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第三王子視点
王妃が滞在して数日後。私は毎夕、マルクから届けられる王妃一行の行動報告書へ目を通していた。
報告書には、王妃の一日が淡々と記されている。
夜明けの鐘が鳴る頃に起床し、侍女たちに身支度を整えられる。
朝は療養のため、地下から湧き出る温泉へ向かう。湯治を終えると、ハーブ水を口にし、しばらく静かに身体を休める。
昼前には建設中の大聖堂へ赴き、職人たちへ穏やかに声を掛けながら寄付を行っていた。
大聖堂の建設には、冷害によって仕事を失った農民たちも雇われている。
王妃は彼らの働きを労い、自ら持参した食糧を使い、エリシア王女の名義で炊き出しを行わせていた。
パンや温かなスープが振る舞われ、彼らの食事を支えているという。
王妃自身がそれを大々的に宣伝することはなかった。
私は報告書のその一節を、しばらく眺めていた。
……なるほど。
王妃は、ただ大聖堂へ寄付をしているわけではない。
教会への支援と、冷害で困窮する領民への救済。そして、その中心にエリシア王女を置いている。
母として娘を支えると同時に、嫁いだ娘がこの地で受け入れられるよう、静かに道を整えているのだ。
午後には祭壇の前で長く祈りを捧げる。
祈りの内容も、王妃自身のためではない。
――冷害が止み、領民が飢えから救われますように。
そうした祈りを、大司教とともに捧げていると記されていた。
その後、大司教の案内で大聖堂の建設状況を見学する。
その間、王妃には、ほぼ一日中エリシアが付き添っていた。 嫁いだ娘として母を案内し、祈りにも立ち会い、宿舎への送り迎えまで務めているという。
ただ、午後のある時間だけは、王妃は告解のため、一人で懺悔室へ入る。その間、エリシア王女は離れた仮祭壇で私の健康を願い、静かに祈りを捧げていたと記されていた。
エリシア王女が、立派に振る舞っていることが、報告書の端々から伝わってきた。
夕刻になると王妃は宿舎へ戻り、夜には私たち夫婦を交えた質素な夕食の席が設けられる。
「今日も温泉のおかげで身体が軽くなりました」
王妃はそう微笑み、エリシア王女も嬉しそうに頷く。
「レオンハルト殿下、今日もまた監察官殿と議論をされたのですか?」
王妃は言った。
「ええ。いつものことです」
「管理も大変ですわね」
そんな他愛のない会話が食卓に流れる。
私は二人の笑顔を眺めながら、静かに思った。
……平和だ。
誰かに贅沢を見せつけることもなく、ただ祈り、飢える者に食事を与える。
夜になれば、家族で質素な食卓を囲み、穏やかな会話を交わす。
王位争いも陰謀も、この食卓にはない。
少なくとも私には、非常に平和だと思えた。
むしろ、問題だったのは王命監察官の方だった。
王妃陛下を預かっている以上、その滞在先の安全を確認する。
それは分かる。
だが、今回の監察には、もう一つ理由があった。
エリシア王女が、この地に嫁いでいる。
大国にとっては、自国の王女を託した相手が、どのような領地を治めているのかを知っておく必要がある。財政に問題はないか。教会との関係はどうか。王女を守れるだけの医療や警備が整っているか。
「王妃陛下をお預かりしている以上、滞在中の安全だけでなく、この領地についても確認させていただきます」
王命監察官は、そう告げた。
最初に求められたのは、阿片の売買帳簿である。
「加工量、販売量、在庫量。すべて照合します」
王命監察官は淡々と告げ、一冊一冊の帳簿を机へ並べさせた。
納入先の商人、運搬日、税の納付記録、倉庫への搬入記録まで、一つとして見落とさない。
数字に僅かな食い違いがあれば、その場で担当者を呼び出し、理由を問いただす。
「この荷はなぜ予定より三日遅れているのか」
問われた商人が、慌てて帳簿をめくった。
「街道の一部が崩れ、迂回したためです。こちらに街道役所からの通行記録がございます」
担当者が差し出した書類を、監察官は黙って受け取る。 日付と荷馬車の台数を照合すると、短く頷いた。
「……記録に相違はない。次、こちらの数量が前月と一致しません」
担当者が、記録を慌てて見た。
「今月は加工所への納入分が増えております」
私は横から答えた。
「先月から加工工程を見直しました。販売前の精製量が増えています。原料の栽培量と照合すれば、数字の差は説明できます」
