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数日後。
執務室で書類に目を通していると、扉が静かに叩かれた。
「レオンハルト様。エリシアです」
「入ってくれ」
扉が開き、エリシアは一通の書簡を大切そうに胸へ抱えていた。
深紅の蝋には、大国王妃の紋章が刻まれている。
「母から、私宛てに手紙が届きました」
そう言って差し出された書簡を受け取り、私は目を通す。
そこには、王妃が公式の訪問とは別に、娘を気遣う母としての言葉が綴られていた。
──冷害の折に大勢で押しかけ、あなた方の備えを減らすような真似はしたくありません。
旅に必要な穀物や塩漬け肉、干し魚、馬の飼料は、私の直轄領から十分に積んで参ります。
どうか無理な饗応はなさらず、ありのまま迎えてください。
最後には、母親らしい一文が添えられていた。
──あなたが健やかであること。それが何よりの土産です。
私は思わず小さく笑みを浮かべる。
「……流石は、君のお母上だな」
エリシアも安堵したように微笑んだ。
「母は昔から、先回りして物事を考える人でした」
私は書簡を丁寧に畳み、机へ置く。
これで食糧の問題は、大きく軽くなる。
王妃一行が自前の食糧を持参してくれるのであれば、こちらが負担する量は大幅に減らせるだろう。
もっとも、それだけで安心できる話ではない。
食糧を満載した荷馬車の列は、飢えた野盗にとって格好の獲物となる。
国境では積荷の検分も必要になるし、街道の警備も一段と厳しくしなければならない。
王妃の護衛と我が国の騎士との連携も、事前に細かく取り決める必要がある。
頭の痛い問題は、まだ山ほど残っていた。
「ですが……」
エリシアは少し申し訳なさそうに視線を伏せる。
「母が参れば、それだけ皆様のお手を煩わせることになります。警備も、お迎えの準備も、大変なのではありませんか」
私は首を横に振った。
「……折角お越しくださるのだ。気にしなくていい」
そう答えながらも、胸の内では苦笑する。
事実は、問題ばかりだ。
警備、宿舎、街道整備、教会との調整、供回りの受け入れ、近隣諸侯への協力要請――考えるべきことは尽きない。
それでも。
「君のお母上が、この領地を気遣ってくださった。そのお気持ちには、礼を尽くして応えたい」
その言葉を聞くと、エリシアは嬉しそうに微笑み、小さく頷いた。
私は机の上へ白紙を広げると、羽根ペンを手に取った。
「さて、王妃陛下の滞在計画を考えるか」
幸い、温泉保養地には、すでに高位貴族向けの滞在計画がある。
ならば、その内容を王妃にふさわしい水準へ引き上げればいい。
私は迷いなくペンを走らせた。
「まず宿所だな」
王妃を冷え切った石造りの城へ泊めるわけにはいかない。
温泉の地熱を利用した床暖房付きの建物を最優先で確保し、室内は一日中穏やかな暖かさを保つ。
寝室だけではない。
応接室、礼拝室、浴室まで暖気が行き渡るよう調整しよう。
長旅で疲れた身体を休めるには、その方がはるかに良い。
「次は療養」
医学大学へ依頼し、王妃専属の診療計画を立ててもらう。
到着初日に脈を診て体調を確認。
その結果に応じて、湯の温度、入浴時間、休憩時間を細かく決める。
薬草はラベンダー、カモミール、ローズマリーを中心に調合し、温泉と蒸気浴を組み合わせる。
侍女たちの疲労回復用の薬草湯も用意しておこう。
「食事は……」
王妃が持参された食材を中心に使う。
これなら領民の食糧を圧迫せずに済む。
温泉の熱を利用してじっくり火を通し、固い肉も柔らかく仕上げる。
厨房の衛生も徹底しよう。
旅の疲れで体調を崩す者が出ては台無しだ。
毎日の献立は医師とも相談し、療養に適した内容へ調整する。
私は思いつくまま、次々と紙へ書き込んでいく。
部屋の暖房、入浴時間、休憩室の温度、薬草茶の種類、寝具の素材、礼拝の予定、護衛騎士の休息場所、侍女の控室、料理の提供時間、温泉までの移動経路。
書き終えるたび、新しい紙を引き寄せては、さらに案を書き足した。
マルクは書類を一枚手に取り、目を走らせる。
「……殿下」
「何だ?」
「こうした内容まで殿下が直接お決めになる必要はございません」
私は顔を上げた。
「宿所の管理人、侍従長、料理長、医学大学の医師。それぞれ専門の者がおります。殿下は方針だけお示しくだされば、あとは我々が形にいたします」
私は少し考えた。
「……そういうものか?」
「ええ。領主自ら薬草茶の種類や寝具の素材まで決め始めれば、誰も口を挟めません。現場は『殿下のご指示だから』と、そのまま実行するしかなくなります」
私は苦笑した。
「なるほど。細かく決めるほど、かえって皆を困らせるか」
「はい。ですから、『王妃陛下に快適にお過ごしいただくこと』『領民へ負担を掛けないこと』だけお示しいただければ十分です。そのための方法は、各々が最善を考えます」
私は頷いた。
「分かった。では、これは要望という形にして、実施方法は任せよう」
マルクはようやく安堵したように笑う。
「その方が皆も力を発揮できます。」
マルクは書類を見直しながら苦笑した。
「とはいえ……要望だけでも十分な量ですが」
私はマルクを見た。
「せっかくお越しくださるんだ。最高の滞在にしたい」
マルクは額へ手を当て、小さく天井を仰いだ。
一方、隣で書類を読んでいたエリシアは、胸の前でそっと紙を抱きしめる。
「……そこまで、お考えくださっていたのですね」
その声には、安堵と喜びが滲んでいるように聞こえた。
私は二人の反応など気にも留めず、新しい紙を手に取る。
「あとは歓迎の茶会か。医師とも相談して、王妃陛下のお身体に負担のない日程を組まないとな」
そう呟くと、再び羽根ペンを走らせ始めた。
その背中を見つめながら、マルクは小さく息を吐く。
「……王妃陛下は感激されるでしょうが、準備する私たちは大変ですよ」
エリシアは小さく笑みをこぼし、頷いた。




