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第13話「みぃつけた③」

 シャルロット・デュポンは記憶が断片的であり、彼女自身、何が起きたのかを把握できていない。

 しかし、一つだけ確かなことがある。

 それは、目の前に蠢いている人間サイズの蚕に、本能的な嫌悪感を抱いているということだ。

 

「蠕□▲縺ヲ」


 蚕が発する音は、ひどく不愉快極まりないものである。

 この世のものとは思えないノイズに怯みそうになるが、決して広くはない室内で一対一。

 

 今のところ、蚕側に明確な敵意や攻撃性は見られないが、油断していればこの身に何をされるのか分かったものではない。

 何せここは迷宮内。彼女は恐ろしい魔物と相対しているのだ。


「うぅ...なんで、、なんでわたしだけ独りぼっちなのぉ」


 シャルロットは僧侶であるが、最低限の攻撃魔術は扱える。

 彼女とて、冒険者として迷宮探索を何度も経て生き残っている者の一人なのだ。


 しかし、本質的な意味で、彼女の経験値は多くない。

 今までの探索でも危険な場面には何度か遭遇した。

 だが、彼女はパーティにおいて仲間であると同時に、デュポン氏から依頼を受けた大事なお客様であり、守るべき護衛対象でもあった。

 

 おまけに僧侶という特色上、後衛に鎮座するのは当然なのであるが、こうしてパーティを分断されてしまうと、否が応でも前衛に立たざるを得ない。

 そして勿論、彼女にそんな経験があるはずもなかった。


 正直、泣き出したい気持ちでいっぱいだが、こうなっては自分の身は自分で守るしかないのだ。

 となれば、行うべきは一つ。先手必勝だ。


「嗚呼...ごめんね、ごめんね」


 シャルロットは、神官の杖を蚕に向け、光の矢(ライトアロー)を放つ準備をする。


 思えば彼女は、今まで付与魔術や回復魔術に徹しており、攻撃魔術を使ったことはなかった。

 それは一重に、殺生にてシャルロットの精錬な心を汚してはならない、ラクラウがそう言ったからに過ぎない。

 その際のフランツやイブの呆れ顔を未だに覚えているが、きっとラクラウが自分の未熟な心を庇ってくれたのだろうと思っている。

 たとえ魔物であっても、生きている以上は生命。

 甘ったれたことを言っている自覚はあるが、それでも今の今まで踏ん切りができていなかったのだ。

 

 だが独りになった以上、背に腹は代えられない。

 今まで仲間に守って貰っていたことの感謝、そして未熟な自分への戒めを込めて、杖の先端から光を放つ刹那―――。


「縺企。倥」


 蚕は静かにのたまう。

 しかし、蚕は身動ぎ一つしない。今にも攻撃され、危害を加えられる寸前、なのにである。

 それどころか、シャルロットが攻撃を躊躇っているのを察してか否か、徐に仰向けになり、自分の弱点であろう腹を見せてくる。


 そして、短く発するのである。


「縺企。倥」

「―――」


 この蚕に何かの意志や自由意識があるのかは、知る由もない。

 ただ、明確な殺意を以って攻撃されるというのに無抵抗を貫く魔物という存在を、シャルロットは今まで見たことがなかった。


「...もう、何なのか、本当に分からないよ」


 そうして、シャルロットは静かに光を抑える。

 決して警戒は解かないが、少なくともこの魔物は何か変であった。


 そもそも冷静に考えれば、この状況自体が奇妙である。

 空間転移を受けて急に尻餅をついたかと思えば、見知らぬエキゾチックな家屋の中で巨大蟲と対面。

 直前の記憶では、ファムの腕を引っ張って逃げようとしていたはずだ。


 逃げる......そういえば、逃げると言えば、一体何から―――


「あっ」


 浮き立つ思考をゆっくり整理すると、朧気な記憶がだんだんと追従の歩みを始める。 

 

 思考を巡らしつつ、シャルロットは周囲を見渡すと、禍々しい祭壇に奇妙な人形を発見した。

 人形は幼子のような原寸であり、見たことない着物を何重にも重ね着した二体。

 頭には巾着のようなものを被っており、お世辞にも顔の造形は良いとは言えない。

 端的に言えば、とても不格好だ。


 その他に見当たるものと言えば、直火で調理された鍋だろうか。

 蓋がされており、グツグツと煮えたぎる音だけを響かせるが、その中身を確かめるべく触れる勇気は今のところない。

 不気味な臓物でも入っていようものなら、いよいよ精神が持たないのだから。

 

