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教皇庁の奥深く。
外の喧騒から隔てられた石造りの会議室に、教皇に近侍する高位聖職者たちが集まっていた。
発端となったのは、第三王子レオンハルトの領地から届けられた報告だった。
建設中の大聖堂において、大国の王妃が神託を受けた。
――第三王子レオンハルトを、次代の王とせよ。
重大な内容だけに、教皇庁は領地からの報告をそのまま受け入れることはしなかった。
王妃が神託を受けた状況、その場に居合わせた者たちの証言、大聖堂で起きた出来事。それぞれの証言を照らし合わせ、慎重に確認を進めた。
しかし、いずれにも神託を偽装した形跡は見つからなかった。
少なくとも、教会が虚偽と断じる理由はない。
だからこそ、高位聖職者たちは頭を悩ませていた。
「……しかし、小国の国王は、つい先頃にようやく王位を取り戻したばかりです」
一人の枢機卿が口を開いた。
「その直後に、第三王子を王にせよという神託が下された。これは、いったい何を意味するのでしょう」
「王位簒奪事件そのものに、神の御意志があったのでは?」
別の聖職者が言った。
「第二王子による簒奪が起こり、王家は大きく揺らいだ。もし、あの事件さえも第三王子を王座へ導くためのものだったとすれば……」
「では、神が望んでおられるのは、第三王子が小国の王となることなのですか?」
老齢の枢機卿が、静かに言葉を挟んだ。
「第三王子が王になるべきだとして、その国とは何なのか。現在の小国そのものなのか。それとも……」
その答えは、まだ誰にも分からなかった。
高位聖職者たちは、神託の意味を巡って協議を重ねることになった。
その最中、一通の書簡が密かに届けられた。
第三王子レオンハルトからの書簡だった。
内容は、自らの領地を独立させ、そこで王となることが、神託の示す「正統な王」という言葉に当てはまるのか、という問いだった。
「神託は、第三王子を王とせよと示している。ならば、小国そのものを治めるべきなのでは?」
「しかし、第三王子自身がそれを望んでいないようだ」
別の枢機卿が反論した。
「小国の王冠を戴けば、軍も諸侯も財も彼の権力の下に集まる。自らの判断だけで国を動かせるようになれば、教会の意向を受け入れさせることは、今よりはるかに難しくなる」
卓を囲む者たちが黙り込む。
「ならば、彼の領地だけを独立させるべきだ」
別の聖職者が言った。
「小さな国ならば、教会の庇護なしに国を維持することは難しい。財政も軍備も、我々の支援を必要とするだろう。そして、阿片の利益も関わる」
その言葉に、何人かが反応した。
「独立した領地ならば、教会がその交易を支えることで、利益の流れを我々の手に置ける」
「だが、それでは小さすぎる」
反対の声が上がった。
「神託を利用すれば、小国そのものを教会の影響下に置けるかもしれない。阿片の利益も、小国全土へ広げられる」
「第三王子をあの領地だけの王にして満足するのは、あまりにも弱気ではありませんか」
意見は割れた。
小国の王に据えるか。
それとも、領地だけを独立させるか。
結論が出ぬまま、協議は続いた。
数日後。
再び、同じ会議室に高位聖職者たちが集まっていた。
議論の最中、扉が叩かれる。
「失礼いたします」
一人の書記官が入ってきた。
その手には、一通の封書がある。
「第三王子レオンハルト殿下について、内密に行っていた調査の報告書が届いております」
その言葉に、室内の空気が変わった。
「調査?」
「はい。阿片の技術を手にして以来、あの領地で何が行われているのか。教会としても把握しておく必要があると判断し、密かに調べさせておりました」
封を切った枢機卿が、報告書へ目を通していく。
やがて、その眉がわずかに動いた。
「……これは」
「何が書かれているのだ?」
枢機卿は、しばらく黙って読み進めた。
「第三王子は、阿片だけではなく、別の研究にも手を広げているようです」
「別の研究?」
「明礬、麦角。それに、鉱物や薬草についても研究を進めています」
