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伯爵は、爵位を剥奪された。
公には――理由は「体調不良」とされた。しかし、その内実が隠し通せるはずもない。
伯爵夫人が阿片中毒に陥ったこと。そして、それを止められなかったこと。その噂は、あっという間に広がった。
「そんな事で……」
「重すぎるのでは?」
「中毒と言っても、治るのでしょう?」
市井では、様々な声が上がった。
同情もあれば、疑問もある。納得しきれぬ者も多い。
けれど、判決が覆ることはなかった。それは一人の伯爵の問題ではない。国としての意思表示だった。
阿片の取り扱いに対し、いかなる立場であろうと、例外は設けない。その線を、はっきりと引くための。重さは、見せるためにある。
私は、その後、父のもとへ赴いた。
言葉は、用意していたはずだった。だが、口を開くより先に、身体が動いた。
深く、頭を下げる。
「……」
沈黙が落ちる。やがて、父が言った。
「良い」
短い一言だった。
「阿片で、助かっている者の話も聞いている」
責める声ではない。かといって、慰めでもなかった。ただ、事実を置くように。
「……」
私は、顔を上げることができなかった。
胸の奥で、何かが重く沈んでいる。救ったはずのものと、壊したもの。そのどちらも、確かに存在している。
「……申し訳、ありません」
ようやく絞り出した声は、わずかに震えていた。
父は、それ以上何も言わなかった。
沈黙のまま、時間だけが過ぎる。
許されたわけではない、責められたわけでもない。ただ、背負うべきものが、そこに残された。
私は領地に戻った。
伯爵夫妻は爵位を失った以上、かつての地位に戻ることはない。名も、立場も、静かに切り離されていく。
護衛付きの馬車で、二人は人目を避けるように王都を発ったと報告を受けた。
見送る者は、ほとんどいなかったという。
私は、治療方法をまとめた書類を渡していた。昔、何かで読んだ書物の記憶だ。
阿片は、段階的に減らす。急断はさせない。
禁断症状を抑えるため、極少量を計画的に投与する。
発汗、震え、不安、錯乱――症状に応じて水分と休息を確保させる。拘束は最小限。ただし、自傷の兆しがあれば例外とする。眠れぬ夜が続き、食が細るとしても、量は戻さない。
方法は簡単だ。
ただし、心が削られるだろう。
領地に戻ると、医官たちの空気が変わっていた。
いつものような雑談はなく、声は低く、動きもどこか慎重だ。一人の処分が、ここまで響く。当然だ。あれは“見せしめ”ではない。けれども、“境界”は示した。
私は、彼らを見渡して言った。
「……皆も、覚えておくように」
わずかに間を置く。
「阿片の扱いは、特権ではない」
静かな声だったが、誰もが顔を上げた。
「命を預かる者に許された“手段”だ。履き違えるな」
誰も何も言わず、一様に頭を下げた。
それでいい。理解は言葉ではなく、結果で示されるものだ。
私は踵を返した。
この領地で、同じことは二度と起こさせない。
マルクは、すべてを見ていた。
伯爵を、伯爵夫人を、そして、殿下の後ろ姿を。
王都への道中、馬車の中で、伯爵夫人は震えていた。最初は、ただの落ち着きのなさだった。指先が細かく震え、視線が定まらない。呼吸が浅く、何度も唇を湿らせる。
「……まだ、か」
かすれた声で、何度も問う。
やがて、汗が滲み、額に張り付き、髪は乱れ、呼吸は荒くなる。その目は、何かを探していた。
「……薬を……」
その一言に、すべてが集約されていた。
マルクは、言葉を失った。
これが、あの穏やかだった伯爵夫人なのか。上品に微笑んでいた、あの女性が。
目の前にいるのは、別の何かのようだった。
「……恐ろしい」
思わず、胸の内で呟く。
阿片とは、人を鎮め痛みを消すものだと思っていた。だが違う。これは、人を縛り、内側から壊し、奪い、求めさせる。
……ここまで、変えるのか。
背筋に、冷たいものが走る。
視線を上げると、殿下は、変わらず前を見ていた。揺れず、迷わず、まるで、この光景を知っていたかのように。
……違う。
マルクは、すぐに思い直す。
知っていたのではない、覚悟していたのだ。
だからこそ、迷いながらも量を絞った。だからこそ、王都に着けば更に絞ると決めた。
感情ではなく、結果を見ている。
「……」
マルクは、唇を引き結ぶ。
動揺はある、恐れもある、だが、それを外に出すことは許されない。
殿下の側に立つ者として。
それでも、一人で背負っているその背中は、あまりにも静かで。
「……」
かける言葉が、見つからなかった。
慰めでは足りない。
理解したふりをするには、重すぎる。
ただ、何も言わず、隣にいる。
それしか出来ないことが、悔しかった。
それでも、目を逸らさなかった。
あの背を、見失わないために。




