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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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私は、忙しい日々を過ごしていた。

書状の処理、領地の収支、騎士団への指示、隣領との調整。机の上の紙束は減ることがない。ふと、違和感を覚えた。

「……」

室内の空気が、どこか緩い。

出入りする役人たちの足取りが、わずかに軽い。視線を上げる。

「……浮ついているな」

ぽつりと呟くと、傍らのマルクが小さく目を細めた。

「お気づきになられましたか」

「何がある」

短く問う。

マルクは一歩進み、静かに答えた。

「例年の“祭り”が近づいております。医学院の学位授与と重なり、今年は特に規模が大きいとのこと」

「……なるほどな」

言われて、ようやく合点がいく。

随分前に、祭りのことはすべてマルクに任せる、と言ったのだった。

再び書類に目を落とすが――集中がわずかに削がれている。

私はペンを置いた。

「外を見る」

窓の外――街の様子は、明らかに変わっていた。通りには、色布が張られ、花が飾られている。屋台の骨組みが並び、商人たちが声を張り上げながら設営を進めている。

風に乗って、香草と甘い菓子の匂いが流れ込んできた。

「……準備か」

「は。すでに各地から人が入り始めております」

よく見れば、普段は見ない服装の者も多い。

巡礼者、商人、学生――そして、浮き足立った民。

「騒ぎになるな」

「ええ。ですが……」

マルクが、わずかに間を置く。

「民にとっては、数少ない“解放”の時でもあります」

私は、しばらく黙って外を見ていた。

笑い声が、遠くから聞こえる。

「……分かっている」

静かに答える。

「抑えつけるものではない。ただ――線は越えさせるな」

「承知しております。警備は強化済みです」

「医師も回せ。怪我人が増える」

「すでに手配しております」

抜かりはない。

私は、もう一度だけ街を見下ろし、視線を戻した。椅子に深く座り直す。

「続けるぞ」

書類を取り、再びペンを走らせる。

外では祭りの準備が進み、内では領地が動き続ける。



とうとう、祭りが始まった。

この地において――祭りは、単なる娯楽ではない。領主である私にとっては、それは義務であり、責務だ。

教会の鐘が、朝の空気を震わせる。領民たちはすでに集まり始め、広場は色とりどりの布と旗で埋め尽くされていた。

「……始まりますね」

背後で、マルクが低く言う。

「ああ」

私は短く応じ、外套の襟を正した。

今日ばかりは、鎧でも執務衣でもなく、華やかな衣装。――見せるための姿だ。

広場へ足を踏み出した瞬間、空気が変わる。

ざわめきが一瞬だけ揺れ、次の瞬間歓声へと変わった。

「殿下だ!」

「領主様がいらしたぞ!」

私は歩みを止めずゆっくりと周囲を見渡し、視線を合わせ、軽く頷く。それだけで、彼らの顔が明るくなるのが分かる。

……単純だ。だが、それでいい。

「パンと酒は十分に行き渡っているか」

歩きながら問う。

「は。昨夜のうちに各区画へ配分済みです」

マルクが即座に答える。

「肉の振る舞いも、昼には始まります」

「遅らせるな。飢えさせたままの祝宴は、祝宴ではない」

「承知しております」

広場の中央では、すでに音楽が鳴り始めていた。

リュートの軽やかな音、太鼓のリズム。子どもたちが駆け回り、若者たちは輪になって踊り、年長の者たちは酒を片手に笑っている。

普段とは、まるで違う顔だ。

「……悪くないな」

ぽつりと漏れる。

「は?」

「いや」

言葉を切る。普段は、税を取り、労を課す相手だ。だが今は違う。彼らは笑い、食べ、生きている。

その光景を維持することこそが、領主の仕事だ。


