第20話 ベルクへの道
解散の声が落ちると、ギルドの空気が一気に動き出した。
椅子が引かれ、革袋が鳴り、誰かが壁際の槍を取る音が響く。
地図は巻かれ、卓の上から余計な物が消えていく。
無駄がない。
それだけで、《銀爪》が“慣れている”のが分かった。
俺も鎌の位置を直し、最低限の荷を確認する。
アリシアは水筒と小袋、それから杖を抱え直していた。
その横を、カイルがひらりと通る。
「二人とも、補給は済ませといて。水と干し肉は多め。聞き込みで歩き回ると、意外と減るから」
軽い口調だが、目は笑っていない。
もう半分、仕事の顔だ。
「分かった」
短く返すと、カイルは肩越しに親指を立てた。
「よし。素直で助かる」
ミレイがそこへ割って入る。
「で、アリシア。移動中に話すから。攻撃魔法、どういう系統が向いてるか見たい」
アリシアが慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい!」
「そんなに硬くならなくていいって。まだ何もしてないし」
そう言って笑うミレイは、治療室で見た時より少しだけ柔らかい。
軽い。だが、軽いだけじゃない。
一方で、レオニスは最後まで荷の確認をしていた。
盾、剣、水袋、地図、予備の短剣。順番が決まっているらしく、一つずつ触れていく。
その動きに、俺は目を止めた。
抜けがない。
戦闘の強さとは別の、“崩れにくさ”がある。
「何か気になりますか」
視線に気づいたのか、レオニスがこちらを見た。
「……いや。ただ、手順が決まってるんだなと思っただけだ」
レオニスは短く頷いた。
「準備で落とせる事故は、戦場で払うべきではありませんから」
それだけ言って、視線を荷へ戻す。
当然のことを当然の温度で言う。
(……こういうところか)
強いだけじゃない。
事故を減らす手順を持っている。
それが、B級として生き残ってきた積み重ねなのだろう。
やがて出発の刻限になり、ジークがこちらへ歩いてきた。
「じゃあまた。達者でな」
アリシアが目を瞬かせる。
「えっ……ジークさんは来ないんですか?」
ジークは肩をすくめた。
「さすがに俺はここのギルドマスターだからな。そう簡単に離れるわけにはいかねぇ」
そう言って、口の端を上げる。
「ま、期待してるぜ。ルーキー」
軽く手を上げて、ジークは踵を返した。
「銀爪。あとは頼んだぞ」
「承知しました」
レオニスが即座に返す。
ギルドの裏手には、すでにベルク行きの荷馬車が用意されていた。
幌付きの中型馬車。
補給袋と水樽、それから予備の毛布が積まれている。
街道を走るための、実用本位の作りだった。
「自主調査でも、足は必要ですから」
レオニスが当然のように言う。
俺とアリシア、それにミレイが荷台へ乗り込む。
御者台にはカイル。
レオニスとバンは馬車の両脇につき、周囲を警戒しながら進む形になった。
「揺れるから気をつけてね」
そう言いながら、ミレイが荷台の端に腰を下ろす。
アリシアはその向かいに座り、杖を膝の上で抱えた。
俺は幌の支柱にもたれ、外の景色が見える位置を取る。
鞭の音は鳴らさない。
カイルが手綱を軽く引くだけで、馬は静かに歩き出した。
車輪が石畳を踏む。
ごとり、ごとり、と一定の振動が荷台に伝わる。
街門を抜けるころには、レーベンの喧騒も少しずつ背後へ遠ざかっていった。
馬車が小さな段差を越え、荷台が揺れる。
ミレイはそれに慣れた様子で体勢を直しながら、アリシアを見た。
「で、さっきの話の続きね」
アリシアがすぐに居住まいを正した。
「は、はい」
ミレイが少し笑う。
「そんな固くならなくていいって。まだ確認するだけだから」
アリシアの肩から、少しだけ力が抜けた。
「魔法はいろんな種類があるけど、最初に触りやすいのは風と土。
自然の力を借りやすいから、魔力の消耗が軽いの」
「じゃあ、火とか水は違うんですか?」
「違う。火、水、雷は分かりやすく威力が出る。そのぶん、自分の魔力を多く使う。
魔力が多い人向きって感じかな」
