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それでも私は、日中は領主としての仕事に励んだ。
王位のことばかり考えていても、目の前の問題が消えるわけではない。
むしろ今、私がやるべきことは山ほどあった。
特にこれからは阿片の技術だけでは足りない。
それだけに国の未来を賭けるのは危険だった。
市場が変われば、利益は消える。
輸出を止められれば、国そのものが揺らぐ。
だからこそ、別の収入源を作らなければならない。
私は帳簿を広げながら、領内にある資源や、薬として利用できそうなものを一つずつ調べていった。
阿片以外に、何か使えるものはないか。
薬師の記録を読み、古い薬草書をめくり、領内から上がってくる報告にも目を通す。
その中で、いくつか気になるものがあった。
麦角、サフラン、明礬、そして、柳の皮。
麦角以外は、すでに何らかの用途が知られているものだ。
だが、本当にそれだけなのか。
今ある使い道とは別に、まだ利用できる価値があるのではないか。
そう考え始めると、自分で調べるだけでは限界があることにも気づいた。
私は医学者でも、薬師でもない。資料を読んで可能性を見つけることはできても、それを実際に確かめる知識も技術も持っていない。
ならば、知識を持つ人間にやらせればいい。
「……医師を集めよう」
私はマルクに命じ、領内の医師や薬師、錬金術師たちを集めさせた。
数日後、彼らを前に、私は一枚の紙を机へ置いた。
「阿片に頼らない、新しい医療技術を開発したい」
集まった者たちが顔を見合わせる。
「私が求めるのは、完成した薬ではない」
私は紙に四つの項目を書き出した。
「研究課題だ」
一つ目、麦角。
二つ目、サフラン。
三つ目、明礬。
四つ目、柳の皮。
研究計画を読み上げ終えると、しばらく室内は静まり返った。
やがて、一人の研究者が首を傾げた。
「……失礼ながら、殿下。いくつか疑問がございます」
「言ってくれ」
「何故、麦角を?」
私は、ひとつの書類を机の上へ置いた。
「まず、これを見てほしい」
それは、第二王子がいた辺境の地で起きた、冷害の記録だった。
「長く続いた冷害で、ライ麦の生育が著しく悪化した。そこへ、黒く変色した麦角が大量に発生した」
私は記録を読み進める。
「その年から、村人たちに異変が起きた。手足に激しい痛みと灼熱感を訴え、やがて黒くなって腐り落ちる者。幻覚に怯え、狂ったように暴れる者」
私は続けた。
「家畜も同じだった。蹄や耳、尾が腐り落ち、狂暴化や流産が相次いだ」
「……そして?」
「人も家畜も失われた。畑を耕す者も、働かせる家畜もいなくなり、その土地はやがて崩壊した」
研究者は眉を寄せた。
「ですが、麦角など……発育不良のライ麦に生じる、ただの黒い殻でしょう」
「本当に、ただの黒い殻なのか?」
私は問い返した。
「私は、この冷害と麦角の発生、その後に起きた異変に関係があるのか知りたい」
「……神の怒り、なのでは」
研究者が小さく呟く。
私は書類から顔を上げた。
「それなら、私は神託を受けた者だ」
研究者は口を閉ざした。
「神の怒りだと決めつける前に、何が起きたのかを調べたい。原因が分かれば、同じ災厄を防げるかもしれない」
私は記録を指した。
「だから、研究する価値がある」
別の研究者が口を挟む。
「では、サフランはいかがでしょう。香料として十分に価値があります。わざわざ薬効まで探る必要があるのでしょうか」
「一つの植物から、別の価値が見つかるなら調べるべきだ。香料として売るだけなら、それまでだ。だが薬として使えるなら、病人を救える」
今度は鉱物を扱う職人が手を挙げた。
「明礬も同じでしょうか。温泉から採れるものを、さらに手間をかけて精製する。その費用に見合うのでしょうか」
「医療や衛生に使える品質まで高められるなら、意味はある」
私は淡々と答えた。
「今まで価値がないと思われていたものに、新しい使い道が見つかれば、それは国の資源になる」