「みんなは、どこに行っちゃったんだろう」

 

 謎の家屋から一刻も早く脱出することも考えたが、外は真っ暗な闇の世界。

 この状況下で飛び出して、果たしてフランツたちに合流することは叶うのか。可能性は低いだろう。

 もしも仲間たちが近辺に潜んでいて、自分を助けて出してくれる機会を伺っているのであれば、願ったり叶ったりであるが、それは流石に楽観的期待すぎると言えよう。

 仮にそうであれば、巨大な蚕と相対している今、一刻も早く助け出してほしいぐらいだ。


 他方、室内に留まり続けることの危険性も十分承知だ。

 幸いなことに今は不在にしている家主が戻ってきたとき、ばったり鉢合わせる可能性も高いのだから。

 しかし、記憶の断絶後、自分がこの場所にて目覚めたことに何らかの理由があるのであれば、それを解明してからでないと迂闊に身動きが取れないのも事実だった。


 故に、シャルロットは考える。

 この局面ではどのような行動が最善なのか。

 何をしたら仲間たちに合流でき、みんなで無事に生きて帰れるのか、必死で頭を働かせる。 


 第一に思い付くのは、巨大な蚕についてだ。

 今は臨戦態勢を解いているが、得体の知れない魔物には変わりがない。

 このまま睨みあっていても、室内の探索に集中し切れないうえ、他の魔物のように攻撃性が感じられない不可解性が残り続けている。

 まずはこの魔物に対する認識を整理すべきだろう。


 そもそも、この島に上陸して以降、魔物という魔物には出会っていない。

 ひとえにファムの魔力オーラが魔物除けになっていたからだと思うが、離れ離れのなった以上、家屋から脱出するのが得策ではない理由の一つだ。


 また島で確認できたのは、小さく無害そうな無数にいる蚕のみ。

 芋虫という気持ち悪さを除けば、彼らに攻撃性はなく、至って普通の生き物だ。

 そして、多少なりとも大きさにバラつきがあったかもしれないが、いずれも自然界の理を逸脱するものではなく、指一つ分ぐらいのサイズ感だった。

 

 しかし、目下の巨大な蚕は明らかに人智を超えた大きさである。

 冒険者組合直属の研究機関では、品種改良と呼ばれる種の配合が盛んに研究されていることは知っていたが、指サイズの生き物が人間サイズまで肥大化するのは聞いたことがない。


 シャルロットは決して学者肌ではないが、恵まれた教育にて一般水準より物知りを自負している。

 その自分が知らず、人智を超えた存在、という言葉がぴったりな生き物。

 ともすれば、やはり魔物であることには違いない。そう結論付けるのが普通であろう。

 

「豌励▼縺�」


 そして、この魔物は先ほどから何かを訴えかけているように思える。

 仰向けになって以降、一向に起き上がらないのは、敵意がないことを表す一つの手段だと仮定すれば、一応筋は通っている。もしかしたら単純に、自力で起き上がれないだけなのかもしれないが。

 何だか、そう思うと可愛げがあるようにも思える。


 しかし、不協和音のような鳴き声を聞くたび、嫌悪感が増長されるのもまた事実だ。

 一体何を訴えたいのか。その意図はまるで分からない。

 真っ白くぶよぶよした皮膚に、いくつもの足が付いている仰向けの蟲は、ジタバタと足を動かすのであるが、シャルロットは今にも失神しそうな気を強く保ち、呼びかけに応じてみることにした。


「え、えっと。わたしの言ってること、分かる?」


 過度に刺激を与えないよう、非常に恐る恐るであるが、彼女はダメ元で震える声を発した。

 残念ながら自分は魔物の意図が理解できない。

 それならば、自分の意図を魔物は感じられるのか。

 手探りであるが、コミュニケーションの方向性を切り替えるのである。

 

