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その日、エリシア王女から相談を受けた。
「殿下。少し、ご相談したいことがございます」
そう切り出したエリシア王女は、いつになく真剣な表情をしていた。
「私の侍女、ベアトリーチェのことなのですが……」
ベアトリーチェ。
エリシア王女が隣国から連れてきた侍女の一人だ。
高位貴族の家の娘であり、王女にとっては姉のような存在でもある。
必要とあれば、たった一人で関所まで赴き、そこでマルクとの対面を求めるような芯の強さも持っていた。
「彼女が、マルクとの婚姻を望んでおります」
「……マルクと?」
「はい」
エリシア王女は、静かに頷いた。
「難しいでしょうか?」
私は少し考えた。
ベアトリーチェは隣国の高位貴族の娘だ。その婚姻には、王女の許可だけでなく、彼女の実家の意向も関わってくる。
だが、マルクもまた私の側近だ。
身分も、能力も、ベアトリーチェと釣り合わないわけではない。
「……私から提案することは、可能だと思います」
そう答えると、エリシア王女の表情がわずかに明るくなった。
「本当ですか?」
「ええ。ただし、最終的には本人と、双方の家の意向次第でしょう」
「ありがとうございます、殿下」
エリシア王女は、ほっとしたように微笑んだ。
その顔を見て、私はふと考えた。
実は、以前からマルクへの報奨について悩んでいた。
いくつか考えたが、どうにも決め手に欠けていた。
そこで、本人に直接聞いた。
「マルク。お前は何を望む?」
すると、彼は少しも迷わず答えた。
「殿下が、平和に仕事をしてくださることです」
「……」
解せぬ。
私は報奨の話をしているのだ。
それなのに、なぜ私の働き方の改善を要求されているのだろう。
しかも、妙に真剣な顔で。
だが、今なら、エリシア王女の侍女との婚姻というのは、悪くない報奨に思えた。
王女の侍女なら、マルクとの婚姻は彼女にとっても十分な名誉となる。
それに、政治的な意味もある。
エリシア王女が連れてきた者と、私の側近を結びつけることで、王女がこの国で孤立することを防げる。
私たちの婚姻によって結ばれた両国の関係を、次の世代へ繋ぐことにもなるだろう。
何より、あれほどの女性なら、マルクとも上手くやっていける気がした。
エリシア王女から相談を受けた数日後、私は、マルクを執務室へ呼び出した。
この場に、エリシア王女、ベアトリーチェはいない。
もし彼女たちが同席していれば、マルクは本当のことを言えないだろう。
王女の侍女との婚姻を、主君から提案され、その相手がすぐ隣にいる。
そんな状況で、いったい誰が自分の本音を口にできるというのか。
「殿下。お呼びでしょうか」
「ああ。少し話がある」
マルクはいつも通り、落ち着いた様子で私の前に立った。
私は少し考えた。
婚姻の話、しかも、相手は王女の侍女。
かなり重大な提案であるが、私はあまり回りくどい言い方が得意ではない。
「マルク」
「はい」
「エリシア王女の侍女、ベアトリーチェとの婚姻はどうだろうか?」
マルクから感情が消えた。
私は続けた。
「もちろん、実家の許可も必要だろう。私が一方的に決めるつもりはない」
「…………」
「ただ、もしお前が望むのであれば、私から実家に話をすることもできる」
「…………」
「どうだ?」
返事がない。
「マルク?」
呼びかけると、ようやく彼の目が動いた。
「……殿下」
「なんだ?」
「……今、何と?」
「ベアトリーチェとの婚姻はどうかと聞いた」
「…………」
マルクは、再び沈黙した。
私は首を傾げる。
何か問題があるのだろうか。
少なくとも、私が平和に仕事をすることよりは、ずっと具体的で、実のある報奨だと思うのだが。
マルクは、ずっと黙っていた。
やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「……私は、そのように彼女を見たことはございません」
その言葉に、私は少しだけ目を瞬いた。
「そうか」
「はい」
マルクは視線を落とした。
「ベアトリーチェ殿は、王女殿下のお側に仕える方です。私にとっては……その」
言葉を探すように、彼は沈黙した。
「守るべき方の一人、という認識でした」
「なるほど」
私は頷いた。
「つまり、今まで女性として意識したことはない、と」
「……はい」
マルクは、正直に答えた。
当然だ。
今までそう見たことがないのなら、今すぐ見ろと言われても無理だろう。
しかし、これから、見ればいいのではないか。
マルクのように、責任を背負うことを当然だと思っている人間なら。
これから彼女を、一人の女性として見るようになっても、不思議ではない気がした。
だから、私は言った。
「それは、今までの話だ」
マルクが顔を上げた。
「……殿下?」
「今まで、そう見たことがない。それは分かった」
私は椅子の背に身を預けた。
「だが、婚姻を考えるなら、これから見ればいい」
「…………」
「私は、命じているわけではない」
そこは、はっきりさせておく必要があった。
「ベアトリーチェと結婚しろ、と言っているわけではない。王女も、私も、最終的にはお前の意思を尊重する」
マルクは、黙って私を見ていた。
マルク視点
エリシア王女の侍女との婚姻の話が、殿下からあった。
もし自分が拒否したら、まず家に話が伝わる。
第三王子から持ちかけられた婚姻を、息子が断った。
父は、どう受け止めるだろうか。
これは単なる縁談ではない。
王子の側近である自分が、主君の厚意を退けるということだ。
これまで受けてきた恩顧も、今の地位も、家が得てきた信頼も、そのすべてに影響する。
自分がもし、側近の地位を失えば、家に戻ることになる。
だが、失うのは自分の役職だけではない。
主君の信頼を失った家が、これからどのような扱いを受けるのか。
それを考えれば、拒否の代償はあまりにも大きかった。
しかも、相手は王女殿下に仕える侍女だ。
彼女の背後には家があり、王女殿下がいる。
断り方を誤れば、相手の家を軽んじたと受け取られるかもしれない。
王女殿下の厚意を退けたと、考えられるかもしれない。
自分一人の意思で済む話ではなかった。
マルクは、目の前の主君を見た。
レオンハルトは、ただ返事を待っている。
「私は、命じているわけではない」
そう言った。
実際、命令ではないのかもしれない。
けれども、命令ではないからこそ、逃げ場はなかった。
マルクは、しばらく考え込んでいた。
やがて、静かに口を開く。
「……殿下」
「何だ」
「王女殿下からのお話だけでは、とても信じられません」
殿下が、わずかに首を傾げられた。
「信じられない?」
「はい」
マルクは真剣な表情のまま続ける。
「私自身の耳で、ベアトリーチェ殿のお考えを伺いたく存じます」
殿下は少し考え込まれた。
マルクもまた、その返答を待つ。
王女殿下から聞いた話と、本人の意思は別だ。
忠義深いベアトリーチェ殿のことだ。王女殿下に頼まれれば、自分の本心とは違う返事をする可能性もある。
婚姻は、一生を左右することだ。
本人の意思を確かめずに話を進めるべきではない。
そう考えたからこそ、マルクは自ら確かめたいと願った。
やがて殿下は頷かれた。
「……分かった。エリシア王女に相談してみよう」




