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マルク視点
第三王子の側近マルクは、寝室の扉の前に立っていた。
隣には、もう一人の侍従。
二人とも正装のまま、一晩中その場を離れていない。
腰の剣はいつでも抜ける位置にあり、僅かな物音にも耳を澄ませていた。
寝室の中では、第三王子レオンハルト殿下とエリシア王女がお過ごしになっている。
この夜は、王家にとって最も重要な夜の一つだった。
暗殺者の襲撃、不審者の侵入、万一の体調不良。
あらゆる事態に即応できるよう、二人は一歩たりとも持ち場を離れない。
扉の端には、近衛兵が二人。
さらに向かい側には、エリシア王女に付き従ってきた侍女が二人、静かに控えていた。
廊下には誰一人として無駄口を叩く者はいない。
聞こえるのは、時折吹き抜ける夜風だけだった。
誰もが、この婚姻が無事に成立する瞬間を待っていた。
やがて長い夜が更け、窓の外がわずかに白み始める。
日の出前。
マルクは王女の侍女たちへ静かに歩み寄った。
「……そろそろ、用意を始めましょうか」
侍女の一人が、小さく頷く。
「そうですね」
ここまで何の呼び出しもなかった。
扉が開くこともなく、助けを求める声も聞こえなかった。
それだけで、すべてが恙なく終わったことは容易に想像できた。
侍女たちは互いに目を合わせ、小さく頷き合う。
一人は新しい寝具や薄衣を用意するため控室へ向かい、もう一人は銀盆に白い亜麻布を載せ、静かに寝室の前へ戻ってきた。
マルクも隣の侍従へ目配せをする。
侍従は記録係を呼びに向かい、近衛兵たちも姿勢を正した。
廊下に流れる空気が、再び張り詰める。
夜を守る役目は終わり、朝の儀礼を執り行う時間が訪れたのだ。
やがて東の空が淡く染まり始める。
決められた時刻となり、マルクは静かに扉を叩いた。
「レオンハルト殿下、失礼いたします」
内側から入室の許しを得ると、マルクは侍女たちと共に寝室へ足を踏み入れた。
侍女たちは一礼すると、無駄のない所作で寝台へ進む。
帳を丁寧に開き、王女へ新しい薄衣を差し出す者。
寝具を静かに整え、決められた手順どおりに亜麻布を扱う者。
マルクはその一連の儀礼が滞りなく終わるのを見届けると、小さく一つ頷いた。
これで婚姻は滞りなく成立した。
昨夜から続いた緊張が、ようやく解ける。
しかし、側近としての仕事はまだ終わらない。
この結果を国王陛下へ正式に報告するまでが、自らに課せられた最後の責務だった。
侍女視点
侍女は、全く眠っていなかったが、眠気はなかった。
エリシア王女が心配だった。
何かあれば、呼ばれるかもしれない。そう思いつつ、寝室の前で一晩中待機していた。
しかし、呼び鈴は一度も鳴らなかった。
やがて朝になり、侍女は他の者たちと共に寝室へ入った。
「…………」
エリシア王女は、穏やかに眠っていた。
衣服は整えられ、顔色も悪くない。
寝台の脇には、使われた布。
暖炉のそばに置かれていた水瓶の中身は、明らかに減っている。
さらに、薪も昨夜より少なくなっていた。
侍女は、ゆっくりと部屋を見渡した。
「……まさか」
暖炉に薪をくべ、ぬるま湯を使い、王女の身体を拭き、衣服を整えたのは誰か。
答えは、一つしかなかった。
「……全部、終わって、る?」
思わず呟いた。
普通なら、夜中に必要なものがあれば呼び鈴を鳴らす。
それなのに、レオンハルト殿下は誰も呼ばなかった。
「……王族なのに」
その時、エリシア王女が目を覚ました。
「……おはようございます」
「おはようございます、王女様。お身体の具合はいかがですか?」
「大丈夫です」
王女は、少しだけ微笑んだ。
「殿下が、いろいろとしてくださいましたから」
「……そうですか」
やはり、本当に、全部終わっている。
レオンハルト殿下がエリシア王女に声をかけた。
「今日は、よくお休みください」
エリシア王女が、少し驚いた顔をする。
「ですが……」
「冷害の最中です。宴を開く事は考えてません。身体を休めることを優先してください」
レオンハルト殿下はエリシア王女を見つめた。
「……はい」
エリシア王女は、僅かに目をふせた。
侍女は進み出た。
「王女様のことは、私たちにお任せください」
「よろしくお願いします」
レオンハルト殿下は、部屋を出た。
侍女は密かに拳を握った。
初夜の後、自分たちの役目は、王女の身体の世話だけではない。
恐怖や不安を受け止めること。
涙を流すなら、そばにいること。
夫に対して思うところがあるなら、誰にも言えない本音を聞くこと。
異国の地で初夜を迎えた王女にとって、侍女は唯一の味方になる。
そう教えられてきた。
侍女はエリシア王女に聞いた。
「何か必要なことは、ございますか?」
「……いえ、特には」
エリシア王女は、静かに首を振った。
「……そうですか」
侍女は、もう一度、エリシア王女を見る。
穏やかな表情、落ち着いた瞳。
そこに、怯えた様子はなかった。
侍女が受け止めるはずだった不安や涙、その役目さえも。
すでに、第三王子に果たされていたのだった。