教会の前に到着し、扉の前で私は足を止めた。中では、すでに祈りが始まっている。

「殿下」

マルクが一歩下がる。

私は一つ息を整え、静かに中へ入った。

荘厳な空気、香の煙が揺れ、光が差し込む。

膝をつき、頭を垂れる。

祈りは、形だけではない。この地が保たれていること。人が飢えず、争いが抑えられていること。その全てが、奇跡に近い。

祈りを終え、外へ出ると、再び喧騒が戻ってくる。

「殿下! 一杯いかがですか!」

農民の一人が、無遠慮に杯を差し出してきた。周囲が一瞬、息を呑む。だが私は、わずかに口元を緩めた。

「……いただこう」

杯を受け取り、一口だけ飲む。

「今日は無礼講、だったな」

「へへ……!」

場が一気に和らぎ、笑い声が広がる。

マルクが、わずかに肩をすくめた。

「……寛大に過ぎますな」

「今日くらいはな」

私は杯を返し、再び歩き出した。

領主としての威厳は必要だが、それだけでは足りない。恐れだけでは、人はついてこない。

「覚えておけ、マルク」

「は」

「満たされた者は、よく働く」

マルクが小さく笑う。

「……そのための祭り、でございますか」

「ああ」

視線の先では、煙が上がり、肉が焼かれている。歓声はさらに大きくなり、音楽は高まり、空気は熱を帯びていく。

非日常。だが、この一日があるからこそ、また日常に戻れる。

「……悪くない」

今度は、はっきりとそう言った。

領主としてではなく。

ただ一人の人間として。



広場には人が溢れ、色とりどりの布が風に揺れている。

香草と焼いた肉の匂い、エールの泡、笑い声そして、その中心で。

「――誓いますか」

一組の男女が向き合っていた。結婚式だ。

周囲には村人たちが円を描くように集まり、誰一人として静かにしていない。笑い、囃し立て、祝福の声を投げる。

厳粛さよりも、熱気。祈りよりも、生の喜び。

「……あの娘か」

ふと、視線が止まる。

花嫁は、青い衣をまとっていた。粗い織りの布だが、丁寧に仕立てられ、胸元には小さな花が編み込まれている。

その顔を、私は知っていた。

「以前、皮膚病を患っていた……村長の娘だな」

傍らで、マルクが小さく頷く。

「は。その後も良好との事です」

「そうか」

短く応じる。

あの時の娘が、今は堂々と人々の前に立ち、笑っている。その笑みは、隠す必要のないものだった。

「――ほら、早くしろ!」

「逃げるなよ!」

野次とも祝福ともつかない声が飛ぶ。花婿が苦笑しながら、花嫁の手を取った。

指には、金ではない。粗末な金属か、あるいは草を編んだだけの指輪。それでも。

「……十分だな」

私は、小さく呟く。

誓いが交わされ、次の瞬間、歓声が弾けた。

誰かが穀物を投げ、子供たちが駆け回り、楽師が勢いよく弦を鳴らす。エールの杯が掲げられ、肉の香りがさらに強くなる。

祝宴が、始まった。

花嫁は笑っていた。その顔には、かつての面影はない。ただ、未来だけを見ている。

「……悪くない光景だ」

私の言葉に、マルクがわずかに口元を緩めた。

「領主冥利に尽きる、というものでしょうか」

「……そこまで言うつもりはない」

否定はするが、視線は外さない。

この喧騒も、この笑いも、この結びつきも――すべて、領地の“力”だ。

守るべきもの、増やすべきもの。

「行くぞ、マルク」

背を向ける。歩き出す私の背後で、歓声がさらに大きくなる。

振り返らない。

だが、その音は――確かに、届いていた。

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― 新着の感想 ―
こういう、ささやかかもしれないけれど、そこに住んでいる人たちの笑顔が保たれている事が何より大事ですよね。 第三王子も重積を担っているけど、それに応えるマルクもすごいなぁといつも思います。マルクにも頼…
( ´;ω;)ゞお"じあ"わ"ぜに"ッ‼
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