第24話 ベルク支部
林を出る頃には、空の色はすっかり鈍くなっていた。
ベルクの街へ戻る道すがら、誰も無駄な口は利かなかった。
東門外れで見つけた痕。二本の木に残っていた拘束の跡。あれだけで、もう十分だった。
人の手が入っている。
そこまでは見えた。
だが、今はそれ以上を急ぐ時間じゃない。日が落ちれば、追えるものも追えなくなる。
門をくぐってほどなく、レオニスが足を止めた。
「改めて紹介します。ここがベルク支部です」
視線の先にあったのは、レーベンのギルドよりひと回り小さな建物だった。
看板も控えめで、正面の扉も低い。だが、古びているわけではない。使い込まれた木の扉に、訓練用の木剣、壁際に立てかけられた槍。必要なものだけが残っている。
中へ入ると、その印象はさらに強くなった。
広さはない。だが、無駄もない。
依頼板は小さいぶん整理されていて、奥の机にはこの周辺の地図が何枚も重ねて置かれていた。街道、旧道、森道、橋。どれも、ベルクの周りを生きる人間に必要なものばかりだ。
「レーベンほど大きくはありませんが、この辺りの依頼はここに集まります」
レオニスがそう言うと、カイルが肩をすくめた。
「でも、こっちはこっちで使いやすいんだよ。顔が利くし、話も早いし」
「狭いぶん、余計なもんがねぇ」
バンが短く言った。
「だから動きやすいのよ」
ミレイも続ける。
「でかい支部は便利だけど、人も情報も多すぎる時があるからね」
なるほど、と思った。
レーベンのギルドは、集まる場所だった。
だがベルク支部は違う。ここは動くための場所だ。
軽い報告を済ませると、その場の流れは自然に二手へ分かれた。
「じゃ、アリシア。こっち」
ミレイが顎で裏手を示す。
「今日のうちに少し触っておくわよ。雷は手に馴染むまでが一番面倒だから」
「は、はい」
アリシアは杖を抱え直し、緊張した顔でミレイの後を追った。
その背中を見送ると、レオニスが長机の方を指した。
「怜さんはこちらへ。少しお時間をください」
俺は頷き、机の前へ向かう。
向かいにレオニス、横にカイル。少し離れた壁際に、バンが立ったまま腕を組んだ。
椅子に腰を下ろすと、机の上にはもう地図が広げられていた。
ベルク、東門外れ、石橋。今日歩いた場所が線で繋がっている。
「まずは、現場の見方からお教えします」
レオニスが静かに言った。
「何が痕跡になるのか。何が“消された跡”になるのか。怜さんには、そこから掴んでいただきたい」
カイルが一本、指を立てる。
「分かりやすいのは足跡、枝の折れ、土の荒れ。そこまでは誰でも見る。でも、本当に大事なのはその逆なんだよ」
「逆?」
「妙に整ってる地面。後から散らした落ち葉。踏まれたはずなのに沈んでない場所。そういう“綺麗すぎる”方も痕跡になるってこと」
その言葉に、昼間の林の光景がそのまま浮かんだ。
見落としていたわけじゃない。
見えていた。
ただ、見えていたものの意味を、読めていなかった。
「さきほどの違和感は、間違っていませんでした」
レオニスが続ける。
「ああいう引っかかりは大事です。人の手が入った場所ほど、“何もないように見える”よう整えられることがありますから」
「あと、運ぶなら道も読む」
カイルが地図の脇道を指でなぞる。
「広い街道じゃない。こういう細い道。荷を隠して通すなら、むしろこっちだ。通れる幅があるか、枝を払った跡があるか、ぬかるみを避けてるか。そういうのを見れば、何を通したいのかが分かる」
「何を通したいのか、か」
「そう」
カイルが薄く笑う。
「相手のやったことじゃなくて、やりたかったことを見るんだよ。痕跡って、結局はその結果だから」
机の上の線を目で追いながら、俺は小さく息を吐いた。
ゲームなら、見える情報は最初から整理されていた。
だが現実は違う。
散った結果から逆に考えないといけない。誰が、何のために、どう動いたのかを。
その時、裏手の訓練場から、ぱち、と乾いた音が聞こえた。
小さな火花の弾けるような音だ。
「今の、散ったわね」
ミレイの声が飛んでくる。
「でも悪くない。ちゃんと前に出てる。もう一回」
少し遅れて、アリシアの緊張した返事が聞こえた。
「は、はいっ」
俺はわずかに視線を上げる。
雷呪文。
まだ形にするだけで精一杯だろう。だが、何も出なかったわけじゃない。
レオニスも気づいたようだったが、何も言わずに地図へ視線を戻した。
「もう一つだけ」
彼は東門外れから石橋へ続く細い線を指でなぞる。
「現場を見る時、痕跡そのものだけを追いすぎないことです。今回のように、人が手を加えているなら、消せるものは消します。なら、消しきれないものを探す。地面が消えているなら木を見る。道が消えているなら、その道を使うために変えられた周囲を見る。視線を一つに固定しないことです」
「……分かった」
ようやく答えると、カイルが頷いた。
「飲み込みは早いね」
一通り説明が終わったところで、壁にもたれていたバンが鼻を鳴らした。
「座って話してばっかじゃ鈍るだろ」
レオニスが小さく息を吐く。
「そうですね。座学はこの辺にしておきましょう」
そのまま、まっすぐ俺を見る。
「怜さんの実績は聞いていますが、実際にどう戦うのかは、まだ見ていません」
一拍置いて、静かに続けた。
「今後パーティとして動くなら、一度見ておいた方がいいでしょう」
バンが顎をしゃくる。
「アッシュオーガをやったのは聞いてる。だが、実際にどう戦うかは見てねぇ」
一拍置いて、短く言う。
「怜。少し相手してやる」
裏手から、ミレイの声が飛んできた。
「やるならアリシアの邪魔しないでよ」
「端使うだけだ」
バンは短く返し、もう歩き出している。
俺は椅子から腰を上げた。
「……分かった」
立ち上がると、バンが口の端をわずかに上げた。
「来い」
俺はその背を追って、裏手の訓練場へ向かった。




