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大国の王宮、その奥。
厚い絨毯の敷かれた執務室に、一人の男が膝をついていた。
幾つもの宿場を経由してきた使者だ。外套には旅塵が積もり、革靴は擦り切れている。
王は、机の上へ置かれた第三王子の封蝋付きの書簡を見下ろした。
静かに封を切る。
中には、整然とした記録が入っていた。
阿片の不正使用による医官の処分、伯爵家への対応、阿片管理体制の変更。
すべてが、淡々と記されている。
感情はないが、それが逆に重かった。
「……下がれ」
低く言う。
側近たちが一礼し静かに退出していった。扉が閉まる。王は、再び書簡へ目を落とした。
そこには、“怒り”がない。
見せしめも、感情的な断罪も、神への祈りもない。ただ、危険だから切る。崩れる前に止める。その論理だけがある。
「……そこまでするのか」
ぽつり、と漏れた。
伯爵家だ、地方貴族ではない。古くから続く家門。普通ならば、穏便に済ませようとする。教会へ預ける、病と称して隠す、あるいは、内々に処理する。
だが、第三王子は違った。躊躇なく、切った。
「……いや」
王は、ゆっくりと目を閉じる。
違う。そうせざるを得なかったのか。阿片というものは、そこまで危険なのか。書簡を読む限り、話は通っている。
症状は依存、禁断、錯乱。そして“求め続ける”。
国王は、深く息を吐いた。嘘には見えない。
いやらあの第三王子は、こういう件で虚飾を混ぜる男ではない。むしろ厄介なのは必要以上に語らないことだ。
「……」
王は、書簡を机の上に置いた。
もし供給に不備があれば、粗悪品が混ざれば、横流しがあれば。あの男は、感情ではなく“管理不備”として処理するだろう。
怒鳴る相手なら、まだ交渉できる。しかし、黙って切る者は、止まらない。
「……検査を増やせ」
誰もいない部屋で、王は呟いた。
阿片の保管庫、輸送、加工、量、全部だ。
担当貴族にも通達する。
誤魔化すな、混ぜるな、流すな、少しの狂いも許すな。隣国の伯爵家が、ああなったのだ。自国で同じことが起これば、阿片交易そのものが危険になる。
それだけは避けねばならない。
「……なるほどな」
小さく、呟く。
第三王子は、何も要求していない。脅してもいない。だからこそ、誰もが勝手に怯え、勝手に管理を厳重にし始める。
「これが……統治か」
低く落ちた声は、誰にも聞かれることなく消えた。
数日後。
大国全土へ一通の通達が出された。阿片の保管、加工、輸送において、不正・横流し・記録改竄が発覚した場合、厳罰に処す。簡潔な文面だった。しかしその末尾には、国王自らの印璽が押されている。
阿片は、王家管理の品だ。南の属国に栽培を担わせ、収穫された阿片は、王家直属の管理庫へ送られる。取り扱える者も限られている。だからこそその通達は、関係者たちの背筋を凍らせた。
各地の管理庫、役所、輸送拠点、通達は瞬く間に広がった。
「……本気か」
羊皮紙を読んだ役人が、思わず呟く。隣では、帳簿係が青ざめていた。
「再検査だ。全部だ、全部確認しろ」
「ですが、この量を……」
「やれ。今すぐだ」
声が荒くなる。別の管理庫では、既に混ぜ物を始めていた監督官が部下を睨みつけていた。
「混ぜ物の量は?」
「い、いえ!ほんの少し――まだ始めたばかりなので」
「黙れ」
空気が凍る。
「混ぜたものは破棄。品質不十分とでもしておけ。今後、一切混ぜるな」
「しかし、増やして横流しすれば利益が……」
「言うな。首が飛ぶより安い」
吐き捨てるように言った。
港でも、空気は変わっていた。
阿片を積んだ箱が一つずつ開けられる。封蝋の確認、重量の測定、記録との照合。役人たちの目は、異様なほど厳しかった。
「最近、急に厳しくなったな」
南の属国から来た運搬人が、小さく漏らす。
監督役の役人は、低く返した。
「……小国の件を知らんのか」
その一言で、周囲が静かになる。
伯爵家の没落、医官の追放、阿片中毒という症状。噂は、既に国を越えていた。
しかも恐ろしいのは、第三王子が怒鳴り散らしたわけでも、軍を動かしたわけでもないことだ。淡々と調べ、 淡々と切った。大国の国王がそれに倣うのだとしたら。
だからこそ、人々は思う。
……次は、自分かもしれない。
管理官たちは記録を何度も見直した。輸送役人は、封を自ら確認するようになった。保管庫では、鍵が増やされ、夜番まで置かれ始める。
そして、少しばかり量をごまかし、 差額を懐へ入れようと考えていた者たちは、静かにその考えを捨てた。
「やめておけ」
古参の役人が、小声で言う。
「今はまずい」
それだけで、十分だった。
こうして大国における阿片の取り扱いは、かつてないほど厳重さを増していく。
誰も命じていない。それでも皆、自ら進んで締め付け始めていた。
ただ一つの実例が、国一つ、そして南の属国の空気を変えてしまったのだった。