「では、その加工記録を」
「こちらです」
私はすぐに別の帳簿を差し出した。
監察官は数ページをめくり、栽培量、加工量、在庫量を順に指で追っていく。
「……計算は合っていますね」
そう呟くと、今度は別の帳簿へ手を伸ばした。
「この商人は、どのような契約で取引を?」
私はすぐに書類を取り出し、監察官の前へ置いた。
「教会の許可を受けた商人です。買い取り価格、税、納入量については、こちらの契約書に」
監察官は契約書を読み、さらに商人の納税記録へ視線を移す。
「独占契約ではないのですね」
「ええ。複数の商人と契約しています」
私は王命監察官を見た。
「ならば、この商人だけが優遇されている理由は?」
「輸送路が近く、納入実績も安定しているからです。価格についても他の商人と同条件です」
監察官はしばらく私を見つめた。
「……分かりました」
ようやく帳簿を閉じた。
しかし、それで終わりではなかった。
今度は「医術」の検分が始まった。
温泉療法、薬草の調合法。
「これは教会の教えに反しないのですか」
「病を治すための湯治と薬草の使用です。異端の儀式や呪術ではありません」
「承知しています。だからこそ、根拠を確認している」
私は、教会の認可を受けた医師の記録を差し出した。
「こちらに医師の所見があります。温泉療法についても、大司教の了承を得ています」
監察官は書類を受け取り、近くにいた修道士へ視線を向けた。
「教会としての見解は?」
「問題ございません。祈りを妨げるものでも、教義に反するものでもありません」
修道士が静かに答える。
監察官はそれを聞くと、次の質問を投げた。
「どの文献を根拠としている」
「こちらです」
私は待っていたかのように数冊の文献を机へ並べた。
「古い医術書と修道院の薬草記録です。温泉療法については、こちらの記述を基礎にしています」
監察官は本を開き、該当箇所を確認する。
「……誰が責任者ですか」
「療養所の医療責任者は、こちらの医師です」
私は一人の男を示した。
呼ばれた医師が一歩前へ出る。
「私が責任を負います」
「薬草の調合も?」
「はい。処方と調合の記録はすべて残しております」
「ならば、その記録を見せてもらおう」
「ただいま、お持ちします」
医師が頭を下げ、急いで部屋を出ていった。
私はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
……まだ終わらない。
帳簿を調べ、医術を調べ、次は何を調べるつもりなのか。
そして案の定、王命監察官が次に目を向けたのは、建設中の大聖堂だった。
「我が国の王妃陛下をお預かりしている以上、安全を確認する義務があります」
もっともらしい理由を口にしながら、王命監察官は建築現場を歩き始める。
大工の親方が保管する設計図を広げ、梁の太さを測り、石壁を叩き、足場を見上げた。
さらには城壁の見通しや警備兵の配置、地下へ延びる排熱路まで、一つひとつ自ら確認していった。
「万一の際に安全に退避できる経路も確認しておく必要があります」
もっともらしい理由を口にしながら、王命監察官は建築現場を歩き始める。
……安全確認というには、ずいぶん踏み込んでいる。
私はすぐに察した。
この男は、城の弱点を探している。
もし将来、この地へ軍勢が押し寄せたなら、その情報は敵にとって何よりの財産になる。
だから私は、王命監察官の横を一歩たりとも離れなかった。
「その梁は荷重を分散する構造です」
また、ある時は。
「地下の通路は温泉の排熱管理のためであり、軍事目的ではありません。そして、こちらは建築上必要な空間です」
建築学、土木、治水、温泉管理。
王命監察官が質問するたび、私は資料を示し、図面を広げ、自ら案内して説明を続ける。
王妃を預かる以上、調査を拒むこともできない。
一歩も譲らず、一つも隠さず、それでいて必要以上の情報は決して渡さない。
朝から夜まで、資料集め、返答、現地案内。
その繰り返しだった。
……この感覚、覚えがある。
前世でも、私はこうして資料を揃え、数字を確認し、問題があれば原因を探していた。
だが、今はこの地を預かる立場だ。王命監察官への対応も、私の務めである。
問われたことには正確に答える。必要な資料は揃える。問題があれば、その場で明らかにする。
それでいい。
……昔の経験も、案外、無駄ではなかったらしい。




