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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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102

話は少し遡る。


私は、温泉の館へと向かう一団を遠くから見ていた。

かつてと同じ景色だが、その意味は明らかに違っている。視察ではなく、条約の締結。

本来であれば、大国の王都で行うこともできた。格式も威信も、その方が上なのだが、それでは遅れる。

護衛の増強、行列の編成、各地の通過許可、受け入れの準備。すべてを整えれば、時間がかかる。

そして何より――機密が、動く。

麻酔の技術、阿片の供給。どちらも国家の根幹に触れる。ゆえに、大国はこの地を選び、私もそれを受け入れた。

すでに必要なものは揃っている。技術、実例、教会の承認、そして――互いだ。

やがて、エリシア王女が館へと足を踏み入れた。その歩みは変わらず静かで、揺らぎはない。

だが私は知っている。ここへ来る意味を誰よりも理解しているのは彼女だ。

「お待ちしておりました、エリシア王女」

私は一礼する。王女もまた、わずかに頷いた。

「こちらこそ。迅速なご対応に感謝します」

相変わらず整っている声。しかし、少し何かが違った。視線がほんの一瞬だけ、こちらに留まった。


館の奥、用意された一室へと案内する。

すでに教会の高位聖職者が到着していた。白と金の衣。無駄のない佇まい。

「……お揃いですね」

王女が言うと、聖職者はゆっくりと頷いた。

「これは、神の御心に沿うものと認められております」

これで、この場の意味は確定する。

私は机の上の書面へと手を伸ばした。

「では――条約の最終確認に入りましょう」

阿片の供給、栽培地の管理、修道院による品質指導。そして、麻酔技術の段階的提供。

エリシア王女は、書面に目を通す。

すでに理解している内容だが、それでも確認を怠らない。

「……問題ありません。我が国はこの条件を受け入れます」

静かに言う。それは国家の意思だった。

私は、わずかに目を細める。

「こちらも同様に」

ペンを差し出す。一瞬の静寂の後、王女は迷わず筆を取り、署名する。続いて私が署名し、最後に聖職者が封蝋へと印を押した。

赤い蝋が、ゆっくりと固まっていく。

「……これで本条約は、神と人の双方において成立いたしました」

聖職者が告げる。

誰も、すぐには言葉を発さなかった。

だがその沈黙は、確定したものの重みだ。

エリシア王女が、ゆっくりと息を吐く。

「……これで、ようやく始まりですね」

私は、わずかに口元を緩めた。

「ええ。ここからが本番です」

その瞬間、王女の視線が、ほんのわずかに揺れた、すぐに戻った。


条約の印章が乾いてから、三日後の夜。

温泉の館は、昼とは別の顔を見せていた。

石造りの広間、無数の燭台、揺れる炎。

香の煙と、肉と酒の匂いが混ざる。

長卓には、鹿肉、香草の鶏、パン。銀の器が光を返し、楽師の弦が空気を満たしている。

さらに料理が運ばれてくる。

低い音を立てて置かれた大皿には、焼き上げられた去勢鶏が丸ごと盛られていた。皮は香ばしく色づき、切り分けられた断面からは、香草と脂の匂いが立ちのぼる。

……去勢鶏、個人的には複雑なのだが。

その隣には、柔らかく煮込まれた子牛の肉。濃いソースには見慣れぬ香辛料が使われており、甘みと刺激が混ざり合って鼻をくすぐった。

さらに、山うずらの小ぶりな焼き物。ひと口で食べられる大きさながら、しっかりとした野性味のある香りが残る。

パンもまた、数種類が用意される。

白くきめ細かなもの、粗挽きの粉を使った重いもの、小さく丸めた甘い焼き菓子。いずれにも、バターや蜂蜜、果実のジャムが添えられている。そして。

「……あれは?」

エリシア王女の視線が、ひときわ異様な料理に止まった。大きな焼きパイ。黄金色の表面に切れ目が入れられると、次の瞬間、中から小鳥が飛び出した。

「……!」

思わず、目を見開く。

小鳥は短く鳴きながら天井近くを旋回し、やがて開け放たれた窓の外へと消えていった。

周囲から、控えめな笑いと感嘆の声が上がる。

「余興の一つです」

私は静かに言った。

「……驚かせるための料理、ですか」

