221
私は、夢を見ていた。
この世界に来る前。 仕事は自分がするものだと思っていた。
自分がやらなければならない。自分がやった方が早い。そして――仕事ができることこそが、自分の価値なのだと。
それが、奇妙な懐かしさと共に蘇っていた。
けれど、それは確かに、かつての私だった。
目を開くと、夕闇が迫っていた。
「気がつきましたか?」
マルクの声が聞こえた。
「……寝ていたのか?」
「ええ」
マルクは静かに答えた。
「こちらに飲み物と、軽い食事をご用意しております。どうされますか?」
「……飲み物を」
差し出されたハーブティーを、ゆっくりと口にする。
少しして、マルクが言った。
「仕事のことは、今はお考えにならなくて結構です」
「……私がいなくても、仕事は回るか?」
マルクは少しだけ目を細めた。
「ええ、回してみせます。エリシア殿下もいますし」
「……そうか」
「それに、殿下が全部抱え込まれますと、私の立場がなくなりますので」
「……それは困るな」
私は、ほんの少しだけ笑った。
「エリシア殿下から伝言です」
「何と?」
「『礼拝堂に免じてあげます』と」
私は、口元を少し緩めた。
その後少しだけ、ハーブやパン粉の入ったチキンスープを口にした。
そして私は、再び横になった。
天井を見つめながら、ぼんやりと考える。
今の自分は前世と、本質的には何も変わっていないのではないか。
仕事を抱え込む、自分でやろうとする、自分が何とかしなければと思う。
それは、あの頃の私と同じだった。
ならばこのままでは、また、同じことになるのではないか。
そう思ったところで、ふと気づく。
前世とは違う。
今の私には、マルクがいる。
エリシア王女もいる。
私を支えてくれる人間が、ちゃんといる。
それなのに、私はまた、一人で全てを抱えようとしていた。
それは、ただ自分を苦しめるだけではないのかもしれない。
自分が全てをやってしまえば、マルクが自分の判断で動く機会を奪ってしまう。
エリシア王女が、私と共に国を支える機会さえ奪ってしまう。
人に任せるということは、仕事を押しつけることではない。
その人を信じることなのかもしれない。
そして、一人で何もかも抱え込むということは、誰かを信じる機会を、自分から失ってしまうことなのではないか。
そんなことを、私はぼんやりと考えていた。
本当に、自分にそんなことができるのか。
答えは、まだ分からない。
けれど、最初から、できるかどうかを考える必要はないのかもしれない。
今日できることを、一つ。
誰かに任せてみる。
誰かの判断を信じてみる。
自分がいなくても回るものを、一つずつ作っていく。
そうして、一歩ずつ踏み出していくことが、大切なのではないか。
私は静かに目を閉じた。
そして、再び闇の中へ落ちていった。
再び目を覚ました時は、夜中だったと思う。
人の気配がした。
薄く目を開けると、誰かがこちらを覗き込んでいる。
「……誰だ?」
「……私です。まだ、熱はありますね」
エリシア王女だった。
額に手を当てながら、心配そうに私を見ている。
「……すまない」
そう言うと、エリシア王女は静かに首を横に振った。
「いいえ」
そして、少しだけ微笑んだ。
「今は、ありがとう、と言ってください」
私は一瞬、黙った。
それから、小さく息を吐く。
「……ありがとう」
「はい」
エリシアは嬉しそうに微笑んだ。
「レオンハルト様が休んでいる間のことは、私が引き受けます。マルク殿とも相談して、滞っているものは、ほぼありませんから」
「……そうか」
「ですから、今は何も心配しなくていいです」
エリシア王女はそう言って、私の手をそっと握った。
その温もりを感じながら、私はぼんやりと天井を見た。
……そうか。
難しく考えすぎていたのかもしれない。
私は握られた手を、ほんの少しだけ握り返した。
……ならば、少しずつ変えてみよう。
そう思いながら、私は再び目を閉じた。
エリシア王女視点
エリシア王女は、第三王子が眠ったことを確認すると、そっと呟いた。
「……はやく、良くなりますように」
そして、握っていた手をゆっくりと離す。
けれど、先ほど優しく握り返された感触が、妙に鮮明に残っていた。
エリシア王女は、自分の手を見つめる。
そして、少し迷ったあと、もう一度、第三王子の手を取った。
今度は、握り返されない。
ただ、眠っている第三王子の手が、自分の手の中にある。
エリシア王女は、温かいその手を、見つめた。
……もう少しだけ、このままで。
そう思いながら、エリシアはそっと両手でその手を包み込んだ。
そして、眠る第三王子の顔を見つめた。
その表情は、起きている時よりもずっと穏やかだった。
エリシア王女は小さく微笑む。
「……おやすみなさい」
誰にも聞こえないほどの声でそう告げる。
エリシア王女は、しばらく、その手を離さなかった。




