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数日後。
エリシア王女の計らいで、二人が話せる場が設けられた。
場所は城の中庭だった。
アーチ状の柱が連なる屋根付きの回廊が庭をぐるりと囲み、雨の日でも庭園を眺めながら散策できるようになっている。
中庭には薬草や香り高い花々が植えられ、小さな噴水の水音と、ラベンダーやミントのほのかな香りが静かに漂っていた。
もっとも、二人きりではない。
数歩後ろには、侍女が二人、付き従っていた。
婚約を考える男女が人目を避けて会うことは許されない。
だからこそ、誰もが見える場所で、見守られながら言葉を交わす。
それが礼儀だった。
石畳の小道を並んで歩きながら、二人はしばらく黙っていた。
やがてマルクが口を開く。
「このたびのお話ですが……」
ベアトリーチェは静かに顔を上げた。
「はい」
「王女殿下から、お気持ちは伺っております。しかし、私はご本人のお考えをお聞きしたいと思い、この場をお願いしました」
ベアトリーチェは穏やかに微笑んだ。
「そのようにお気遣いいただき、ありがとうございます」
少しだけ歩を進めてから、彼女は真っ直ぐ前を見据えた。
「私は、この婚姻を望んでおります」
迷いのない声だった。
マルクはその横顔を見つめる。
「ですが。あらかじめ申し上げておきたいことがございます」
「何でしょうか」
「どうか、お気になさらないでください」
そう言った彼女は、一度だけ息を整えた。
「決して、私がマルク殿をお慕いしているから申し上げるのではありません」
マルクは思わず瞬きをした。
「……はい」
「マルク殿も、私をそのようなお相手としてご覧になっていないことは承知しております」
彼女はあくまで冷静に言葉を続ける。
「ですから、私を愛していただく必要もございません。あくまでも、私の望む将来に最も都合が良いお相手が、たまたまマルク殿だった。それだけのお話です」
そこまで言ってから、小さく視線を伏せる。
「……もちろん、もし夫婦となりましたなら」
ほんの少しだけ頬が赤く染まった。
「子にも恵まれたいとは、思っておりますが」
マルクは言葉を失った。
「私は、望みがあるのです」
「望み、ですか」
「はい」
その瞳には揺るぎない意志が宿っていた。
「私は、これからもエリシア王女殿下にお仕えしたいのです」
マルクは黙って耳を傾ける。
「王女殿下はこの国へ嫁がれました。どれほどお強い方でも、お一人で全てを抱えるべきではありません」
彼女は静かに言葉を重ねた。
「王女殿下にお子様がお生まれになった時も、私はそのお側にいたいのです」
「……」
「そのお子様を、この手でお守りしたい。そして乳母としてお育てしたいと願っております」
マルクは思わず足を止めそうになった。
しかし、彼女はなおも続ける。
「もし私たちの間に子が授かったなら、その子にも王女殿下のお子様へお仕えしてほしいのです」
静かな中庭に、噴水の音だけが響く。
ベアトリーチェは未来を見据えたような眼差しで語っていた。
それは空想ではなく、人生そのものを懸けた覚悟だった。
しかし、その横顔は、覚悟とは裏腹にほんのりと赤く染まっている。
どうやら先ほどの言葉は、建前でも、お世辞でもないらしい。
彼女は本当に、自分との未来を考えている。
その事実が、不思議なくらい胸に残った。
後ろを歩く侍女たちは何も口を挟まない。
ただ、少しだけ歩調を緩め、二人だけで話せるよう静かに距離を保っていた。
マルクは、遠い目をした。
婚姻の意思を確かめるための面会だったはずだ。
それがいつの間にか、まだ生まれてもいない子供の将来まで決める話になっている。
しかも、その計画の中には。
どうやら、自分も最初から組み込まれていたらしい。
理路整然と将来を語っていた彼女が、肝心なところで頬を染める。
その姿が、少しだけ愛らしいと思えた。
今まで、そのような目で見たことはなかったはずなのに。
「……わかりました」
マルクは静かに微笑んだ。
「私でよければ、喜んで」
ベアトリーチェ視点
面会が終わり、ベアトリーチェは人気のない廊下を歩いていた。
石造りの廊下には、夕暮れの光が差し込んでいる。窓の外では、空がゆっくりと赤く染まり始めていた。
ようやく、張り詰めていた息を吐き出す。
「……良かった……」
小さな声が漏れた。
王女殿下への忠誠、王女殿下のお子様を守ること。
自分が乳母となり、そして自分の子供をそのお子様の侍従にすること。
どれも、嘘ではない。
本当に、王女殿下のことが大切だった。
しかし、それだけではなかった。
侍女は、窓の前で足を止めた。
そして、あの日のことを思い出した。
彼女は身分を隠し、一人で関所に行った。
しかし、マルクは王子の側近、訪ねても、すぐに会えるわけではない。
それから、関所で待った。
どれほど時間が経ったのかは、もう覚えていない。
食事をしていないことにも、気づいていなかった。
一日が終わろうとして、マルクが現れた。
彼女は、顔を上げた。
重要な報告の後、マルクは彼女を見た。そして、ふと眉をひそめる。
「……食事は?」
彼女は答えられなかった。
「まさか、ずっと何も?」
「……」
マルクは小さく息を吐き、持っていた鞄を開いた。
「非常食ですが」
そう言って、乾燥させた果実を取り出す。
「殿下から、疲れた時に食べると良いと持たされているのです」
そして、腰のベルトに直接引っ掛けていたワインのボトルを外した。
彼女は、差し出されたそれらを見つめた。
マルクにとっては、ほんの些細なことだったのだろう。
けれど、彼女にとっては違った。
自分が食事をしていないことに気づいてくれた。
そして、持っていた食べ物を差し出してくれた。
たった、それだけのことだった。
けれど、その時。彼女の心は、確かに揺れた。
侍女は、夕暮れの赤い空を見つめる。
そして、記憶の中のマルクを思い出し、口元を緩めた。
「……これは、秘密なのです」
小さく呟く。
それから、ゆっくりと表情を戻した。
王女殿下を守る侍女としての顔へ。
侍女は背筋を伸ばした。
そして、いつものように王女のもとへ向かった。