「ええ。味だけでなく、記憶に残すためのものです」

エリシア王女は、しばしその空を見つめたあと、ゆっくりと視線を戻し、周りを見る。

「……贅沢かつ、賑やかなものですね」

「外交は、こういうものです」

私は答える。

「条約だけでは足りません。顔を合わせ、酒を交わし、“敵ではない”と体に覚えさせる」

エリシア王女は小さく息を吐いた。

「……なるほど。理屈ではなく、感覚で納得させるのですね」

「ええ。理屈は、裏切られますから」

その言葉に、エリシア王女の目がわずかに細まるが、すぐに戻った。

やがて深い赤の酒の杯が運ばれる。

「条約の成立に」

声が上がる。

「友好に」

「繁栄に」

杯が打ち鳴らされる。

エリシア王女は、完璧な仕草で杯を取った。


楽の音が強まる。

笑い声、酒、緩む言葉、その中で。

「……あの規定、本当に徹底されるのか?」

小さな声。

「記録だの許可だの、面倒だ。多少は――」

「やめておけ。相手は、あの領主だ」

「だがな……」

私は、そちらへ視線を向けた。それだけで声が止まり、沈黙した。

エリシア王女が、それを見ていた。ほんの一瞬だけこちらを見て、そのままグラスに視線を落とした。


条約は結ばれた。

だが本当の交渉は――ここからだ。



エリシア王女視点

宴が続く。

やがて楽の調べが移ろい、場の空気がわずかに和らぐ。先ほどまで教会の高位聖職者と語らっていたレオンハルト殿下が、こちらへ歩みを向けた。

「エリシア王女。本日の宴、楽しんでおられますか」

「ええ。見事なもてなしです」

……いつもより、距離が近い?

「それは何よりです。……少しは、肩の力が抜けましたか」

予想外の言葉だった。私は、ほんの一瞬だけ目を瞬かせる。

「……どうでしょう」

わずかに視線を外す。

「そのように見えますか」

「ええ。ほんの少しだけ」

穏やかな声だった。

……見ているのね。

胸が、わずかに揺れる。

「……それは、油断ですね」

小さく言う。

「王女としては、減点でしょうか」

「いいえ。人としては、加点です」

即答。その言葉に一瞬、息が止まる。それは不快ではなかった。

「……では、少しだけ許しましょう」

ごくわずかに、笑みが混じる。

レオンハルト殿下もまた、ほんのわずかに口元を緩めた。

「……そういえば。先日は、ありがとうございました。いただいた匂い袋。とても助かりました」

一瞬の沈黙。

「……それは、何よりです。お役に立てたのであれば」

「ええ。“気休め”以上でした」

自分で言ってから、わずかに視線を逸らす。

……言い過ぎたかしら。

しかし。

「……それは、大変光栄です」

返ってきた声は、柔らかかった。空気が、微かに変わる。

その時だった。レオンハルト殿下の側近、マルクが静かに一歩進み出る。表情は崩さないまま、彼の耳元へと身を寄せ、低く言葉を落とした。

「……殿下、火急の件です」

レオンハルト殿下の目の色が、僅かに変わる。

「……分かった」

ごく小さく応じると、すぐにこちらへ向き直った。

「失礼いたします、王女殿下。急ぎの用ができました」

「……ええ」

淀みのない返答。だが、その奥にほんのわずかな引っかかりが残る。

彼は軽く一礼し、その場を離れた。

――待って。

喉の奥まで、言葉が上がる。

「……」

ほんのわずかに唇が開きかけて、止まる。

ここで呼び止めて、何を言うつもりなの?礼、それとも別の何か?そして何より、王女として、それは許されない。

静かに息を整え、 開きかけた言葉を、意志で押し戻す。


私は、視線を何事もなかったかのように、グラスへと戻した。


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― 新着の感想 ―
えぇ〜これ、マジで無自覚天然でやってたら余計タチ悪いんですけどぉー(笑) 友達からこんな話聞いたら、「そいつタラシやぞー。やめとけー。」って言っちゃいます。 マルクの心境聞きたいです。
将来、生きた鳥を食卓にあげるのは衛生的にだめですよって意見が部下から出るようになるのが学校の成功なんだろうな
体に覚えさせる 胸が揺れる 待って‥ 18禁な展開が! ごめん(・・;)
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