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戴冠式が終わると、宴となった。
人々は大聖堂を出て、司教宮殿へと移動していく。
司教宮殿には、大勢の客を迎えるための大広間と巨大な厨房が備えられていた。高い天井を支える石柱。壁には聖人を描いたタペストリーが掛けられ、長い卓には白布が整然と敷かれている。
リディアは大広間へ足を踏み入れた瞬間、小さく目を見張った。
――暖かい。
足元から、じんわりと温もりが伝わってくる。
「……これは?」
思わず口にすると、少し離れた所にいた王命監察官が小声で答えた。
「床下に、温泉の湯を通しているそうです」
薪を大量に燃やしている様子はないが広間全体が暖かい。
リディアは、足元へ視線を落とした。
温泉の熱を、暖房にも利用している。 レオンハルト陛下らしい、とふと思った。
やがて、料理が運ばれてきた。
最初に出されたのは、湯気の立つスープだった。香草の香りが広がり、冷えた身体を内側から温めていく。
続いて、葡萄酒が注がれた。
そこには様々なハーブが加えられていた。それにもかかわらず、味は驚くほど軽く、口当たりも良い。
「これは……」
思わず声を漏らす者がいる。
長旅で疲れていた客たちは、その飲みやすさに感嘆していた。
やがて、肉料理が運ばれてくる。
肉そのものだけではない。客の体調に合わせて、いくつものソースが用意されていた。
胃の弱った者には香辛料を抑えたもの。身体を温めたい者には香草を効かせたもの。
一人一人に合わせて選べるようになっている。
料理を口にした貴族たちから、次々と称賛の声が上がった。
だが、リディアが驚いたのは料理だけではなかった。
大広間の一角では、一冊の大きな帳簿が広げられている。
そこには、大聖堂の建設に関わった者たちの名が記されていた。
寄進した貴族、資材を提供した商人、遠方から寄付を送った者。
「この聖堂が完成すれば、さらに多くの巡礼者が訪れるでしょう」
陛下の側近マルクが、静かに説明している。
「この地には温泉もあります。身体を癒すため、休養のため、その目的の人々も増えるでしょう」
貴族たちは興味深そうに帳簿を覗き込んでいた。
聖堂への寄進、巡礼者を迎えるための宿、道や町の整備。
表向きは神への奉仕の話だ。
けれど、その先にあるものをリディアは理解した。
この国は、聖堂と温泉を中心に、人を呼び込もうとしている。
そして宴そのものが、そのための宣伝にもなっていた。
やがて宴が終わりに近づく。
帰り際、来賓たちには小さな革袋が手渡された。
中に入っていたのは、一枚の厚手の羊皮紙。王家の印が押され、その名が記されている。
王室湯治館・特別滞在証。
この地を訪れた際、王室直轄の湯治館に優先して滞在できるという証だった。
リディアは、それを手の中で眺めた。
一見すれば、王からの厚意にしか見えない。
けれど、これを受け取った者はきっとまたこの国を訪れる。
病を得た時、身体を休めたい時、家族と静かに過ごしたい時。
そのたびに、この国を思い出すだろう。
リディアは、羊皮紙に押された王家の印影を見つめた。
「……彼らしい」
なぜか、そんな気がした。
リディアは少し、目を伏せた。
最近、自分の周りが騒がしい。
貴族たちが、何かと理由をつけて声をかけてくるようになった。
最初に話しかけてきたのは、若き子爵だった。
冷害によって領地は打撃を受けているものの、彼の領地には鉱山と港があるという。
「我が領には鉱山があります。港もあります。ですが、それだけでは十分に活かしきれてません」
そう言って、彼は穏やかに笑った。
「貴女の農業や領地経営の知識と、我が方の資源を組み合わせれば、互いに大きな利益を得られるでしょう」
彼は、ただリディアの領地を頼ろうとしているわけではなかった。
鉱山の資源を港へ運び、商人を呼び込む。農業だけに頼らない領地を作るための構想も持っていた。
