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将来美しくなる、と言われていた村長の娘がいた。
陽の下に立てば、誰もが振り返る。明るく、よく笑い、祭りではいつも輪の中心にいた。
村長は働き者で、朝から晩まで外を駆け回っていた。その妻もまた同じで、夫に付き従い、よく働いた。
だからこそ――家の中を整えていたのは、祖母だった。娘は祖母と離れで、暮らしていた。
火の番をし、布を洗い、娘の髪を梳き、手を引いて祈りを教えた。
その祖母が亡くなってから、少しずつ崩れ始めた。
最初は、小さな違和感だった。腕に、わずかな赤み。かゆみと、乾き。
「大したことはない」
そう言って、誰も気に留めなかった。けれども、それは消えなかった。
広がり、肌は荒れ、ひび割れ、やがて人目に触れることをためらうほどになっていく。
村人たちは、距離を取った。あからさまではないが、確実に。
「……神の試練だ」
誰かが、そう呟いた。
「いや、罪の報いかもしれぬ」
別の誰かが、声を潜める。
娘は、それを聞いていた。否定はされない。
ただ、誰も触れない。それが、答えだった。
かつて、娘には将来を誓う相手がいた。
幼い頃からの約束。共に育ち、共に笑い、未来を語った相手。
けれども、病が身体中に広がったある日。
彼は、静かに言った。
「……必ず、戻る」
その声は、優しかった。嘘ではなかったのかもしれない。けれども、彼はそのまま、遠くの行商へと出された。家族に強く、言われたのだ。村を離れる時に、
「迎えに来る」
その言葉だけを残して。
一週間が過ぎた。一月が過ぎた。どれくらい過ぎたのか。季節は巡り、祭りは繰り返された。
けれど、娘はそこにいなかった。
薄暗い部屋、窓の内側、外の音だけが届く。
笑い声、楽の音、祝福、すべてが遠い。
鏡を見ることも、やめた。
触れれば痛み、見れば、祈りたくなる。
「……これは、罰なの?」
答える者はいない。
祈りは、空へと消えるだけだった。
やがて娘は、家から出なくなった。誰も強くは止めない。誰も、無理に引き出そうとはしない。それが、この時代の優しさだった。
隔てることで、守る。
近づかないことで、穢れを避ける。
娘は、独りになった。
静かに、確実に、世界から切り離されていった。
そんな時だった。
「……治療を、試してみないか」
その話が来たのは、静まり返った午後だった。
年若い領主は整った装いをしていた。その視線は静かで、揺らがない。娘は思った。
――治るはずがない。
これは、試練だ。神が与えたもの、耐えるべきもの、逃げてはいけないもの。
「……意味が、あるのですね」
思わず口をついて出た言葉に、領主はわずかに首を傾けた。
「ああ」
短い言葉だった。
慰めではない、説教でもない、ただ、事実のように落ちた。
娘は、その瞳を見た。
そこには、哀れみも、恐れもなかった。ただ“人を見る目”だけがあった。
「……わかりました」
なぜか、そう答えていた。
それからの日々は、静かに、だが確実に変わっていった。
湯に入り、布が取り替えられた。
最初は、何も変わらなかった。けれど、ある日、ふと気づく。
かゆみが、軽い。ひび割れが、閉じている。
鏡を、久しぶりに見た。そこに映っていたのは、かつての自分に、少しだけ近づいた顔だった。
それからは、早かった。肌は整い、色を取り戻し、痛みは減っていく。娘は、何が原因なのか、何となく理解した。
やがて、娘は、外へ出た。光の中へ。
村人たちは、驚き、そして――口々に言った。
「試練に耐えたのだ」
「神の加護を得たのだ」
「祈りが届いたのだ」
娘は、それを聞いていた。そして、思う。
……違うわ。
だが、何も言わなかった。言う必要が、なかった。それからしばらくして、一人の男が村に戻ってきた。日に焼け、少しだけ大人びた顔。
かつての約束の相手だった。
「……遅くなった」
彼は、まっすぐに娘を見た。
「今も君は、美しい」
ためらいなく、言う。
「そして――神の寵愛を受けている」
その言葉に、周囲が頷く。
かつて反対していた彼の家族もまた、同じように、手のひらを返すように、笑みを浮かべていた。
娘は、少しだけ口元を歪めた。
……滑稽だ。
そう思わなかったわけではない。けれども彼の結婚の申し出に、
「……ええ」
静かに、頷いた。
それでもいい、と、そう思った。
それは――娘の夢であり、願いだったからだ。
病に蝕まれる前、当たり前のように信じていた未来、共に生きるはずだった日々。
失われたと思っていたそれが、形を変えて、今、目の前に戻ってきている。
歪んでいようと、遅れていようと――それでも、望んだものには違いなかった。
そして、結婚式が行われた。
広場の真ん中で、村人たちに囲まれ、祝福されながら。
エールが振る舞われ、肉が焼かれ、歌と笑いが続く。その中で、娘はふと視線を上げた。
少し離れた場所。
群衆の外側に、領主の立つ姿。
一瞬だけ、目が合う。娘は、誰にも気づかれぬよう、心の中で頭を下げた。
……ありがとうございます。
声にはしない、いや、してはいけない。
この世界では、それは“神の御業”なのだから。
それでも、祈る時、必ず最後にかの人への感謝の言葉を添えている。
……誰にも知られない、彼女だけの祈りを。




