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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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エリシア王女は執務机の前で、一通の報告書に目を通していた。

冷害の影響は、この領地にも及んでいる。 明日予定されている婚礼の祝宴も、王族の祝いとは思えぬほど慎ましいものとなる予定だった。

その時、控えていた侍女が静かに一礼する。

「殿下より申し伝えがございます。本日、予定どおり初夜を執り行うとのことです」

エリシア王女は書類から視線を上げると、小さく頷いた。

「……宜しい。そのように」

穏やかな返答だった。

だが、その一言に、侍女は胸をなで下ろす。

婚姻の誓約は既に教会で交わされている。しかし、教会法では、それだけでは婚姻は完全ではない。夫婦としての結び付きが成立して初めて、誰にも覆すことのできない婚姻となる。

簒奪事件の余波が残る今、その一夜は、夫婦だけでなく王家そのものを守る意味を持っていた。

教会にも既に連絡は届いている。必要な立会人も待機し、万一の異議が挟まれる余地は残されていない。

侍女は安堵したように息をついたが、すぐに少しだけ頬を膨らませる。

「けれども、本当にお仕事は明日にしていただきたいものです」

その声には、わずかな怒りが滲んでいた。

「殿下は、つい先ほどまで執務室で書類をご覧になっていたとか。こんな日にまで机へ向かわれるなんて……」

エリシア王女は思わず苦笑を漏らした。

「ふふ……あの方らしいです」

誰よりも領民を案じ、少しでも仕事を片付けようとする。

それが、レオンハルトという人だった。

だからこそ、人はあの方について行くのだろう。

そう思いながらも、今夜だけは違う。

今夜は、王子ではなく、一人の夫として過ごしていただかなければならない。


やがて廊下の向こうから、伝令役の近衛騎士が足早に現れた。

「エリシア王女殿下。レオンハルト殿下よりお伝えいたします」

騎士は恭しく頭を下げる。

「寝室をご一緒いただきたい、とのことでございます」

エリシア王女は静かに立ち上がった。

「分かりました」

その返答は短かった。

けれど、その横顔には、王女としての覚悟と、一人の妻としての静かな決意が宿っていた。


エリシア王女は、静かに息を整えた。

失敗は許されない。

侍女たちが暖炉へ薪をくべる。

赤々と燃える炎が部屋を温め、穏やかな空気が広がっていく。

「暖炉は十分ですね」

「はい、殿下。寝室が冷えぬよう、夜通し火を絶やしません」

エリシア王女は頷いた。

「次を」

侍女は銀盆を差し出す。

そこには、この日のために用意された温かな香辛料入りの葡萄酒と、胡椒や生姜などを用いた温かい料理が並んでいた。

「厨房にも伝えてあります。すべて温かいうちにお出しします」

「ありがとう」

それもまた、この時代において最善と信じられている備えだった。

続いて侍女は、香り高い薬草を調合した小さな陶器の壺を示す。

「こちらも準備できております」

エリシア王女は蓋を開け、ほのかに立ち上る香りを確かめる。

王宮の医師が調合した、王家に伝わる薬草の軟膏。

古くから身体を労わるために用いられてきたものだ。

「よろしい」

侍女は深く一礼した。

「教会への連絡も済んでおります。立会いの方々も待機しております」

「……そう」

婚姻は既に誓われている。

だが、この夜は両家の未来を誰にも覆されないものとするための、大切な儀式でもあった。

エリシア王女はゆっくりと立ち上がる。

侍女たちが最後の身支度を整えていく。

白い麻の装いは、この時代の習わしに従ったものだった。

鏡に映る自分の姿を見つめ、エリシア王女は小さく息を吐く。

「……けれども、この服装は寒いわ」

その呟きに、侍女たちは思わず顔を見合わせる。

「すぐに暖炉へ薪を足します、殿下」

その言葉に、エリシア王女はようやく小さく微笑んだ。


エリシア王女は、枕の下をそっと確かめた。

万一に備え、侍女が用意した小さな小瓶。

何事も起こらないことが一番だ。

それでも、大国と小国の同盟、王家の名誉、そして自らの立場を守るため、考え得る備えはすべて整えておかなければならない。

「……これで、よいのですね」

「はい、殿下」

侍女は静かに頭を下げた。

エリシア王女はゆっくりと椅子へ腰を下ろす。

背後へ回った侍女は、櫛を手に取り、艶やかな髪を優しく梳き始めた。

暖炉の薪が静かにはぜる。

しばらく沈黙が続いた後、侍女が穏やかに口を開いた。

「姫様。まもなく、レオンハルト殿下がお見えになります」

「……ええ」

「どうか、ご安心ください」

エリシア王女は鏡越しに侍女を見つめた。

「安心……ですか」

その声は、自分でも驚くほどか細かった。

王女として政治も礼法も歴史も学んできた。

だが、この夜についてだけは違う。

誰も詳しく教えてはくれなかった。

教えられたのは、ただ一つ。

『その時は、殿方のお導きに従えばよいのです』

それだけだった。

部屋に入られた後、何をすればよいのか。

何が起こるのか。

なぜ、それほど大切な夜なのか。

分からない。

尋ねようとしても、

「その時が来れば分かります」

と微笑まれるだけだった。

だからこそ、知らないことへの不安だけが胸の内で大きく膨らんでいく。

ふと視線を落とす。

膝の上で重ねた自分の手が、小刻みに震えていた。

「……」

いつから震えていたのだろう。

侍女はその手に、そっと自分の手を重ねる。

「エリシア殿下」

幼い頃から聞き慣れた、優しい声だった。

「これは、王女としてのお務めでございます。どうか、ご自分を信じてください」

「……ええ」

エリシア王女は静かに息を吸った。

震えは収まらない。

それでも背筋を伸ばえ、王女らしく顔を上げる。

「ありがとう」

侍女は最後に髪を整え、微笑んだ。

「とてもお美しゅうございます」

エリシア王女は鏡に映る自分へ小さく頷いた。

そして、静かにその時を待った。

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― 新着の感想 ―
大国の王族で性教育がまったく進んでいないのは問題かも。 王族貴族は跡継ぎ作ってなんぼの世界だし(謀殺とかもあるでしょうし)。 でも小国の王家って全員王妃の息子なんですよね? 第二夫人も居ないし、3人も…
手引書あるいは小説形式での知識付与もなかったんですかね? 日本じゃ江戸時代には歌麿だの北斎だの有名絵師の春画が 嫁入り前の女性の性教育教材に使われてた(それも結構高貴な身分でも)っていうんですから …
 領主とはいえ王族どうしの結婚ですからね、儀式というか行事というかそんな感じになるのでしょうね。  特にこの世界線の場合、宗教が強いので流儀に合わせなければならない。現代人の感覚としては受け入れ難い側…
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