話し方も理性的で、立場を利用して押しつけることもない。
婚姻を、互いの領地を発展させるための同盟として考えている。
若さゆえの野心はある。
だが、それも決して嫌なものではなかった。
領地を共に発展させる相手として考えれば、むしろ頼もしい。
悪くない話だった。
次に現れたのは、少し離れた辺境を治める辺境伯だった。
第二王子より南の土地だった。
冷害の影響を受けている地域でありながら、彼の領地は第二王子の領地ほど大きな被害を出していないという。
備蓄を持っていたのと、街道を確保していたこと。領民への配給も滞らせていない、と彼は言っていた。
厳しい状況の中でも、領地をよく守っている。
「冷害は、いつまで続くか分かりません」
辺境伯は静かに言った。
「だからこそ、今だけを見ていてはいけない。領民が生き延びられるだけの備えを、次の冬まで残しておく必要があります」
その言葉に、リディアは感心した。
華やかな功績ではない。
けれど、こうした危機の中で領地を維持できることこそ、領主としての力量なのだろう。
さらに、彼の領軍も強かった。
辺境という土地柄、常に外敵への備えが必要になる。
そのため兵はよく鍛えられ、街道や国境の守りにも精通している。
「貴女と婚姻を結ぶのであれば、我が軍もまた貴女の領地を守るために動きましょう」
それは単なる求婚ではなかった。
自分の領地を守るだけではなく、領地同士で支え合おうという提案だった。
冷害の最中でも領地を維持する実力。
鍛えられた軍。
そして、危機に際して冷静に判断できる領主としての力量。
これもまた、十分に魅力的だった。
そして、最後に現れたのは中央の侯爵令息だった。
洗練された身なり、穏やかな笑み。
そして、王宮や教会との繋がり。
「私なら、中央に口を利けます」
彼は、まるで秘密を教えるように声を落とした。
「救済金の確保も、税の減免も。私の人脈を使えば、貴女の領地にとって有利な条件を引き出せるでしょう」
彼は中央の貴族たちだけでなく、商人や高位聖職者にも知己が多いという。
何か問題が起きた時、王宮まで話を通せる。
冷害が続く今、その力は決して小さくない。
しかも、彼とは以前から顔見知りだった。
昔の話を持ち出しては自然に距離を縮めようとしてくるが、その態度にも嫌味がなかった。
「昔から、貴女は領民のことばかり考えていましたね」
そう言われた時、リディアは少し驚いた。
自分のことを、以前から見ていたのだと思った。
中央との繋がり、政治的な交渉力。
そして、自分自身を知っているという安心感。
これもまた、魅力的だった。
第三王子という後見人が国王になった事で解消された。それはリディアにとって不安のひとつでもあったのだった。
三人とも、決して無能ではない。
それぞれに力があり、領地にとって得られるものもある。
だからこそ、リディアは困っていた。
どの話も、条件だけを見れば悪くない。
けれど、どうしても、何かが足りないような気がした。
「申し訳ありません。今は、そういったことを考える余裕がありませんので」
そうやんわりと断っても、彼らは諦めなかった。
別の日には別の理由をつけて訪れ、また別の日には贈り物を持ってくる。
それぞれが、自分こそが最も相応しい相手だと言わんばかりだった。
リディアは、現実に戻った。
そして、ふと視線を上げる。
その先に、エリシア王妃がいた。
王妃となった彼女は、少し離れた場所でレオンハルト陛下と話をしている。
その表情には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
リディアは、その姿をしばらく見つめた。
そして、ほんの少しだけ、目を細めた。
「……でも、決めなくてはいけないのよね」
小さく呟き、リディアは自分の手を静かに見つめた。
この領地を守るために。 領民の暮らしを守るために。
いつまでも、答えを先延ばしにすることはできない。
そう思うのに――胸の奥には、まだ何かが引っかかっていた。




