に呼び出されました」
諜報員は息を整えながら続ける。
「先ほど、修道院へ。麦角の研究について問いただされているようです。どうやら、あの臭いの正体を探っていたのでしょう」
私は黙って聞いていた。
やはり来たか。
研究室から漂う、あの強烈な臭い。街で噂になった時点で、教会が動くことは予想していた。
だからこそ、研究者にはあらかじめ隠密をつけていた。護衛として。そして、万が一の時に知らせを届けるために。
「研究者は?」
「まだ修道院の中です。戻ってきておりません」
私は窓の外を見た。すでに夜だった。
今から兵を動かせば、教会との衝突になる。夜中に武装した兵を送り込めば、こちらが悪者にされかねない。
隣にいたマルクが尋ねた。
「今すぐ、動きますか?」
私は首を横に振った。
「いや。動くのは早朝だ」
「……よろしいのですか?」
「むしろ、今は動かない方がいい」
私は椅子から立ち上がった。
「研究者を連れ去ったのが事実なら、明日の朝には私が正式に迎えに行けばいい」
マルクが目を細める。
「正式に……ですか?」
「ああ」
私は外の暗闇を見ながら笑った。
「教会が聖域を盾にするのなら、こちらは王の権威を盾にする」
そして翌朝。
太陽が昇るのとほぼ同時に、私は馬にまたがった。その後ろには、完全武装した近衛騎士たちが並んでいる。
私たちは堂々と修道院へ向かった。
やがて、重い門が見えてくる。
私は馬を止めた。
「門を叩け」
ドン、ドン、ドン――。
朝の静けさを破るように、門が鳴った。しばらくして、修道士たちが慌ただしく姿を現す。
そして、その奥から司教が出てきた。
私の姿を見た瞬間、司教の顔が強張った。
私は馬上から、淡々と声をかけた。
「司教様。朝早くからすまない」
「……陛下」
「昨夜は、我が研究者と随分と熱心に議論してくれていたそうですね」
司教の顔から血の気が引いていく。
「い、いえ……それは……」
「私も、その議論に加わりたいです」
私は微笑んだ。
「研究者のところへ案内してくれますか」
司教が言葉を失う。
私は続けた。
「場所は分かっています」
その瞬間、司教の表情が凍りついた。
自分たちしか知らないはずの場所。
修道院の奥。 地下にある秘密の部屋。
そこまで王が正確に知っている。
つまり、教会の内部にまで、王の目と耳が入り込んでいる。
「……こちらへ」
司教は力なく身を翻した。
私は近衛騎士たちを従え、その後を歩いた。
地下へ下りる階段、重い扉。その先に研究者がいた。
「陛下……!」
研究者は私の姿を見るなり、安堵したように息を吐いた。
私は研究者に頷いてから、司教へ向き直った。
「さて、司教様」
司教が恐る恐るこちらを見る。
私は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、机の上へ置いた。
「まず、私から謝らなければなりません」
司教がわずかに目を見開く。
「麦角を使った研究であることは、すでに教会にも知られているのでしょう。問題は、その匂いです」
私は素直に頭を下げた。
「研究施設の管理が不十分でした。臭いを流してしまったことは、こちらの落ち度です」
司教は黙っている。
「あれほど遠くまで臭いが届くとは、我々も把握していませんでした」
私は続けた。
「今後は、温泉地の風下に隔離した研究施設を設けます。温泉地の人々に迷惑をかけないことを約束します」
司教の表情が、わずかに和らいだ。
「そして、その施設についてですが……」
私は羊皮紙を司教のほうへ押し出した。
「教会にも、一緒に作っていただきたい」
「……共同で?」
「ええ」
私は頷いた。
「研究費を負担してほしい、という話ではありません。教会と我々で、研究施設そのものを共同で運営するのです」
司教が羊皮紙へ目を落とす。
「研究で得られた知見は、教会にも惜しみなく共有します」
私はそこで、少し声を落とした。
「……この研究には、教会にとっても大きな意味があります」
司教が顔を上げる。
「我々が目指しているのは、ただの薬ではありません」
私は静かに告げた。
「呪いを払い、神の試練を越えるための、聖なる秘薬です」
司教の目が大きくなる。
「私が受けたお告げによれば……その研究の先には、産後の女性を救う特効薬につながる手がかりがある」
「産後の……女性を?」
「ええ。多くの女性の命を救える薬になるかもしれません」
私は司教をまっすぐ見た。
「もし本当にそれが実現すれば、その価値は阿片にも匹敵する。あるいは、それ以上になるでしょう」
司教は黙って聞いている。
「そこで提案があります」
私は羊皮紙の一文を指で示した。
「完成した薬を貴族へ販売する権利は、この国と、研究に協力した教会が共同で独占する」
司教の視線が羊皮紙を追っていく。
「教会は、その薬を『教会が認めた聖なる薬』として扱える。こちらは研究と製造を担う。双方に利益があるはずです」
しばらく沈黙が続いた。
私は最後に、もう一つの条件を口にした。
「そして、願わくば……教会が長年守ってきた聖なる技術、聖なる知識も、研究に提供していただきたい」
司教が顔を上げた。
「教会にしか知られていない薬草の知識や、古い医療の記録があるのでしょう?」
私は微笑んだ。
「それらを、我々の研究者にも教えていただきたいのです」
司教は羊皮紙を見つめた。
そこには、単なる金銭の要求ではない。
教会と王国が、互いの知識と権威を持ち寄り、一つの薬を生み出すための協定が記されていた。
やがて司教は、ゆっくりと羽根ペンを取った。
こうして私は、教会と麦角の研究を進めることになった。




