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リディア視点
リディアは、レオンハルト殿下に会いに行った。
両親の回復が順調なので、そろそろ二人とも領地へ戻るつもりだという報告のためだった。
「そうか。それはよかった」
殿下はそう言って、静かに微笑んだ。
私は、少しだけ胸を撫で下ろした。
両親が回復している。
それだけで、今は十分だった。
しばらく話をしたあと、殿下がふと口を開いた。
「……そういえば」
「はい?」
「一番早く、あの時に動いてくれたことへの報奨だが」
殿下は、私を見た。
「何か望みはあるのか?」
私は、すぐには答えなかった。
「……報奨は、もう過分に頂きました。けれど」
その先の言葉が、なかなか出てこなかった。
本当は、欲しいものがあった。
殿下の心が欲しかった。
けれど、それはもう望んではいけないものだと分かっている。
殿下には妻がいて、殿下には殿下の立場がある。
だから私は、別のものを望むことにした。
「……何かあるなら、言ってくれ」
殿下に促され、私は小さく息を吐いた。
そして殿下を見て、私は少しだけ笑った。
「報奨ではありません」
「では?」
私は、ゆっくりと言った。
「いつか、私が困った時」
そして、殿下の目を見た。
「万が一の時は、必ず助けて下さいませ」
殿下は、しばらく黙っていた。
私が何を本当に望んでいるのか、きっと分かってはいない。
それでよかった。
私は、殿下が最も理解しやすい形で、願いを差し出したのだから。
やがて、殿下は頷いた。
「分かった」
私は、少しだけ目を細めた。
「必ず?」
「ああ。万が一の時は、必ず助ける」
殿下は、迷いなく答えた。
私は、ほんの少しだけ笑った。
「……では、安心しました」
その約束を、殿下はきっと忘れない。
殿下は、そういう人だから。
愛ではない、恋でもない、けれど。
私が望んだものとは違う形で。
私は、殿下の人生の中に、誰にも奪えない席を得た。
それでいい。
私は、そう思った。
両親が領地へ戻ってきてから、しばらく経った頃。
私は、二人の前に一枚のマントを広げた。
深い色の布地、丁寧な仕立て、それだけでも、上質な品だと分かる。
「……これは?」
父が尋ねた。
「レオンハルト殿下から頂いたものです」
「殿下から?」
母の声が、わずかに高くなった。
「はい。以前、私に」
私は、マントを見下ろした。
殿下が自らの肩から外し、私に掛けてくださったもの。
あの時のことを思い出すと、今でも胸の奥が少しだけ痛んだ。
「これを、我が家の家宝にします」
沈黙が落ちた。
父も母も、すぐには何も言わなかった。
やがて、母が聞き返した。
「リディア」
母は、私をじっと見た。
「あなたは、あの王子が好きなのね?」
私は答えなかった。
母は、それを肯定と受け取った。
「でも、殿下は既婚者よ」
「……はい」
「それでも、殿下のそばにいたい?」
私は、少しだけ視線を落とした。
「……」
母は、深く息を吐いた。
「いたいのなら、ただ恋をしているだけでは駄目よ」
その声には、母親ではなく領主夫人としての響きがあった。
「一族のために、殿下の寵姫になる覚悟はあるの?」
私は、母を見た。
「殿下の心を繋ぎ止めるの。そうすれば、一族は王家の庇護を得られる。交易も、領地の権利も、必要なものを引き出せるわ」
「お前は、娘に何を言っているのだ」
父が口を挟んだ。
「現実の話をしているだけよ」
母は、私から目を逸らさなかった。
「あなたは、あの方に何を望んでいるの?」
私は、答えなかった。
「……このマントを、家宝にしたいのです」
「それは聞いたわ」
母が言った。
私は、マントに触れた。
「殿下は、私に約束してくださいました」
「何を?」
「万が一の時は、必ず助けると」
両親は黙った。
「殿下は、一度口にした約束を簡単に忘れる方ではありません」
私は、マントを見た。
「これが我が家にある限り、殿下は私たちを忘れないと思います」
私は、二人を見た。
「そして、そのことを周囲も知るでしょう」
父と母は黙って私を見つめた。
「私は独身の女領主です。王家との繋がりがなければ、領地を狙う者も現れるかもしれません」
「……」
「ですが、殿下が私を助けると約束してくださった。その証であるこのマントが我が家にある限り、『クロウフォード家の背後には第三王子がおられる』と誰もが思います」
私は静かに続けた。
「それだけで、軽々しく手を出そうとする者は減るでしょう。婚姻ではありません。恋でもありません。ただ、王家との盟約として、この家を守ってくれるのです」
母の表情が変わった。
父も、黙ってマントを見つめている。
「……つまり」
母が、ゆっくりと言った。
「殿下の愛ではなく、殿下の約束を家宝にするの?」
「はい」
私は頷いた。
「愛されなくても、恋人になれなくても。……それでいいのです」
母は、しばらく何も言わなかった。
やがて、額に手を当てる。
「……お前は、天才なのかしら」
父が、小さく呟いた。
「あるいは、悪魔かもしれんな」
私は、二人を見た。
「お父様」
「いや、だが……」
父は、マントから視線を上げた。
「それなら、我が家は王子の愛に縋っているのではない」
「……」
「王子が自ら与え、自ら口にした約束を、一族の盟約として受け継ぐということか。それなら、王家を敵に回す覚悟のある者でなければ、我が領地には手を出せん」
母が、ゆっくりと父を見た。
父は、しばらく黙っていたが、小さく言った。
「……本当は、第三王子と婚姻を結んで共同統治すると、良いと思っていたのだ」
母は、父親を睨んだ。
私は、ほんの少しだけ苦々しく笑った。
胸はまだ少し痛む。それでも、この約束を選んだことだけは、後悔していなかった。




