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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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108

書状の山が、机の上に積み上がっていた。

封蝋の色も紋章も異なるそれらは、すべて急を要するものばかりだ。

一つを開く。

――収穫量の報告。干ばつの兆しあり。水利の調整が必要。

次を開く。

――境界の村で争い。裁定を求む。

さらにもう一通。

――クロウフォード領の倉庫在庫、輸送計画の再編について。

「……増えたな」

小さく呟く。当然だ。自領に加え、隣領の管理も動き始めている。

「こちらの優先度を上げますか」

マルクが静かに問いかける。

「いや、後だ。まずは水だ」

即答する。

「収穫が崩れれば、すべてが連鎖する」

机の端には、簡易の地図が広げられていた。

水路、村落、備蓄。クロウフォード領の情報だ。

私は地図の一点を指で押さえた。

「……ここだな」

「上流の貯水池ですか」

「ああ。水位が落ちているなら、まず流れを絞る」

マルクがわずかに眉を寄せる。

「下流の村から反発が出ます」

「出るだろうな。だが、今は全体を守る」

あっさりと答える。

「上流で水を溜める。放水は時間を決めて行え。無秩序に流せば、どこも足りなくなる」

「配分の管理を徹底させる、ということですか」

「そうだ。村ごとに割り当てる。使用量も記録させろ」

マルクが小さく頷く。

「違反が出た場合は?」

「罰金だ。それでも従わなければ、水利の優先権を剥奪する。ただし」

視線を上げる。

「代替手段も用意しろ。井戸の掘削を進める。浅い層でいい、数を増やせ」

「人手は?」

「境界の争いに出す予定の者を一部回せ。争いより水が先だ」

「承知しました」

私はもう一度、地図を見る。

「干ばつは“兆し”の段階だ。ここで抑えれば、被害は出ない」

静かに言い切る。

「遅れれば――飢える」


私は次を開いた。

「輸送路は共用できるが、負担は偏らせるな」

「は」

「どちらか一方に不満が溜まれば、いずれ歪みになる」

指で地図をなぞる。線は一本だが、その上には人と物と、思惑が流れている。

「裁定書も溜まっています」

「持ってこい」

差し出された書面に目を通す。境界の争い。よくある話だ。

「……こちらの判決でいく」

短く告げ、印を押す。

「揉めませんか」

「揉める。だが、“ルールがある”状態で揉めるのと、無秩序に奪い合うのは違う」

マルクは何も言わず、ただ書面を受け取った。

外では、兵の訓練の音が響いている。

巡回の報告も、増えていた。

街道の件以来、警戒は一段引き上げている。

「工兵からの進捗は」

「仮復旧は完了。本復旧は三日以内」

「早いな」

「人員を倍にしました」

頷く。遅らせる理由はない。

「……医師の報告は」

「クロウフォード伯爵ですね。経過は安定です」

「そうか」

それだけで、次へ進む。感情を挟む余地はない。今は。

さらに書状を開く。決裁、指示、調整。一つ終えれば、次が来る。

けれども、私は、手を止めた。

窓の外に、傾いた光を見る。

「……時間か」

マルクが顔を上げる。

「はい。定時です」

私は立ち上がった。

書類はまだ残っている。終わりは、見えていない。それでも。

「ここまでだ」

短く告げる。

「よろしいのですか」

「問うな。ただ、無理も、無駄もしない」

椅子を引く音が、静かに響く。私は部屋を出た。仕事は、明日も同じように待っている。


だからこそ、終わらせるべきところで、終わらせる。



翌日、私は積み上げられた書類を見ていた。

「……多すぎる」

ぽつりと、漏れる。

一つひとつに目を通し、裁きを下し、指図を出す。これまではそれで回ってきた。

だが今は違う。我が領に加え、クロウフォード領。今後を思えば、負担は増えるばかりだ。前から思っていたことを、すべきだと判断した。

「今までのやり方では、回りきらんな」

そう言うと、控えていたマルクが静かに顔を上げた。

「……殿下」

私は一枚の書付を指先で軽く叩く。

「同じ報せでも、書く者によって出来が違う。読むたびに手間が増える」

「確かに、荘園ごとの差が出ております」

「ならば揃える。書き方を定めろ。収穫、地代、備え、すべてだ。誰が記しても同じ形になるようにする」

マルクの目が、わずかに細くなる。

「……手引きを作る、ということですか」

「ああ。“やり方”を決める」

経験ではなく、型で回す。

「……伝令の取り決めを厳しくしますか」

「少し違うな。報せが遅れれば、判断が遅れる。遅れた分だけ損は膨らむ」

私は一度言葉を切り、続けた。

「ただし、すべてを急がせる必要はない。混乱するだけだ」

マルクがわずかに目を細める。

「では、選別を?」