最後に、薬師が柳の皮について尋ねた。
「柳の皮は、昔から薬として使われています。それを今さら研究する理由は?」
私は少し考えてから答えた。
「昔から効くと言われている。それだけでは足りない」
室内の視線が集まる。
「なぜ効くのか。どの部分が効くのか。どれだけ使えばいいのか。どうすれば保存しやすく、扱いやすくなるのか。それが分かれば、薬師の経験だけに頼らず、多くの人に同じように使える」
「……つまり。薬としての効果を、きちんと確かめることが目的なのですね」
研究者が呟く。
「そういうことだ」
私は頷いた。
誰も、すぐには答えなかった。
やがて研究者たちは、先ほどまでとは違う表情で手元の資料を見直し始めた。
「それぞれに主任を置く」
私は四つの課題を、それぞれ別の研究者に任せた。
「必要な研究費は出す。必要な器具も可能な限り揃える」
医師たちの表情が変わった。
「そして、成果を上げた者には相応の報酬を与える」
名誉だけではない。
研究に貢献した者の名を薬や製法に残す。
成果が商業化された場合には、利益の一部を研究者へ還元する。
さらに、温泉地の一角に研究施設を設け、温度を管理できる設備やガラス器具、天秤などを揃える。
研究者たちが、ざわめき始めた。
「これほどの設備を……?」
「領主が研究費を?」
「成果を上げれば、我々の名が残る……?」
私は頷いた。
「そうだ。失敗しても構わない」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
「失敗したなら、なぜ失敗したのかを記録してくれ。そこから次の研究につなげればいい」
私は、前世で覚えた仕事の進め方を思い返していた。
重要なのは、自分がすべてを知っていることではない。
優秀な人間を集めること、彼らが研究できる環境を作ること。そして、進捗を確認し続けること。
「毎週一度、研究報告をしてもらう」
私はそう告げた。
「何が分かったのか。何が失敗したのか。次に何を試すのか。それだけを報告してくれればいい」
そして、研究が始まった。
もちろん、私は彼らに答えを教えられるわけではない。
ただ、前世で知っていた考え方を、ときどき示すだけだった。
物質を分離できないか。
純度を上げられないか。
温度を変えれば結果は変わらないか。同じ薬でも、量や加工方法によって効果が変わるのではないか。
私にとっては、ほんの些細な知識だったが、彼らにとっては違った。
「……なるほど」
「そういう見方があるのか」
「ならば、こちらの方法ではどうだ?」
一つの問いが、新しい実験を生む。
一つの失敗が、次の仮説を生む。
そして私は、毎週の報告会で結果を聞いた。
「麦角の研究は?」
「まだ確認に時間が必要です」
「そうか。サフラン班は?」
「抽出方法を変えたところ、興味深い結果が出ています」
「明礬は?」
「精製方法を試しています」
「柳の皮は?」
「こちらも、加工方法を変えて比較しております」
私は頷いた。
「では、次回までに続きを頼む」
それだけだった。
だが、研究者たちは次第に競い合うようになっていった。
「サフラン班に後れを取るな」
「明礬班は、もうそこまで進んでいるのか?」
互いの成果を聞けば、負けたくないという顔をする。
私は、それを少し離れたところから眺めていた。
……人間というものは、面白い。
金だけでは動かない、名誉だけでもない。
自分の研究が認められること、誰より先に答えへ辿り着くこと。
そうした欲もまた、大きな力になる。
私は再び書類へ目を戻した。
一つの産業に頼らない。
薬も、鉱物も、農業も、温泉も。
使えるものはすべて調べ、育て、組み合わせていく。
国を守るために必要なのは、一つの奇跡ではない。
小さな成果を積み重ね、それを次の成果につなげていく仕組みだ。
私は、また一枚の報告書を手に取った。
王位のことを考えれば、不安は消えない。
それでも。
目の前にやるべきことがある限り、私は手を止めるつもりはなかった。