一同が顔を見合わせた。
「麦角……?」
「何故、麦角を?」
「それが……全く分かりません」
枢機卿は報告書へ目を落とした。
「麦角の混じった麦を集めさせ、何らかの実験を行っていることは確認されています。しかし、その目的までは掴めておりません」
「明礬や他の薬草についても同じなのか?」
「はい。何を見つけようとしているのか、まだ分かっていないようです」
しばし、沈黙が落ちた。
「しかし、研究はまだ途上でしょう。成果が出るとは限りません」
一人の聖職者が慎重に言った。
「阿片の技術と同じように考えるのは、早計では?」
「確かに」
別の枢機卿が頷く。
「だが、彼は阿片ですでに結果を出している」
その言葉に、室内が静まった。
「一つの技術を成功させた者が、さらに未知のものへ手を伸ばしている。これを、ただの偶然と考えてよいのでしょうか」
老齢の枢機卿が、ゆっくりと口を開いた。
「我々には、まだ彼が何を見ているのか分からない」
誰も反論しなかった。
「だが、阿片のときも同じだった。彼が何をしようとしているのか、我々には分からなかった。それでも、結果として人々を救う技術を生み出した」
枢機卿は報告書を閉じた。
「ならば、今回も同じかもしれません」
その言葉に、一同の表情が変わった。
「もしかすると、阿片の技術そのものが、神から彼に与えられた啓示だったのかもしれません」
室内が静まり返る。
「阿片によって富を得ることだけが目的ではない。その知識をもって人々を救えということだったのなら……」
一人が、ぽつりと言った。
「王妃の神託も、神の御意志だったと?」
「そう考えるべきなのかもしれません」
枢機卿は机上の報告書を見つめた。
「神が彼に知識を与え、その知識を人々のために用いるよう導いているのだとすれば……我々が見るべきものは、阿片という一つの成果ではない」
静かな声が、室内へ響いた。
「彼がこれから生み出すかもしれない、まだ誰も知らぬ知識そのものなのではないでしょうか」
一同が黙り込む。
やがて、先ほどまで小国の王位へ押し上げるべきだと主張していた枢機卿が、低く呟いた。
「……もし、そうであるなら。彼を小国の王位に就けることで、その研究を止めさせる方が、我々にとって大きな損失になるのでは?」
老齢の枢機卿が頷いた。
「小国の国王となれば、政治に追われる。諸侯との調整、軍、税、外交……。研究に割ける時間は必ず減るでしょう」
「ならば、彼の領地そのものを一つの国とすればいい」
別の者が言った。
「彼が知識を探究することを妨げてはならない」
「教会は、その探究を庇護すべきでしょう」
先ほどまで対立していた意見が、少しずつ一つにまとまり始めていた。
議長を務める枢機卿が、報告書を閉じる。
「神託のいう『正統な王』が、必ずしも現在の王国を継ぐ者を意味するとは限らない」
全員の視線が集まった。
「彼に与えられた知識を、この地で人々のために使わせよ。そういう意味だったのかもしれません」
誰も反論しなかった。
その瞬間、会議の結論はほぼ決まった。
第三王子を小国の王位へ押し上げる必要はない。
むしろ、彼が研究を続けられる環境を守るべきなのだ。
そのために、彼の領地そのものを、独立した王国とする。
教会の承認と庇護のもとで。
――だが、この時。
この場にいた誰一人として、知らなかった。
教会が密かに集めたこの報告書が、結果として第三王子の意図する内容になっていたことを。
教会は、商人や薬師、領民たちへの聞き取りを、誰にも知られぬよう調査を進めていたつもりだった。
そして、自分たちの調査によって第三王子の研究の実態を掴んだと思っていた。
だが実際には、第三王子は、彼らが知りたいと思うものだけを与えていた。
調査を始めるより前から、第三王子は「外から見える自分の姿」を作り上げていたのである。
それでも、教会は自らの意思で結論を出した。
彼の領地そのものを、一つの国にする。
まるで、それが神の御意志であるかのように。
こうして教皇庁は、第三王子レオンハルトの領地を、独立した王国とする方針を正式に定めた。