「ああ。火急の報せは即座に上げろ。それ以外はまとめていい。日ごと、あるいは週ごとに整理して持って来い」

「……急と常の分離、と」

私は別の書付を取り上げた。

「備えの記録も曖昧だ。蔵ごとに数を改めさせろ。木札を掛け、誰が見ても分かるようにする」

「それは、飢えへの備えですか?」

「そうだ。備えは、余裕のあるうちにしかできない。畑も同じだ。導入された三圃制を守らせ、耕し方を知る者を置く。収穫を底から引き上げる」

マルクはすでに察している。

「……街道と合わせれば、荷の流れも良くなりますね」

「物が巡れば、領は富む」

そこまで言って、私は視線を上げた。

「そして――人だ」

「人、でございますか」

「すべてを私が見ていては、回らない。役目を分け、任せる」

マルクが、わずかに眉を動かす。

「相応しい者を選び、任を負わせる。働きのある者には報いを与える」

「……褒賞を与える、と」

「ああ。地代を軽くするでもよい。褒美を与えてもよい。“働けば報われる”と分からせる」

静寂が落ちる。

私は、ゆっくりと椅子にもたれた。

「……楽をするためではない。崩さぬためだ」

領も、人も、仕組みも、すべては繋がっている。

「回る形を作る。それができれば、私は“決める”ことに専念できる」

それこそが、領主の務めだ。

マルクは、深く頭を下げた。

「……承知いたしました。すぐに取り掛かります」

「任せた」

短く告げ、私は再び書付に目を落とした。

だが、先ほどとは違う。終わらぬ山ではないく、崩せる山だ。

「……やるか」

小さく呟く。

積み上げるのではなく、整える。

それが、この領を次へ進めるためのやり方だった。


数日後。

命は、確かに下された。しかし、現場はすぐには動かない。

「……なんだと?」

荘園の中庭で、声が荒がる。

「この書き方では受け取れぬ、だと?今までこれで通ってきたのだぞ!」

古参の管理人が、手にした書付を振り上げる。対する若い書記は、一歩も引かない。

「ですが、形式が定められました。収穫量、保管量、損耗、すべて記すように、と」

「そんな細かいことまで書けるか!畑を見に行く暇もなくなる!」

別の場所では、農民たちが顔を見合わせていた。

「今年は休ませる畑を決めろ、だと……?」 「そんなことをして、収穫が減ったらどうする」

不安と不満が、じわじわと広がる。

蔵の前では、さらに混乱が起きていた。

「数が合わん!」

「昨日までは合っていたんだ!」

「誰が持ち出した!」

木札を掛け数を記す、ただそれだけのことが、これまで曖昧にされていた分だけ、軋みを生む。

「面倒が増えただけだ……」

「前の方が楽だった」

小さな声が、確実に広がっていく。

やがて、それは兵の間にも及ぶ。

「定時の報告、だと?巡回の合間にそんな暇があるか」

「遅れれば罰だとよ」

笑いながらも、その目は笑っていない。そして。

「殿下のご命令だ。従え」

マルクの低い声が、場を断ち切った。

その一言で、表向きの反発は収まる。だが、空気までは変わらない。

「……簡単にはいかぬ、か」

報告を受けながら、私は静かに呟いた。

変えるということは、壊すということだ。

そして壊せば、必ず反発が出る。

「構わん。崩れるなら、今のうちに崩れておけ」

中途半端に残す方が、後で大きく歪む。

「マルク。現場に出ろ」

「は」

「声を拾え。しかし、抑えるな」

混乱は、必要な過程だ。それを越えた先でしか、“新しい形”は立たないのだから。



マルク視点

部屋を辞した後、マルクは廊下を歩きながら、わずかに息を吐いた。

仕事が増えたとき、人は変わる。

雑になる者もいる。時間を削って耐える者もいる。やり方を工夫する者もいれば、誰かに任せることを覚える者もいる。

正解は、一つではない。

「……殿下は」

小さく、呟く。

増えた負担に押されるのではなく、その先を見て、“形そのもの”を変えにきている。

今だけを回すのではなく、先も含めている。

「……だから、ああなるのか」

納得とも、感嘆ともつかぬ声だった。

足を止めることなく、前を見る。

「ならば、こちらも応えねばなりませんね」

低く言い、混乱の中へ、歩みを速めた。


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― 新着の感想 ―
殿下、仕組みを変えるなら「理由」を示すのも、上の務めですよ。 「干ばつがあり、飢饉に対する備えとしての全数調査のため」 ぐらい言わにゃあ…… (そして隠蔽や横流し対策で治安維持にしわ寄せが)
(⌒-⌒; )うーむ、そりゃお隣さんの仕事も担えば、 定時で帰るというのは難しくなって来ますにゃ。 …テロを行った貴族が業腹ですな。 マルク「兎に角、ぼやいてないで、手を動かせ。」 あ、はい。…報告…
リディア嬢に領主の仕事を教えなくていいのかな? あくまで後見人だからリディア嬢に助言する形で手伝わせれば将来的には効率が上がる、かな?
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