三日後に迫った大イベント
蓮華が朝稽古をしていると道場の外からきれいな声が聞こえてきた。正確には歌声だ。蓮華が好きで、よく聞いている曲だ。
「エリカか……。そういえばライブは三日後か」
そう言いながら蓮華はタオルで汗を拭く。
「それにしてもあのエリカがこんなきれいな声を出すなんてな」
ふー、と息を吐いて蓮華はその姿のまま外に出てエリカを探してみる。すると道場から少し離れたところで左手を胸に置き、右手を頭の高さまで上げながら歌っているエリカがいた。
その姿はまさに神秘的と言っても過言ではないような空気を漂わせ、彼女が『世界の歌姫』と言われているのも納得できる。
そんな普段とは百八十度違うエリカの歌声に蓮華は思わず聞き入り、そしてエリカ本人しか見えなくなってしまっていた。
「蓮華くん?」
曲を一つ歌い終わり一息ついているエリカは蓮華がいたことに気付いた。やはり人に見られるのは慣れているのか特に動じることない。
「どうしたの?」
「え?」
「私の歌、そんなによかったの?」
「……まあな。一応お前のファンの一人だし」
蓮華が当たり前という風にそう言うとエリカは不意を突かれたのかしばらく黙ってしまった。
「その……ありがとう……」
そう言って、頬をほんの少し赤らめうれしそうにエリカは笑った。
「それより蓮華くんはなんでここにいるの?」
「いや、いまだにお前が世界の歌姫だってのが信じられなくてな」
「えー! なにそれ! 信じてなかったのー?」
「……だっていつものお前を見てれば……なあ?」
「どこ見てるの蓮華くん? 私はこっちだよ。ねえ、誰に聞いてるの?」
エリカは前のめりになって蓮華に問い詰める。しかし蓮華は目を合わせずに苦笑いを浮かべていた。
蓮華はとうとう耐え切れなくなったのか……面倒くさくなったのか……
「俺、シャワー浴びてくるわー」
「え? ちょっと待って」
蓮華は逃げるようにその場を去って行った。
「行っちゃった……。もう少し聞いてほしかったのになー」
エリカは霧ヶ谷組の屋敷でライブまでの調整を行っている。声出しはもちろん衣装やライブの流れの確認などなど。やることはたくさんあるらしい。今まで遊んでいた分のしわ寄せがきているようだ。
絶賛仕事中のエリカを置いて蓮華は一人あくびをしながら海を眺めていた。しかし、ただ眺めているわけではない。隣にはクーラーボックスと小さな箱に一本の網。そして、蓮華の手元には糸のついた長い棒がある…………そう――釣りだ。
釣りは蓮華の趣味の一つだ。だが、やはり魚がかかってくれるまでは暇なのか寝てしまうこともしばしばだ。大抵は年よりのように空を見上げて雲が動いているのを見ていたりする。
「おいおい。そろそろ来てくれよ。収穫ゼロはなしで頼むぞー」
とまあ、やる気のなさそうな声を魚に向けてか海に向けてかは判別がつかないが言っている。
そんな状態が十分ほど続き、急に蓮華の手に力が入った。
「もしかして……」
と言った次の瞬間……蓮華は目の色を変えて一気に釣り竿を引き上げる。蓮華には確かな確信があった。それは釣りに対する直感か、経験から導き出される推測か……なにかは具体的には蓮華自身もわかってはいないが彼は今、こうするべきだと考えた。
「あ……やっぱ餌付けんの忘れてたわ」
釣りへの直感? 経験による推測? などと御大層なことを並べたが実際はそんな格好よくはいかない。よく言うだろう『真実はいつもひと……』ではなく、『現実は意外と単純だよね』……と。ただのミスだった……と。
「餌もないのにかかる獲物はいるわけねーよな。時間だけ無駄に過ぎたわ……」
◆
青い海。無限に広がっているような水平線を前にして龍也は佇んでいた。そんな彼の後ろには少し距離を置いて蓋世組の部下と思われる男が二名、黒い車のそばで立っている。