「わたしの言ってることがわかるなら、まず足をバタバタするのはやめて。ごめんだけど、あんまり直視できないから」

「縺イ縺ゥ」


 その思いが異種族間を超えて通じたのか。

 やや悲しげな声を発したかと思うと、魔物はぴたりと足の動きを止めた。

 それは、不可解な事態に、ようやく一条の光が差し込んだ瞬間であった。

 

「ッ!?―――じゃあ、わたしに敵意がないんだったら、次は身体を丸めてみて」


 まさか言葉が通じるとは思っていなかったシャルロットは、驚嘆も束の間、確証を得るために次の指示を出してみる。

 その結果は期待通り。

 巨大な蚕は、ぶよぶよの皮膚を懸命に動かし、プルプルと震えながら腹筋をするように、精いっぱい身体を丸めてみせた。


「わ、わたしの言葉が分かるんだね....!ッッ~~!!」


 不安な孤独に押しつぶされ、シャルロットは泣き出したい気持ちが決壊寸前であった。

 そして、魔物とはいえ意思疎通が図れる嬉しさのあまり、それまで抑えていたものが涙腺から零れ落ちていくが、もはや気にすることはなかった。


 ひとまずは、得体の知れない魔物から、意思疎通が図れる魔物にランクアップしたのだ。

 まだ狡猾な魔物の可能性も考慮して、攻撃されないよう適切な距離は保ちつつも、ある程度は家屋の探索に移行しても良さそうだった。

 本音としては、更なる問答法で不可思議な魔物の正体を掘り下げたいところであるが、時間は有限であり、あまりうかうかしていられない状況であった。

 いつ家主と鉢合わせるか分かったものではないのだから。

 

 その結果、彼女の次なる観察対象は謎の祭壇であった。

 気持ちを落ち着かせた後、シャルロットは改めて祭壇に向き合い、まじまじと注視する。


 女神様を奉ずるシャルロットにとって、目の前に映る人形は異教徒のご神体そのものである。

 一神教である自身の宗教が、時として異教徒に対して排他的になることを彼女は認識している。

 しかし、シャルロットは、信仰の対象で異教徒を排斥する精神は持ち合わせていない。


 原典の聖書が指し示す敬虔な教えに従い、博愛の精神で異教徒すら包み込みなさい。

 女神様のこの教えが彼女の精神的土台である。

 したがって、シャルロットはこれまで出会ってきた異教徒の民に対して、分け隔てなく接してきたのであるが―――


「―――これは、あまりにも禍々しいですね」


 そんな彼女を以てしても、祭壇の人形を単なる異教文化として断じることはできなかった。

 かつて初めてファムと邂逅した際、少年から溢れ出る魔力オーラを感じ取った彼女であったが、どうやらオーラの知覚には長けていたようだ。

 

 シャルロットの目は、真白に塗りたくられた顔面に細い目と真っ黒な歯が描かれた人形に向けられる。

 その像は、どこか女性的な印象を受けるが、ふと、強烈で邪悪なオーラを視認した。

 そこからは、一瞬の出来事だった。


「ッ!?」


 女性と思われる人形の目と口が、にっこりと笑ったのだ。


 あまりに突然の出来事に、シャルロットの全身に悪寒が駆け巡る。

 邪悪な瘴気に当てられ、強い吐き気と失禁を催すが、後ずさりして、即座に自身へ精神汚染対策の付与魔術(エンチャント)を付与し、必死で正気を保つよう努める。


 そこで、明確な悪意を感じ取った。


 邪悪なオーラは止めどなく湧き出ている。

 人形の穴という穴から、粘性の強いドス黒いオーラ、もはや重たい鉛が混ざったような黒煙が忽ちに溢れ零れたと思えば、それはまるで血飛沫の如き勢いで噴き出し始めた。

 そして、みるみる上方に集まっていく黒煙は、圧縮と膨張を繰り返し、やがて不安定な流線形を形成するに至る。

 

 規格外の出来事に、呆然と立ち尽くすシャルロット。


 彼女は知らない。自身が経験した迷宮探索で、かつてここまで理解不能な出来事に見舞われたことを。

 彼女は知らない。自分たちが禍々しい怪異の領域に踏み入ってしまったことを。

 彼女は知らない。この怪異が、自分たちをどう弄びたいのかを。


 この日、シャルロットは初めて、迷宮の悪意に直面した―――。


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