第27話 林の奥
翌朝、俺たちは再び東門外れの林へ入っていた。
空気は冷えている。昨日より光があるぶん、木々の間も地面の起伏も見やすかった。
先頭を歩くのはカイルだ。少し後ろにレオニスとバン。ミレイとアリシアが続き、俺は周囲を見ながら最後尾寄りを進んでいた。
昨日見つけた二本の木の前で、カイルがしゃがみ込む。
「やっぱり、朝の方がいいね」
落ち葉を払う指先に迷いはない。均された土。上から散らされた葉。昨日は違和感としてしか見えなかったものが、今はもう“隠した跡”として見えていた。
「昨日の続きです。この先を追います」
レオニスが短く告げる。
カイルは立ち上がり、二本の木の奥へ視線を向けた。
正面から見れば、ただの林だ。雑木が立ち、下草が生え、ところどころ落ち葉が溜まっている。
だが、数歩進んだところでカイルが細い枝を持ち上げた。
「ここ」
枝の先が不自然に切れている。折れた形じゃない。刃物で払った断面だ。
さらに足元では、下草が一定の幅で寝ている。人が一人通った跡にしては広い。獣道にしては真っ直ぐすぎた。
「細いな」
「細い。でも続いてる」
カイルは前を向く。
「人一人が通る道じゃない。何かを通すために、最低限だけ切り開いてる」
そのまま全員で筋を追った。
道と呼ぶには頼りない。少し目を離せば見失う。だが、一度見えてしまえば消えない。
カイルが地面を読む。レオニスは周囲を警戒しながら進路を整える。バンは見通しの悪い場所で先に立ち、何かあれば即座に斬れる位置を取る。ミレイとアリシアは足元を乱さないよう、少し後ろから続いていた。
しばらく進んだところで、カイルがまた足を止めた。
「……見て」
柔らかい土の端に、二本の線が薄く残っている。消えかけてはいるが、自然にできる形ではない。
「車輪か」
「うん。小さいけど間違いない」
カイルは指先で幅を測る。
「大きな荷馬車じゃない。森の中を通せる程度の運搬具だね」
アリシアが目を見開いた。
「じゃあ、本当に運んでいたんですね」
「ええ」
レオニスが頷く。
「昨日の拘束痕だけでは推測でしたが、これでほぼ確定です」
バンが鼻を鳴らした。
「つくづく面倒な真似しやがる」
「面倒っていうか、手慣れてるのよ」
ミレイが低く返す。
「隠す場所も、消し方も、通し方も分かってる」
そのまま俺たちは林の奥へ進んだ。
途中で枝が切られ、狭い場所だけが少しずつ広げられている。目立たせないことを最優先にした作りだ。何も知らずに歩けば気づかない。だが、今は違う。
「……昨日の話、ちょっと分かったかもしれません」
アリシアが前を見たまま言う。
「何がだ」
「何もないように見えても、それが“消された跡”かもしれないって話です。今も、知らなければ普通の林にしか見えません」
レオニスが頷いた。
「そうですね。見つけるというより、違和感を拾う感覚に近いです」
「怜は昨日、その最初の違和感に気づいたんだから十分すごいよ」
カイルが軽く言う。
「普通は“何もない”で終わる」
「偶然だ」
「偶然でも見えたなら、それは才能だよ」
軽い口調だったが、茶化している感じはなかった。
そのままさらに進むと、木々の間から少し開けた場所が見えた。そこだけ地面が硬く、古い石混じりの土になっている。
カイルがしゃがみ込み、土を払った。
「旧道だ」
草に埋もれてはいるが、石が規則的に並んでいる。今は使われていない道だ。だが昔は馬車か荷車が通っていたのだろう。
「ここへ繋ぐために林を使ったのか」
俺が言うと、レオニスが地図へ目を落とした。
「旧道をそのまま辿れば、正規の街道へ出ます」
「どこに繋がる?」
「石橋の手前です」
その言葉で、全員の意識が一つに揃ったのが分かった。
アリシアが息を呑む。
「じゃあ……ベルクの外で押さえて、ここを通して……」
「橋の近くまで持っていける」
ミレイが低く言った。
「人目を避けたままね」
「行くぞ」
バンが短く言う。
レオニスも異論は挟まない。
「ええ。このまま進みます」
そこから先は早かった。
