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数日後。
執務室に、麦角班の研究者たちが集まっていた。
以前の調査から、彼らはさらに聞き取りを重ねていた。
「新たに分かったことは?」
私は尋ねる。
研究者の一人が記録を開いた。
「これまでと同じく、手足の冷えや焼け付くような痛み、指先の黒変、壊疽。そして、けいれんや錯乱、幻覚が確認されています」
「他には?」
「妊婦について、気になる記録がいくつか見つかりました」
研究者は、少し言いよどんだ。
「……内緒にしてほしいと言われたのですが」
研究者は周囲を気にするように声を落とした。
「ある老婆が、麦角をこっそり使っていたそうです」
「何に?」
私は眉を寄せた。
「……妊婦がなかなか出産できない時や、出産後に血が止まらない時に、ほんの少しだけ使うことがある、と」
私は黙っていた。
先ほどの報告が頭の中でつながっていく。
麦角を食べた妊婦に起きた、激しい腹痛。
そして、老婆が麦角を使っていたという話。
私は顔を上げた。
「つまり、麦角には子宮を強く収縮させる作用があるのではないか?」
研究者たちは互いに顔を見合わせた。
「もし、それが本当なら。その作用を、利用できるかもしれないな」
そこで初めて、その作用の別の可能性が見えてきた。
しかし、すぐに表情を引き締める。
「もちろん、危険なのも分かっている」
麦角を食べた者には、壊疽も幻覚もけいれんも起きている。
「問題は、そこだ」
レオンハルトは研究者たちを見渡した。
「麦角には、人を壊す作用と、子宮を収縮させる作用が同時に現れているのかもしれない」
「……別々の成分が含まれている、と?」
「可能性はある」
私は続けた。
「ならば、幻覚や壊疽を引き起こす部分を避けて、子宮を収縮させる作用だけを取り出せないだろうか」
研究者たちの目が変わった。
「それを確かめてほしい」
「はい」
「麦角そのものを食べさせる必要はない。まず、そこから何かを取り出せないか試してみてくれ」
私は念を押した。
「いきなり人で試すな。まずは家畜などを使って、薄めた抽出液にどのような反応が出るかを調べるんだ」
「分かりました」
「子宮の収縮だけでなく、けいれんや体温、四肢の状態、呼吸なども記録してほしい」
研究者たちは深く頭を下げた。
「承知しました」
こうして麦角班の研究は、新たな段階へ進むことになった。
研究者たちは、まず麦角を集めた。
冷害に見舞われた畑では、黒い角のような麦角が、いくらでも見つかった。
集められた麦角は木箱を満たすほどだった。
それを石の乳鉢に入れ、杵で細かく砕いていく。ごりっ、ごりっ、と乾いた音が実験室に響く。
硬い黒い塊は、やがて細かな黒い粉へと変わっていった。
次に用意されたのは、二種類の液体だった。
一つは、ワインを蒸留器にかけ、何度も蒸留して作った強い酒。
研究者たちはこれを「命の水」と呼んでいた。
普通の酒とは比べものにならないほど強く、植物からその精髄を取り出すための液体として、錬金術師たちにも重宝されている。
もう一つは、酸味の強い酢だった。
これもまた、固いものを溶かし出すために使われてきた液体である。
砕いた麦角の粉を、その二つの液体に浸す。
容器を温かな湯の中に置き、二週間をかけて待った。
液体に黒い色が少しずつ溶け出していく。研究者たちはそれを布で何度も濾した。
最後に残ったのは、麦角の黒さとは似ても似つかない、琥珀色の液体だった。
数日が経った頃、実験室の周囲に異変が起きた。
すり潰した麦角を強い蒸留酒と酢に浸し、温めていた容器から、奇妙な匂いが漏れ始めたのだ。
ツンと鼻を刺す酸っぱい臭い。その奥には、腐ったキノコのような、生臭い臭いが混じっている。
風向きによっては、それが実験室の外まで流れていった。
最初は、誰も気に留めなかったが、何日も続けば話は変わる。
「また、あの臭いだ……」
「夜になると、特にひどい」
「あそこでは何をやっているんだ?」
やがて噂は、尾ひれをつけて広がっていった。
そして、ついには教会へ駆け込む者まで現れた。
「神父様、大変です!」
「どうしたのです?」
「あの実験室から、恐ろしい臭いがするのです!」
住民は青ざめた顔で訴えた。
「地獄の硫黄のような臭いです。死体が腐ったようでもあります。冷害で麦まで黒くなっているのに……あそこで何か恐ろしいものを煮ているに違いありません!」
神父は黙って話を聞いていた。
もちろん、そこがレオンハルト陛下の研究室であることは知っている。
そして、彼がこれまで何を成し遂げてきたかも知っていた。
阿片の研究も、人々を救うために利用してきた。
だからこそ、今回も単なる悪事だとは考えたくなかった。
「……麦角、ですか」
神父は呟いた。
今回集められているのは、薬草ではない。
「阿片の研究とは……少し違いますね」
神父の表情が曇った。
もし、彼の研究者たちが、この麦角から何かを作ろうとしているのなら。
「……まさか」
神父の胸に、別の疑念が浮かんだ。
「陛下に隠れて……呪いの薬を作っているのでは?」
もちろん、それが事実だと決まったわけではない。
だからこそ、確かめなければならなかった。
何より、実際に信徒たちが臭いに苦しんでいる。
教会には、信徒を守る責任がある。
「……事実を確かめます」
神父は立ち上がった。
しかし、一領主ならまだしも、今は国王である。
研究室へ直接踏み込めば、国王への越権行為になりかねない。
そこで教会は、まず研究者本人に事情を聞くことにした。
その日、研究室から出てきた一人の研究者が、人通りの少ない場所へ差しかかったところで、修道士が声をかけた。
「研究室からの臭いについて、少しお話をしたいのですが。お時間を頂けませんか」
研究者の顔が強張った。
「今日は……少し体調が優れないので。明日でも可能でしょうか」
修道士は、穏やかに微笑んだ。
「おお、それは痛ましい。ならば、我ら修道医が診察いたしましょう。こちらへ」
「いえ、それには……」
研究者が一歩退く。
修道士は笑みを消した。
「もちろん、無理にとは申しません」
声は穏やかだった。
「ですが、これは信徒たちから寄せられた訴えでもあります。私たちには、確かめる責任があります」
「……」
「そして、もし研究に何の問題もないのであれば、それを確認するだけのことです」
研究者は黙り込んだ。
「ですが、もし危険なものを扱っているのであれば……」
修道士は静かに続けた。
「その場合は、たとえ陛下の研究であろうとも、教会として見過ごすことはできません」
それは、国王への反抗ではなかった。
信徒を守るために、教会が負う責任だった。
研究者はしばらく迷った末、うつむいた。
「……分かりました」
「ありがとうございます」
こうして研究者は、教会へ連れて行かれることになった。