「……私、どれが向いてるんでしょう」
「うーん、正直まだ分かんない。見てないし」
ミレイはそう言って、アリシアの杖を軽く指した。
「でも、ちょっと見るくらいならできる。やってみる?」
「え、あ……はい」
「大丈夫。難しいことはしないから。
魔力を指先に集めてみて」
「こ、こうですか……?」
アリシアはおそるおそる指を立て、意識を集中させた。
次の瞬間、指先に淡い魔力が集まった。
揺れてはいる。
だが、散らない。
細くまとまっている。
ミレイが目を細めた。
「……あ、これ結構いいかも」
アリシアが不安そうに目を上げる。
「な、何か変でしたか?」
「逆逆。かなり綺麗。ちゃんと形を保ててる」
ミレイは感心したように頷いた。
「アリシアって、真面目でしょ」
「え?」
「そういう人、魔力の流し方も丁寧なことが多いんだよね。
火みたいに広げるより、細くまとめる方が得意そう」
アリシアは自分の手元を見る。
「細く……」
「うん。だったら火より、雷の方が向いてるかも」
「雷……?」
王道の火ではなく、雷。
その響きに、アリシアの声が少しだけ揺れた。
「意外かもだけどね。火は多少雑でも形になる。
でも雷は、流し方が雑だと散って終わるの」
ミレイは指先で、空中に細い線を引く。
「逆に言えば、丁寧に流せるなら相性が出やすい。
今の感じだと、アリシアはそっち寄り」
アリシアは少し黙ってから、静かに聞いた。
「……私でも、できますか」
ミレイは即答した。
「ただし、いきなり強い魔法が使えるとは思わないこと。最初は小さいし、威力も足りないかもしれない。
でも、方向性としては間違ってない」
一拍置いて、言葉を続ける。
「アリシアが欲しいのは、“自分で敵に通せる一手”でしょ?」
アリシアは少し迷ってから、はっきり頷いた。
「……はい。怜さんに任せきりじゃなくて、私も自分で戦いたいです」
その声は少し硬かった。
だが、迷いながら言っている声ではなかった。
ミレイはそれを聞いて、軽く笑った。
「なら雷でいこう。合うか試してみる価値はある」
アリシアの目が少しだけ見開かれる。
「本当に……?」
「本当。まあ、実際に見てみないと断定はできないけどね。
でも、少なくとも火よりはそっちの方が合いそう」
アリシアは杖を握り直した。
「……はい」
「返事はいいね。顔もさっきよりいい」
ミレイがそう言うと、アリシアは少しだけ困ったように笑った。
「まだ、正直怖いです」
「でも、楽しみでしょ?」
アリシアは一瞬だけ黙って、それから小さく頷いた。
「……少しだけ」
その答えに、ミレイは満足そうに笑った。
俺はそのやり取りを聞きながら、馬車から外を見た。
冬枯れの草地。
低い林。
遠く、霞んだ山並み。
アッシュオーガが本当に山から降りてきたのなら、あのどこかから現れたことになる。
だが、石橋で見た動きは、ただ迷い出た獣には見えなかった。
馬車は一定の揺れを刻みながら、街道を進んでいく。
途中で一度だけ短い休憩を挟み、再び走り出したころには、陽が少し傾き始めていた。
御者台の方から、カイルの声が飛んでくる。
「見えてきたよー」
その一言で、荷台の空気が少し変わった。
俺は身を起こし、幌の隙間から前を見る。
アリシアも杖を押さえながら身を乗り出した。
街道の先。
緩やかな丘を越えた向こうに、もう一つの街が見えていた。
レーベンよりは小さい。
だが、村とは比べものにならない。
石壁に囲まれた街並み。いくつかの塔。門の前を行き交う荷車。
遠目にも、人の出入りが分かる。
「……あれが」
アリシアが、息みたいな声で呟く。
御者台から、カイルが振り返らずに答えた。
「そう。ベルク」
最初の目撃地。
三日間、アッシュオーガが姿だけを見せ続けた街。
俺は黙って、その街を見た。
石橋の襲撃も、消えた痕跡も、全部ここに繋がっている。
風が幌を鳴らす。
まだ距離はある。
だが、近づくにつれて胸の奥が少しずつ冷えていくのが分かった。
(……ここに、何かある)
馬車は速度を落とさず、ベルクへ向かって進み続けた。