旧道は完全には消えていない。轍の残り、踏み固められた土、片側だけ削れた草。森の中よりずっと読みやすい。
風の匂いが変わる。湿り気が増し、水の気配が近づく。
やがて、林の切れ目の向こうに石橋が見えた。
だが、俺たちの足を止めたのは橋そのものじゃない。
橋の手前、旧道から少し外れた窪地。そこに残っていた二本の木だった。
幹には深い擦れ跡が刻まれている。昨日見つけた東門外れの跡より、ずっと荒い。樹皮は削れ、繊維まで裂けていた。
足元の土も抉れている。何度も踏みつけられ、暴れた跡だ。
そして、その周囲には見覚えのある大きな足跡が残っていた。
「……アッシュオーガ」
思わず口に出る。
レオニスが目を細めた。
「間違いありませんね」
ミレイが杖をかざす。淡い光が木肌を撫で、内側に残った揺らぎを浮かび上がらせた。
「昨日と同じ系統ね」
「拘束魔法か」
「ええ」
ミレイは短く頷く。
「こっちの方がずっと強く残ってる」
バンが木の間を見た。
「人間相手の位置じゃねぇな」
俺は窪地の周囲へ視線を走らせた。
木の傷。抉れた土。乱れた足跡。
それだけじゃない。
木の根元には黒ずんだ染みがいくつも残り、乾き方が揃っていない。少し離れた場所には、踏み散らされた糞の跡もある。一度暴れただけでは、こうはならない。
「……ここで、しばらく押さえ込んでいたのか」
口にすると、カイルが頷いた。
「そう見えるね。しかも一晩とかじゃない」
カイルは地面の染みと木の幹を順に指した。
「痕の新しさが揃ってない。何度か同じ場所で留めてる。木の傷も、一度暴れただけの付き方じゃない」
ミレイが木肌を見上げる。
「魔法の残りも濃いわ。短時間で使って放した感じじゃない。かなり強く、何度も押さえてたはず」
バンが鼻を鳴らした。
「飼ってたわけじゃねぇ。弱らせてたってことか」
その言葉に、アリシアが顔を強張らせた。
「……飢えさせて、暴れにくくしてたんでしょうか」
レオニスは木の傷に触れ、静かに言う。
「可能性は高いです。数日間拘束し、消耗させた上で橋の手前まで運んだ。そう考えると、石橋での動きとも繋がります」
俺は窪地の先に見える石橋を見た。
ここで押さえ込む。弱らせる。そして頃合いを見て放つ。
偶然じゃない。最初から、橋を荒らすために作られた流れだ。
カイルが地面の端を指した。
「こっちも見て」
そこには、さっきまでより深い車輪跡があった。片側だけ土が深く沈んでいる。重い荷をここで止めた形だ。
「運んできて、ここで下ろした」
レオニスが静かに言う。
「その後、橋の手前で押さえ込んだ」
「で、最後に放したわけか」
バンが低く吐く。
橋は目の前だ。ここでアッシュオーガを解けば、あとは街道へ流れる。荷馬車が通る場所へ、自然に向かう。
誘導だ。
「……やっぱり、人がやったんだな」
そう言うと、誰も否定しなかった。
アリシアが唇を引き結ぶ。
「こんなことのために……」
「橋を止めたかったんでしょうね」
ミレイが言う。
「荷を断つか、街道を荒らすか。理由はともかく、狙いははっきりしてる」
レオニスは木の傷と足跡を順に見た。
「ベルクの外で一度拘束。林を通して旧道へ出し、橋の手前で再拘束。そしてここで解放する。流れは繋がりました」
俺は木の傷に触れた。
ざらついた感触が掌に残る。
ここで止めた。ここで弱らせた。ここで放した。
流れは見えた。あとは、その流れを作った人間を見つけるだけだ。
その時だった。
背筋に、薄く冷たいものが走った。
風じゃない。
誰かに見られている。
「――伏せろ!」
声を出すより先に、体が動いた。
次の瞬間、空気を裂く鋭い音が走る。
矢だ。
一本の矢が、さっきまで俺たちの頭があった高さを一直線に薙ぎ、背後の木へ深々と突き刺さった。
乾いた衝撃音が、窪地に響く。
アリシアが小さく息を呑み、バンが即座に前へ出る。
レオニスの盾が翻り、ミレイの杖先に光が宿った。
俺は低く身を沈めたまま、矢が飛んできた方角を睨む。
いた。
林の奥。
木々の隙間、その暗がりの向こうに――人の気配がある。




