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翌日。
王妃一行は、大国へ向けて出立することとなった。
城門前には、見送りの者たちが集まっていた。 王妃は馬車へ乗り込む前に、エリシア王女のもとへ歩み寄る。
「エリシア」
「お母様」
二人はしばし見つめ合い、それから静かに抱き合った。
「身体には気をつけるのですよ」
「はい。お母様も」
短い抱擁を終えると、王妃は私へ視線を向けた。
「殿下」
「はい」
「……エリシアを、頼みます」
その言葉に、私は一瞬だけ息を止めた。
「お任せください」
そう答えると、王妃は安心したように微笑んだ。
「それから――」
王妃は城と、その向こうに広がる領都を眺めた。
「エリシア、とても良い場所と自国でも宣伝しておきますから」
冗談めかした言葉だった。
けれど、その意味するところは大きい。
この地を、王女の母である大国王妃が評価する。それだけでも、両国の関係にとっては決して小さなことではない。
「お願いします」
エリシアが微笑んだ。
王妃は娘の頬にそっと手を添えると、最後にもう一度だけ抱きしめた。
やがて馬車のそばに控えていた王命監察官が、私へ歩み寄ってきた。
「殿下」
「何でしょう」
「大変充実した日々でした」
そう言って、王命監察官は意味ありげに笑った。
「これからも、期待しております」
……やはり、何かある。
私はその笑みを見返しながら、平静を装った。
「期待に添えたようで何よりです」
王命監察官は、ただ笑みを深めただけだった。
やがて王妃一行の馬車が動き始める。
エリシアはその場に立ち、遠ざかっていく馬車へ手を振っていた。
私も黙って、その光景を見送る。
長かったような。それでいて、振り返れば驚くほど短かった日々だった。
王妃の滞在は、こうして終わった。
王妃が帰国して二日後。
私は、大司教から「お話ししたいことがあります」とだけ記された書状を受け取り、大聖堂へ向かった。
応接室に入ると、大司教はいつになく厳粛な面持ちで私を迎える。
「……何か進展がありましたか」
大司教は静かに頷いた。
「王妃陛下が礼拝堂で体験された出来事につきまして、教会は正式な審査を開始いたします」
私は眉をひそめる。
「審査……ですか」
「はい」
大司教は机の上へ数枚の羊皮紙を置いた。
「本日より、建設中の大聖堂は一部を封鎖いたします。当日その場に居合わせた修道士、騎士、職人、巡礼者ら全員から証言を集め、神学者による検討を行います」
「その結果、あれが神の啓示であったのか、あるいは別のものであったのかを判断する、と」
私は大司教を見た。
「そのとおりです」
部屋は静まり返る。
私は机の上に並べられた羊皮紙を見つめた。
これほど大掛かりな審査をするほどのことなのか。
だが、大司教の表情には一点の曇りもない。
まるで、本当に何も知らないかのようだった。
やがて大司教は、私をまっすぐ見据えた。
「教皇庁にも早馬を出します」
「もう結論を報告するのですか」
「いいえ」
大司教は首を横に振る。
「現時点で送るのは、『審査を開始した』という中間報告のみです。正式な結論は、すべての検証を終えた後に報告いたします」
私は小さく息をついた。
それならば、まだ何も決まってはいない。
そう思った、その時だった。
大司教は声の調子をわずかに低くした。
「レオンハルト殿下」
「……何でしょう」
「もし、あれが真なる神の御心と認められれば、教会はしかるべき手続きを進めるでしょう」
私は黙って続きを待つ。
「しかし。もし、悪しき惑わし、あるいは王妃陛下の誤認であったと結論づけられたなら……」
その一言で、空気が張り詰めた。
「王妃陛下のお立場は極めて危ういものとなります。教会法に基づく対応が必要となり、両国の関係にも計り知れない影響を及ぼすでしょう」
私は思わず息をのんだ。
「ゆえに。教会は慎重に、そして責任を持って審査を続けます。最終的な判断が下されるまで、どうかお待ちください」
大司教は静かに目を閉じる。
「……分かりました」
私はそう答え、応接室を辞した。
扉が閉じる。
足音が遠ざかっていく。
やがて、その気配が完全に消えると、大司教はゆっくりと目を開いた。
先ほどまでの厳粛な表情は、わずかに緩んでいた。
「予定通りに」
短い言葉に、部屋の隅に控えていた司祭が静かに頭を下げる。
「はい。証言も、すでに確認しております」
「異論は?」
「ございません。皆、王妃陛下のお言葉を『神聖なもの』として受け止めております」
大司教は机の上の羊皮紙へ目を落とした。
そこに記された証言の多くは、事前に教会側が想定していた通りの内容だった。
誰が何を見たのか、どの言葉を聞いたのか、その場にいた者たちが、どのように受け止めたのか。
すべては、神託を否定する材料を残さないために慎重に整えられていた。
「教皇庁への報告も?」
「すでに準備しております」
大司教は静かに頷いた。
「では、このまま進めよ」
その声には、先ほどまでの迷いなど微塵もなかった。
教会にとって、審査の結論はまだ決まっていない。
そう見せているだけだった。
結論は、神託が語られたその日から、いや、その前からすでに決まっていた。
王妃の言葉は、神の御心として認められる。
そのために、教会は動いている。
そして、その事実を第三王子だけには決して知られてはならない。
一方、何も知らない私は、応接室を辞していた。
廊下を歩きながら、大司教の言葉を何度も反芻する。
審査は、まだ始まったばかり。
結論は、まだ存在しない。
それなのに。
その結論一つで、王妃の名誉も、両国の関係も、そして私自身の未来までも左右される。
その重さを理解した瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
……嘘だろう?
その言葉だけが、いつまでも私の胸の奥で響き続けていた。