しばらくすると水平線の向こうから何かが見え始める。それは龍也のいる方目がけてやってくる。
それは船だ。軍艦だ。しかも三隻。そのうちの真ん中の一隻から龍也よりも年上、言うならアネと同じくらいの年齢の男性が飛び降りてくる。
難なくきれいな着地を見せた男性は龍也に向きなおる。
「約束通り持って来たぞ」
「ありがとうございます。まさか本当に持ってきてくれるとは」
「まあ、どこの組も霧ヶ谷組の話を出したらすぐに用意してくれたよ。それでも軍艦は三隻だけだがな」
「いえいえ、十分すぎです」
「中にはほかにも武器とかが入ってる。うまく使ってやってくれ」
「何から何まですみません」
そう言って龍也は頭を下げた。
「いいってことよ。その代わり……霧ヶ谷組のやつらをどうにかしてくれよ」
「なんとかやってみます」
「またヤクザ連合の話を無下にされたってことで、今はどこも部下をなだめんのに手一杯だそうだ。そろそろなんらかの形でケリつけなきゃいけないとは思ってたからな」
「それは俺もわかってます」
「そうか。うちの若い衆は自分で考えることをあまりしなくてな……お前はしっかりと考えてるようでよかった」
男性は少し安心したのか息を少し吐いた。それと同時に彼の顔が一気に険しくなった。その顔を見て龍也も何か察したようだ。
「それより気をつけろ。武器かき集めながらほかの組のとこ走りまっわてきた歳食ってる組長はみんな霧ヶ谷組に手を出すのは大賛成ってわけじゃねえみたいだからな」
「アネさんもやばいとは言っていました」
「アネのやつもか。まあそうだろうな。正直言って俺もそのうちの一人だ」
やはり霧ヶ谷組はただものではないということがこのこの男性の雰囲気で見て取れる。
「いいか、お前にはまだまだ先がある。だから、下手に部下を失って信用を無くすようなことは避けろ」
龍也は男性のその忠告を無言のままゆっくりと首を縦に振った。
龍也が蓋世組の事務所に帰ると、待っていましたと言わんばかりに部下の視線が集まった。龍也は、いつも通り落ち着いた様子で、その事務所の自分の席に座った。
「ボス!」
部下の一人がそう叫んだ。
「ボス!」
「どうしますか!?」
などと間が空かずに声が上がる。そんな部下たちの声が耳に入っているはずだが龍也は答えない。
こいつら、うるせえ……
龍也はそう思いながらため息をついた。
「お前ら……うるさい……」
冷たい声でそう言った。龍也のその一言にその場が凍り付く。さっきまでの騒ぎがうそだったかのようだ。そして同時に全員が唾を飲み龍也の次の言葉を待つ。
「……三日後だ。三日後の朝に霧ヶ谷組のいる獅子王島の離島に向かう」
龍也が一大決心と言う風に告げた。
「俺たちは今すぐにでも行けます!」
「そうです! なあ、お前ら!」
「ああ」
「俺もだ!」
「俺も!」
中には……と言うかほとんどがそう言った。なんとなくこうなるだろうなと龍也は考えていたが思ったよりも多かったのか、またあきれたように肩をすくめた。
「いいか。俺はまずお前らに、その頭に上っちまった血をどうにかしてほしいんだよ。今の状態のまま行ったら、お前らの中には俺の命令を聞かずに飛び出しちまうやつもいんだろ」
正論だった。ここにいる者はたいてい我慢というものが苦手なのだ。それは彼ら自身もわかっているし、今までも龍也に何度も言及されてきたことだ。だから言葉が詰まってしまった。
「てめえせいでてめえの命を落とすのは別にいい。だが、てめえのせいで今隣にいるやつが次の日は土の中ってことも十分あり得る。それだけはやっちゃいけねえだろ?」
理解したようにうなづく。それを見て龍也は確認するようにもう一度話す。
「よし……。三日後だぞ。それまでに体を心も万全の状態にしとけ。いいな」
『はい!』




